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三 二度あることは



 人間は、欲深い。 何も出来ないくせに、求めるだけ求めて、際限ない。

 そう、思っていた。

「乙女」

 この、白金の髪と大地の恵み色を宿した瞳の、きよらな乙女に出会うまでは。

 世界の中心である狭間の地。 今居るのはその地に連なる峰の中腹。 粗末な小屋だ。

 木造の、私の居城とは比べるべくも無い小さな小屋。 安物の布を使った敷物やカバー、物取りも取るものが無くて困りそうな調度の数々。

 人間の女性では到底満足できないだろうそれらに囲まれて、なのに乙女は微笑んでいる。

 いや、今はどこか落ち着かずに外へ繋がる扉を気にしているから、微笑んでいたと言うべきか。

「はい。 何ですか?」

 細く白い首や腕。 空色のセーラー襟がついたワンピースは乙女が身に纏うには安すぎる。

「どうすれば、笑顔になる?」

 粗末な木のテーブルの上、両肘をついて指を組み合わせる。 そして頤を乗せて乙女を少し下から見上げてみた。 うん。 やはり美しい。 今にも涙を零しそうな瞳も、不安に結ばれた小さな花めいた唇も。 可憐だ。

 思わず手を伸ばして、この腕に抱きたい衝動に駆られるが、忌々しいことにそれは叶わない。

 何故なら突然の訪問者と何やら言い合いをする樹宝という輩と共に、家の外に出ている見るからに気味の悪い布の塊めいたものが、この私の首に、

「あ。 念の為ねぇ?」

 などと言っていつの間にか背後に回り、黒い革と銀の留め具で作られた首輪を付けていったからだ。

 あの布……自由を取り戻したなら必ずこの報いを受けさせてやる……。

「うふ。 とりあえずぅ、私や樹宝さんがぁ、動いていいって言うまでぇ、その椅子から動かないようにねん」

 そう言い残して、現在に至る。動くなも何も、どういうわけか『動けない』のだ。 恐らくはこの首輪の所為だろう。

 まぁ、忌々しい輩のことは今、置いておこう。

「え?」

 人間の欲を煽り唆す魔もいるらしい。 それは、こんな気持ちだろうか。

 私の口許には笑みが浮かぶ。 それが自分でもはっきりわかった。

「金銀砂子。 星にも負けぬ財を与えようか? 宝珠の花はどうか?」

「……」

「絹の仕立てで似合う衣も作らせようか? 乙女が望むなら何でも私が叶えてみせよう」

 だから。

「私に笑って見せてくれ」

 そう言った。 けれど。

「素敵だと思いますけど、私には必要ないです。 あの、笑うくらい、何もなくても」

 そうではない。 そうではないのだ。 乙女。

 私が見たいのは、そんな涙を押し込めて無理やりのものではない。

「乙女」

「はい。 ……えっと、あの、その呼び方、ちょっと恥ずかしいです。 リトって、呼んで頂いてかまいませんから」

「リト」

「はい」

「富で不足なら、何があればリトは笑う?」




 わからない。 何故、リトはこんな粗暴な輩に心を傾ける?

「んだよ。 何か言いてぇなら言えよ」

 嗚呼、頭痛がする。

「何故貴様のような粗暴という言葉しか浮かばぬものが、リトは良いのか心底不思議だ」

「……お前、今すぐこの川に沈めてやろうか」

「二人ともぉ? まぁだ言ってもわからないのぉん?」

「…………」

「…………」

 私とこの樹宝という輩は今、玉砂利がひしめく小川のほとりに正座させられている。 膝の上には、赤い植物の入った擂り鉢と乳棒。

「ナハトさぁん? ナハトさんだよねぇ? ついて来るって言ったのぉ」

「……そうだ」

「樹宝さんやぁ? 私ぃ、さっきも言ったよねぇ? いい年してみっともない事しないでってぇ」

「はい」

 じりじり焦がすように降り注ぐ、とまではいかないが、今時分の日差しもやはり夏のものだ。 光は強く、私には少し目に痛い。

 逆光の所為か、目の前で影法師が起き上がったかのように立ちはだかる黒い布の塊は、溜め息をついた。

「いいぃ? 樹宝さんもぉ、ナハトさんも、リトさん達よりぃずぅっと年上なんだからぁ、同じ事を何度も言わせないでぇ」

 何故、私がこのような得体の知れない不審者にこのような事をこんな粗暴なものと同列扱いで言われなければならないのだ。 おのれ……この屈辱忘れん。

「私ぃ、ちょっとリトさん達の方を見てくるからぁ、その間にぃそれやっておいてねぇ?」

「はい……」

「……」

「二人とも仲良く、ねぇ?」

「……」

「……」

「うふ。 お返事はぁ?」

「は……い」

「…………わかった」

 忌々しいがこの時ばかりは樹宝というこの粗暴者と私の心は一致していた。 互いに仲良くなどする気がない、無理だ。

 布の塊がその場から去ると、樹宝は脚を胡坐に組み直し擂り鉢を抱え直して、植物を擂り潰し始める。

 私は足を崩そうにも『私か樹宝さんにぃ、いいよって言われるまでぇ正座で作業してねぇ』とかいう例によって例のごとく言われ、首輪の所為でそれも叶わない。

 仕方なくそのまま植物を擂り潰す。 仲良くが無理なのだから互いに口を利かないのが一番平穏だ。

 しばし無言で作業を続けたが、段々とこの単調な作業にも飽いてくる。 隣ではそんな神経もなさそうな顔で樹宝が作業を続けていた。

 ふと、その手が止まり私の方を色違いの双眸が見てきた。

「手ぇ、止まってるぞ」

「言われずともわかっている」

「そうかよ」

 再びその目が私から自分の作業へ向くのを、私は咄嗟に、引き止めた。

「これは何に使う」

「リトが薬作る材料にすんだよ。 粒じゃなく、粉になるまでやれ」

 少しだけ樹宝の擂り鉢を覗くと、確かに言っている本人のものは粉末状になっている。

「乙女……リトは、薬師か」

「そうだ」

 橙と唐紅花の双貌が疎ましげにこちらを見た。

「リトに助けられたとか言ったな」

「それが?」

 色違いの瞳がどことなく不愉快そうに細まる。

 じわじわと滲む暑さとその視線がどちらも不快だ。

「その恩を、お前は仇で返そうってわけか」

「どうしたらそのような解答が導かれる」

「本気で聞いてんじゃねぇだろうな」

 本気も何も、何が仇だと言うのか。

 私の顔を暫く睨んで、樹宝は唸るような声で言った。

「ざけんな。 そんな事されてあいつが笑ってるわけねーだろうが! 大体、今いる女に対してもどう思ってんだよ」

「異な事を……。 皆、私の妃に相応しい者ばかりだ。 それに、正妻には出来ないが、だからと言って惨めな思いはさせない」

「だから……そう言う事じゃねぇだろうが!」

「貴様は一体何が言いたいのだ?」

 訳がわからない。 惨めな思いなどさせないと言っているのに。

 ここに居ては叶わぬ望みも、私の元に来れば叶えて見せる。 何よりも喜ばしい事に違いないだろう。

「テメェほど話の通じねぇのには初めて会った」

「なるほど。 奇遇だ。 私もそう思う。 貴様ほど理解力の低い者は初めてだ」

 これ以上話しても苛立つだけの不毛な事。 そう思い、再び作業に取り組もうとした。

 しかし。

「……?」

 視界がグニャリと滲むように歪み、白く光りに染まっていく。


「…………」

「……ぃ」


「…………?」

「おい!」


 響く声が頭痛となって頭を悩ます。 煩い。

「う……」

 ガンガンと頭を叩き割ろうとするかのような痛みに、眉根をきつく寄せる。

「気が付いたみたいだねぇ。 良かったよぉん」

「おい、聴こえてんのか?」

「…………聴こえている。 煩い。 黙れ」

 真っ白だった視界が段々と元に戻り始めた。

 ぼやける世界の中に薄茶色と萌黄色、恐らく布の塊と樹宝の髪色だろうものが見える。 だが、見え方が少しおかしい。

 私は横たわっているようだ。

「あは。 大丈夫そうだねぇ。 でもぉ、まだ寝ていた方が良いよぉん? 起きるにしてもゆっくりねぇ?」

「一体何が……」

「ぶっ倒れたの覚えてねぇみてーだな」

「うふ。 軽ーい熱失神みたいなものだよぉ」

 次第に晴れてきた視界に、こちらを覗き込む樹宝と木漏れ日を落とす梢が見えた。

 まだ頭痛はあるが、感覚もハッキリしてくる。

「とりあえずぅ、処置はしたからぁ。 あとは……休んでいれば大丈夫ぅ」

 布の塊はそう言ってニヤァと不気味に笑った。 その顔のせいか寒気が。

「ったく、暑かったなら言えよ。 倒れる前に」

「…………」

 この輩の前で倒れるなど、なんたる失態…………。 おのれ。

 樹宝が呆れた様な目で言うのが腹立たしい。

「本当に、お前らは脆いな」

「…………?」

 不意に、樹宝が呟くような声音で言った。 その言葉にそちらを見て、目が合うと微妙に逸らされた事から、きっと声に出したのは無意識だったのだろう。

「あは。 リトさんもぉ、此処に来た当初は良く寝込んでたよねぇ。 あの頃からするとぉ、本当に元気になって良かったよぉん」

乙女(リト)も?」

「あいつは気味が悪かった」

 樹宝(こいつ)は乙女に向かってなんと言う事を!

「樹宝さぁん? 言い方が悪いよぉ」

「事実でしょう。 日の当たらない所で生えた草みてぇに細いし白いし、生気は薄いのに瞳だけが光ってるみてぇだった」

 あの乙女からは想像出来ない言葉ばかりだ。 人間の射た矢に翼を痛め地に墜ちた私を、介抱した乙女の手は暖かく、日だまりの匂いがした。 あの微笑みは、木漏れ日のように優しく私の中に焼き付いている。

 樹宝達の言葉とは正反対だ。

「そんな気味は悪いわ、一々寝込むわだったあいつが、どうして今はああなってると思う」

「……乙女は此処でしか取れない薬が無いと生きられないのか? だから私が妃にして連れていくのを」

「違げぇよ。 んなのはねぇ」

 苛立った気配と表情で樹宝は言う。

「あいつを望むっつーなら、あいつを見ろ。 お前の妄想じゃなくな」

 訳のわからない事を言う。 最初から私は乙女を見ている。

「あは。 ナハトさんも大丈夫そうだしぃ、私はリトさん達の所に戻るよぉ。 御飯の仕度が途中だったからねぇ。 馬鈴薯(ポテト)の皮剥き終ったかなぁん」

 それを聞いた樹宝の顔色が変わる。

「ビオルさん、それは、あいつに包丁持たせて目を離したって事ですか?」

「そうだけどぉ?」

「今すぐ戻りましょう。 つーか、先戻ります」

 そう言って、樹宝は布の塊と私を残し、小屋へと駆け出した。

「…………何故あんなに慌てている?」

「うふ。 樹宝さんは心配性だからねぇ」

 訳がわからない。 本当に、わからないことだらけだ。

 人間は良くわからない事をするが、良くわからない事を言うのは精霊だ。

 意味がわからない……。


 恋歌遊戯 魔王の求婚 第四話「狭間」


 …………おかしな者ばかりだ。


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