説明
重そうな扉だった。これは扉だ。ドアじゃない。扉って単語がよく似合う。
派手な絨毯、固そうな長椅子、何もかも反射しそうなガラスのテーブルに使い道のなさそうな暖炉。
くつろげそうな、そうでもないような。
「お掛けになってください。今お茶でも用意させます」
誰にだろうか。ここには何人か人がいるのだろうか。爺ちゃんの弁護士からは、前管理人がいるということしか聞いていない。
長椅子に腰掛けると、固いけれど表面がすべすべしていた。さわり心地は高級らしい。
しばらくすると、ワゴンを押して男が入ってきた。また燕尾服を着ているから、管理人なのだろうか。
「ご紹介しましょう。雑務担当の澄生です」
理人さんが、目線だけで澄生さんにお辞儀するよう促したことが分かった。
「初めまして、澄生と申します」
「現在、館において管理人の真似事をしておりますのは私とこの澄生の二人です。私は経理や点検を、
澄生は雑務全般を担当しております」
「はぁ」
「秋臣様、この度のご不幸でこの館の主人が貴方様になりました。私どもは以前と変わらぬ忠誠心で貴方様にお仕え致しますことを、ここにお約束致します」
「あの、ちょっと」
澄生さんはまだお辞儀をしたまま動かない。理人さんは直立の姿勢で、僕を真っ直ぐ見据えてくる。
はっきり言って、落ち着かないのだ。
「まず、座りません?」
「ですが」
「あ、お願いします。二人とも座ってください」
しぶしぶ、というようには思えないほど素直に二人は長椅子に腰掛けた。僕がこういう扱いに慣れていないことが分かってもらえただろうか。
背もたれに背をつけてくれていないから、やっぱりしぶしぶなんだろう。
「僕、正直ここ売るつもりなんですけど」
「なんと」
「まだ大学生なんですよ僕。別荘もらっても使わないし、人に貸したりして稼ぐのも面倒だし」
「副収入にはご興味がない?」
「ないわけじゃないけど、面倒が勝ちます。即金のほうが魅力的かなぁ」
「そうでしたか」
「申し訳ないです。なるべくいい人に買ってもらいます」
変わらぬ忠誠心とやらはその人にどうぞ、と思ったけれど言わなかった。非道だと思ったからだ。
澄生さんは無表情だし、微動だにしない。受け答えはもっぱら理人さんだ。
「秋臣様の決意が固そうですので、私からは一つだけ」
「え?」
「当主様はこの館を、それはお気に召していらっしゃいました。数多くお持ちの別荘の中でも一番に。そして自分にもしものことがあったなら、あとを継ぐのは秋臣様だと仰っていました」
理人さんは爺ちゃんの言葉を代弁してくれた。
『あれの気質はよく知っているつもりだ。ここ一番で迷いの出る奴でな。男気がないんだ。相続しても、すぐ売り飛ばそうとするだろうよ』
当たっているから腹が立つ。
『だからしばらく滞在させて、お前たちで際限なく甘やかしてやりなさい。この館の居心地の良さを知れば、売る気も失せるだろう。赤子の手捻りより簡単だ』
何言ってるんだ爺ちゃん、孫を堕落させて何の意味があるっていうんだ。
「当主様はこの館を、血族以外に渡したくないようでした。私どもはその願いを叶えたいのです」
「で、僕にどうしても相続してほしい?」
「はい」
「爺ちゃんは、どうして他人に渡したくないの?」
「それは伺っておりません」
なんでよ。そこ大事じゃないの?
「どうか秋臣様、しばらくご滞在いただけませんか」
僕は迷う。ここ一番、なのかは知らないけど、優柔不断なのは本当だから悔しくないのだ。
今は夏休みで、僕には友人も恋人もいないから、予定もない。課題をやるにはうってつけの環境に思える。交通の便が悪いということ以外、特に断る理由が思い当たらない。
「交通の便が」
「いつでもタクシーを手配致しますよ」
封じられてしまった。理人さんは割と食えない性格をしているようだ。
「甘やかしてくれるんですか?」
「そりゃもう、際限なく」
にっこり笑う理人さんと、相変わらず無表情の澄生さん。
楽しそうではないけど、楽そうだ。楽ができるというのは僕にとって、なによりの誘惑だ。
一人暮らしのマンションに戻って課題して散歩して眠るだけの夏休みを送るよりは、なんぼかマシだ。
僕は両親に電話して、別荘売却の先送りを告げた。