AshNight
少年は、何もかもが嫌いだった。
火韻【カイン】という外人のような自分の名前も
14歳という幼い自分も
産み落としたくせに捨てた母親も
夜な夜な暴力をふるい、昼間は酒代をせびるだけの父親も
そんな自分達を憐れみや蔑みの目でみる周りの大人も
遊んでくれないどころか汚いと笑う同世代の子供たちも
そんな自分を置いて回り続ける世界も。
何もかも。
笑えるほどに不幸だが、笑うこともできない。
最早少年の中に感情なんて何処にも存在しなかった。
火韻は昼は靴磨き、夜は路上で立って娼婦の真似事をしていた。
絢爛に煌めく夜の町は一層火韻を小さくさせる。
物好きがたまに火韻を見つけて金を払い、自分の下卑た欲望を吐き出しては消えた。
まだ幼い体躯には全てが拷問のような所作だろう。
だが、感情を忘れた火韻には犬に噛まれるのと何ら変わりはなかった。
ぐしゃぐしゃのお札を二、三枚持って酒を買いにいく。
またこいつか、と言うような、可哀想に、と言うようなもう見飽きた表情を火韻に向け酒屋のじいさんはいつものウィスキーを渡した。
「なんで、あんな奴の言うことを聞く?」
ある夜酒屋のじいさんは火韻に訊ねた。
「はあ?」
「だから、どうして奴の言いなりになるんだい」
「僕が助けてと言ったってあんたらは何もしねえだろうが。
逃げ出すにもどこへいくってんだよ。
あんたが助けてくれんのか、あぁ?」
少年はその美しい顔に似合わない汚い言葉で酒屋のじいさんに言い返すと、さっさと酒を持って帰っていった。
背後でじいさんが静かに泣いているのに気づかないふりをして。
火韻の家は貧乏な訳ではなかった。
それどころか裕福で、この祖父は小さな町の所有者でもある。
異国の人間であった母が火韻とこの家を置いていくまでは父親も優秀な経営者だった。
町の人からも慕われ、火韻も可愛がられていた。
祖父が病にふせ、長い闘病生活のため隣町へ行くまでは、もしくは母親がこの家を置いていくまでは
絵描いたような素晴らしい家庭だったのだ。
崩壊した今でも幸か不幸か、父親は優秀ではあった。
所有権を祖父から譲り受け、且つ町に点在する数多の会社の経営を立派に勤めあげ続けている。
だからこそ、町の人間は何もできなかった。
火韻が学校にいかせてもらえずその上昼夜を問わず労働させられていても、夜な夜な非道徳的行為をさせられていても見て見ぬふり。
一度くらいアルコール依存症で失態をおかせばいいのに、と火韻は心中で毒吐くことしかできなかった。
今夜もぼろぼろのパーカーを身に纏って火韻は外へ出た。
皮の細いスキニーの下は何もはかない。
はいても意味がない。
長く伸びた髪も後ろに雑に縛って、前髪を無造作に垂らす。
近付いてかき分けないとせっかくの美しい顔は見えない。
売れなくてもいい、売れてもいい。
外にいくのは父親から逃げるため、金を手にするのはこれもまた父親への媚びのようなものだ。
しけた夜だなあ、とはりつく前髪を弄りながら思った。
風が無い。
いつもより喧騒も大人しいようだった。
今日はダメかもしれない、と火韻が引き上げようとしたとき、
「ねえ、君いくら?」
と後ろから嫌に美しい声が聞こえた。
「ホテル別、一万」
振り向くこともせず火韻はいつも通り答えた。
「安いね、何をしてもいいの?」
「いいよ」
「買おう」
交渉が成立し、気だるげに振り向いた。
どうせ気持ちの悪いおっさんが立っているんだろう、と。
しかしそこにいたのは火韻の想像を越える男で一瞬目を丸くした。
黒髪の清潔感ある坊っちゃん刈りに黒縁のスクエア眼鏡、汚い路地裏には似つかわしくないアルマーニの灰色のスーツ。
リーガルの固い靴がゴミを踏んでいるのが申し訳なく見えた。
有り体に言えばお綺麗な、真面目な、会社員。
といった風貌。
なのに火韻を見つめるその目はどこか狂気が孕んでいるようで、少しゾッとした。
「あんた、カタギの人?」
「ん?ふふ、凄いね流石だ。とりあえず行こうか」
濁され気乗りはしなかったが、金を払うというのだから行くしかない。
二人は渇いた夜の町を並んで歩いていった。
火韻の人生は一万円とその小さな体の取引で大きく変わっていくことになる。