BlackHotel
連れられて入ったホテルは普段火韻が使うものとは全然違っていた。
寂れていない、どころか新築なのかどこもかしこも美しい。
その上部屋も広く何かと豪華な装飾が壁中に施されている。
思わず、はぁ、と溜め息を漏らしてしまった。
「どうしたの?」
吐いた息に感動の声が僅かにくっついていることに気付かなかった火韻は一瞬その質問に遅れた。
「溜め息なんて」
ふふ、と上品に笑う男はとてもこの部屋に似合っている。
「いや…こんな部屋、初めてだから…」
「おや、君の家なんてもっとすごいだろう?」
「はあ?…あぁ、僕のこと知ってんだ」
自分の家を知っているということは、自分の置かれている身を知っているということだ。
じゃあ、こいつも周りの大人と同じか。
何故か火韻は少し悲しくなった。
いつもなら、怒りのようなものしか浮いてこないのに。
「知ってるよ」
「知った上で買うなんて、あんた見かけによらず腹黒いね」
「ふふ、君はさ
自分が不幸だと思って仕事をしてるわけではないでしょう?」
「あ?なにいって…」
言い終わる前に唇を塞がれた。
固いような柔らかいような感触。
唐突に重なった男の唇に、思わず火韻は噛みついた。
「っに、すんだ」
「いたた、何って。君は買われたんだからなんでもしなきゃいけないでしょう」
「そうだけど…急にやめろ」
「君はさあ」
どん、と押されよろけるままに後ろに下がるとベッドがあり、火韻はそこに尻餅をつくように倒れた。
奇襲の多い男に苛立ちを隠しもせず睨みあげる。
しかし男は笑っているだけだ。
かちゃりと眼鏡を外し、ベッドの横の文机に置く。
そのまま近づいてくる男に火韻は思わず退いた。
にやにやとしながら男は近づきベッドの中央辺りにまできた火韻の腰の横に手を置き片足をスプリングに乗せた。
ぎし、と軋む音が静かに火韻の鼓動を叩く。
「好きでやってるでしょう、こういうこと」
「…はあ?」
右手に全体重を預け男は浮いた左手を火韻の胸に当てる。
どくどくと高く脈打つ鼓動を鷲掴みにされたようで気持ちが悪い。
思わずその手をぱしりと叩き落とした。
なんだ、この客は、とにかく気持ち悪い。
今まで相手した客の誰よりヤバい気がする、危ない。
本能は火韻にそう、警鐘を鳴らす。
しかし体は動くことを許さなかった。
「虐げれ、傷付けられ、蔑まれ、辱しめられ、犯されることを君は楽しんでる」
「てめぇ、何言ってんだ?その減らず口そろそろ閉じろよ。やることやってさっさと僕の前から消えろ」
苛立ちは募り、火韻の口調は荒れる。
だが男はやめなかった。
「ねえ、痛いのも気持ちいいのも大好きなんでしょう?」
「お父さんに殴られるのも蹴られるのも楽しいんでしょう?」
「本当は、もっとひどいことしてほし」
ばきっ
男が言い終わる前に、続けられる言葉を遮るように火韻は男を渾身の力で殴った。
はぁはぁと乱れる息は逃げ場を欲している。
この男は駄目だ。
「おま、え、なんなんだ」
ふふ、殴られた左頬をさすりながら下を向いたまま男は笑う。
顔をあげられたら終わりな気がした。
「僕、帰る…」
言うが早いか火韻は四つん這いでベッドから降りようと動く。
しかしその小さな左足を男に捕らえられてしまう。
「何言ってるの?逃がさないよ。君は、私に、買われたんだ」
嫌だ、嫌だ。いくら金を払われようが嫌だ。
お前は怖い。
その目でみられたくない、その声で暴かれたくない。
だが男の力は強く、少年には振りほどけなかった。
「火韻」
そこからは残虐の始まりだった。