11月10日
入院生活も四日目となった。
そろそろギプスも外せるらしい。
リハビリは、通院しながらじっくりとやっていくことに決まった。
なにはともあれ、人生初の入院生活だ。
基本的に寝ているだけの毎日は基本的に快適で、相部屋の『ゲンさん』が無口すぎるということ以外には基本的に不満はない。
ゲンさんは、人の目をじーっと見る。
七十歳くらいだろうか。
西郷隆盛みたいな黒々とした大きな目で、じーっと。
で無言。
何も言ってはくれない。
ゲンさんに見つめられると、ちょっと息苦しくなる。
心の底を見透かされそうな目、というのは、ああいう目のことなのだろう。
ま、目さえ合わさなければいいんだけれど。
基本的に退屈きわまりない入院生活だけれど、夜はちょっと違う。
毎晩、深夜一時頃。
僕はそわそわしてしまう。
そのうち窓の外に、ぬ、と影があらわれる。
ガラスを割られてはかなわないので、今夜も僕はいそいで窓を開けた。
毎晩お見舞いありがとう、と息だけで囁いて、僕は入ってきた影に頬ずりした。
お、それが今日のお土産か。
立派なイノシシだなあ。
うん?
僕はいいよ。
お腹いっぱいなんだ。
自分でお食べ。
毛の一筋、血の一滴も残さずに、猫はみごとにたいらげた。
猫の毛並みは、泥や雑草の切れ端や草の実などで汚れていた。
僕のお見舞いのために一所懸命だったんだなあ。
ちょっとホロリときた。
あとで掃除するのは大変だけど、猫の苦労に比べればなんてことはない。
病院はもちろんペット禁止だ。
看護婦さんに知られたらえらいことになる。
ゲンさんの寝つきがよくて助かった、とふりむくと、
じー。
ゲンさんがこっちを見ていた。
……。
思考停止。
僕がフリーズしていると、ゲンさんはおもむろに自分用の小型冷蔵庫を開けた。
両手をいっぱいにしてとりだしたのは、チーズやプリンやヨーグルト。
食事の残りや、お見舞い品みたいだった。
「乳製品は口にあわねえ」
初めて聞くゲンさんの声は、ぼそぼそしていて聞き取りにくかったけれど、その気持ちは僕にも猫にも伝わった。
猫は大喜びで、ゲンさんが放り投げたプレゼントを口で上手にキャッチした。
容器ごと食べるなよ。
お腹こわすぞ。
ホッとした僕は、猛烈な睡魔におそわれた。
入院していて変なんだけど、寝不足だった。
夜は猫のお見舞いがあるし、昼は検査があるしで、熟睡するまとまった時間がなかったのだ。
意外にも猫好きらしいゲンさんに猫がじゃれつくのを見ながら、おもわずウトウトしてしまった。
気がつくと、朝になっていた。
病院のなかが、すこし騒がしい気がした。
猫!?
あせって見回した僕は、胸をなでおろした。
猫は病室にいなかった。あいつは人見知りをするほうだから、きっと夜が明ける前に帰ったのだろう。
安堵しつつふと隣を見ると、ゲンさんのベッドが空だった。
トイレかな。
と思ったけれど、結局、ゲンさんがあらわれることは二度となかった。