五 見つける答え
五
「一夜明けたら増えてるねぇ」
布の塊がそう言って、洞窟内を見回した。
「ビオルさん。人間て次から次に湧くものでしたっけ?」
「わーお。まさしく布の塊だね!」
「てめぇ黙ってろ!」
「怒ることないよ。だってロアは本当の事を言ったまで!」
あれから一夜明け、外も明るくなった頃、布の塊が朝食の時間を告げに来ていた。
昨夜の乱入者はなんのかんのとこの調子で一夜を明かし、騒がしさ極まる中で図太くも熟睡したらしい死にかけは、大分顔色が生者に近づいている。
「はぁ。とりあえずぅ、朝御飯にするから、行くよぉ?」
何はともあれ朝食を、と言う布の塊も図太いと思うが。
「……立てるか。死にかけ」
「あ、はい。……ふふ」
「?」
声を掛けただけだが、死にかけが笑った。
「何がおかしい」
「いえ、そう言えば、ちゃんとご挨拶してなかったと、思い至りました。…………物凄く正直な呼び方で、それを思い出せましたから」
「そうか。良かったな」
「はい」
これも、変な者だ。それこそ樹宝のような反応ならばわかるが、何を言っても……嘘は言っていないが、死にかけ呼ばわりされても、笑っている。暢気な、と言うには静かで、達観しているというには時折影が見える。
生者と死者の間。まさに死にかけ。
「はぁ……。もう放っておいてぇ、ナハトさんと西域の人ぉ、行こうかねん?」
まだぎゃあぎゃあと騒いでいる樹宝とロアとかいう人間を尻目に、布の塊が私と死にかけを促した。
まさかとは思う。だが。
「あ。樹宝さーん!」
乙女が大樹の下に立って笑顔で手を振っている。相変わらず美しい。それは良い。
だが、その足元に敷布があり、バケットなどが入った籠が置いてあるのは何故だ。
「ったく……。ん? なに突っ立ってんだ?」
「おい。まさか地べたに座って食事を」
「あ? 敷物あんだろうが」
正気か。
「あのなぁ……。良いから来い」
「は、離せ!」
「うっせー。黙って座って食え」
おのれ……!
ほぼ強制的に私を敷物の上に引きずり、樹宝が押さえつけるように座らせる。
「昨日だって座ってただろうが。薬擂ってる時に」
「あれは作業であろう! 食事とは違う」
「面倒くさい奴だな……」
「大地に座って大地の恵みを貰う。ロアは正しいと思うケドね!」
「はいはーい、何でも良いけどぉ、皆そろったらいただきます言って食べようねぇん?」
問答無用で席に着かされ、朝食が始まった。
樹宝の隣に乙女、そして私、死にかけ、布、ロア、押しかけ巫女という順に円を形成し座る。
敷物の上に広げられているものは、バスケットに入った焼き立てのパン、大きな木製ボウルに盛り付けられたサラダ、各種ジャム等と果物。
「うふ。多目に作ってあるからぁ、新しい人の分もちゃんとあるよん。気にしないで食べてねぇ」
「ありがとう布!」
「てめぇ、次ビオルさんをそう呼んだら叩き出す」
「別に良いよぉ。気にしないしぃ」
騒がしい。このような騒がしい食卓は初めてだ。
朝食で疲れそうだったが、ひとまずパンを手に取り、一口大に千切って口に運ぶ。
クランベリーと胡桃などの木の実を入れて焼かれたそれは、程好い酸味と木の実の旨味、歯応えがある。
「美味しいですか?」
質素だが味は申し分無いと考えていると、乙女が声を掛けてきた。
「ああ」
「ふふ。こっちにハムを挟んだものもありますから、良かったらどうぞ」
「頂こう」
バターを軽く塗ったライ麦パンに瑞々しいレタスとハムを挟んだだけの簡単なものだ。ともすればパサつくライ麦パンをレタスの瑞々しさがカバーし、ハムの程好い塩気が仲を取り持っている。これも美味だった。
何が特別と言う訳でもないのだが、何故だろうか。
「こんなに賑やかな食事は、初めてです。楽しいものですね」
ぽつりと相変わらず顔色が白い割りに穏やかな表情で死にかけが言う。
―― 確かに。城に居る時は、自室で食事を取るか、妻たちと一同に会しての場合は食堂にて長いテーブルに着いて静かに食べる事しかなかったな。
それが普通だったのだし、今でもそうなのだが。あの頃の食事の味は、酷く遠い。
「うふ。ところでぇ、呼びかけるのに不便だしぃ、そろそろ一度自己紹介をしようかねぇ?」
木製のコップにルイボスの香りが漂う香茶を淹れながら、布の塊がそう言った。
「私はぁ、サーディガーディ。樹宝さんのぉ、配下兼、今はリトさんの後見人をしてるよぉん。よろしくねぇ」
布の塊の言葉に何故か樹宝は苦虫を噛み潰したような顔で呻く。
「樹宝さん……」
「それでぇ、樹宝さんのお嫁さんがぁ」
「あ。えっと、リトです。よろしくお願いします」
はにかむような笑顔の乙女、そして皆の視線が私に向いた。
「ナハトだ」
「ナハトさんはぁ、妖さんだけどぉ、人間を食べる種族じゃあないからん。安心してぇ」
事実だが何故言う。私がそのような野蛮行為をしない事は見ればわかるだろう。
が、何故か押しかけ巫女はその言葉に見るからに肩の力を抜いた。という事は何か。そう見えていたという事だと?
「うふふ。ナハトさんのお隣はぁ」
「昨日はろくにご挨拶も出来ず申し訳ありませんでした。それから、そんな僕を看病してくださり、ありがとうございます。……銀月と申します。お見知りおき下さい」
案外、美しい名を持っていたらしい死にかけ改め銀月の次は一番最初に口火を切った布を飛ばし、昨夜の乱入者が再び。
「ロアだよ! よろしく!」
最後に残った押しかけ巫女が溜め息を一つ落として口を開く。
「瑞花と申します」
「あは。これで全員のぉ、名前がわかったねん。次はぁ、とりあえずぅお茶どうぞぉ?」
それぞれに木製のコップが配られ、口をつける。
仄かな甘さと、喉を潤す清涼感。何となくだが落ち着く心地になる。
「瑞花さんはぁ、樹宝さんの巫女になりたいんだったよねぇ?」
ぶふっ! と樹宝が吹き出しそうになり咽返った。その背を乙女が慌ててさする。
「き、樹宝さんっ」
「げほっ、が、っ!」
色違いの双眸が恨めしそうに布を見ているが、当の布は瑞花へ視線を向けているようだ。全身が包まれている上に顔も目深に被ったフードで半分覆われているから、視線の先もわかりにくいが。
「そうです。私は、狭間に坐すカミに仕える巫女としてここに」
「うーん。樹宝さんぅ、巫女いるぅ?」
「要りません! ビオルさん、何で今その話題出すんですか?」
「えー。だってぇ、早めにはっきりさせておかないとぉ。もうお嫁さんがいるからぁ、そういう所は気をつけないとぉん」
「何がですか。俺は嫁は一人で十分です! そこの犬ころと一緒にしないで下さい」
「貴様! 誰が」
「はいはーいぃ、落ち着いてん。ナハトさんや。ナハトさんはぁ、リトさんに求婚中だけどぉ、リトさんは樹宝さんのお嫁さんになる為にここに来たんだよぉ」
布の言葉に、乙女が茹ったように顔を紅くする。
「…………」
それは、聞いた。見ていればわかる。
紅く染まった頬と、乙女の幸せそうな笑顔が向かう先は一つだけだと。
「別にぃ、人間でも王族や地位のある人ってぇ、複数妻や夫がいることもあるからぁ、おかしくはないんだけどぉ、重婚は流石にねぇ」
「遠まわしだが、それは諦めろと言っているのだろう」
「あは。まぁ、リトさんがぁ、樹宝さんを選んでいる以上はぁ、そうなるねぇ」
「…………恩義は返す。それが理だ」
「別の形でもぉ、良いと思うよぉ?」
「……」
ならば、どのような形がある? 妻に迎えて何不自由ない暮らしと栄誉。これ以上はない。
そう。これ以上ないもののはず。……だが、一つだけ難点がある。
「ご、ごめんなさい。あの」
「良い。乙女。わかっている」
乙女は、喜ばない。
未だに理解できないが、乙女は樹宝を私より選ぶ。先程の笑顔も何もかも、私が最高だと思うものを与えた瞬間に、粉々に砕けて消えてしまうだろう。それは、恩を仇で返すようなものだ。
そこまでの答えはもう出ている。けれど、ならばどうすれば良いのか。
「ナハトさん。私は樹宝さんが好きです」
「おまっ」
「はいはい少し黙ってようねぇ」
いつの間にか樹宝の背後に回っていた布が、顔を乙女に負けず紅く染めた樹宝の口を塞ぐ。
乙女は大地の恵みを色にした瞳で私を真っ直ぐに見た。
「ナハトさんのお嫁さんにはなれません。でも、申し出は嬉しかったです。ありがとうございます」
愛情とは違う。樹宝に向けていた感情の色は、私に向かない。けれど。
「ああ。そうだな。……仕方ない。他の方法を考える」
惜しい。心底、樹宝に乙女は勿体無い。そう思うのだが……仕方ない。
「乙女」
「はい」
「ならば、友人としてならば、これからも付き合ってくれるだろうか?」
「っはい!」
樹宝に負けたというのは、腑に落ちない。だが、まぁ、今回は退こう。
乙女のこの花咲くような笑顔に勝てる気はしないからな。
今回は退く。だが、人の心は変わるものだ。
乙女の気が変わることも無いとは言い切れない。
だからひとまずは友人として。
しかし、何故乙女もあの瑞花も樹宝へ思いを向ける。
恋歌遊戯 魔王の求婚 第六話「それぞれの理由」
もうしばし、付き合ってもらえると良いが。