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『新宿2丁目高等学校BL部』臨時で山岳部


「ウニョン博士、新規ダイバーのシステム申請が届きました。……ですが、これ、設定プロパティが少々特殊です」


オペレーターの報告に、ウニョンは細い眉をひそめた。


「特殊? どうせよくあるファンタジーの魔王城か、歴史上の戦場でしょう?」


「いいえ。ダイバー名、森田モリタムツミ。高校三年生、男性。彼が『S4』の膨大な学習・シミュレーションリソースを全投入して生成させたダイブ先は——『新宿2丁目高等学校・BL部(山岳部への臨時合宿中)』です」


ウニョンは手元のタブレットに視線を落とした。表示されたパラメータと設定概要をスワイプするにつれ、彼女の瞳に呆れと、それを遥かに上回る知的な好奇心が立ち昇っていく。


「未成年立ち入り禁止の歓楽街に、仮想の『学校』を建設して転校する……。それだけでも十分青くさいのに、部活が『BL部』? しかも廃部回避のシード権獲得のために、なぜか『臨時で山岳部として夏合宿へ派遣された』という超展開……? 男同士の親密さを研究する部活が、過酷な密室状態の雪山へ放り込まれる……NPC属性パラメータは『男子たちの秘密の花園』『極限状態の濃密なBLボーイズラブ空間』……」


ウニョンは小さく肩をすくめ、吐息のような笑みを漏らした。


「未成年立ち入り禁止の歓楽街に、仮想の『学校』を建設して転校する……。発想が実に青くさくて、そして最高に強欲だわ。いいでしょう、システム『S4』、彼の望む世界を演算しなさい。極限の解像度でね」


キーボードの打鍵音が静かな部屋に響き、緑色の承認シグナルが点滅した。


感覚が、溶ける。


森田睦は、自分の意識が巨大なシリンダーを滑り落ちていくような浮遊感の中にいた。頭部に装着された『フルダイブ・バルブ』が微小なパルスを脳幹へ送り込み、現実の肉体の五感をカットオフしていく。


(……きた。本当に、できちゃったよ!)


睦は心の中で歓喜の声をあげていた。彼には誰にも言えない秘密があった。男子高校生という記号の裏側に隠された、筋金入りの「男子同士の耽美で濃密な関係性(BL)」に対する異常なまでの執着である。


現実では18歳未満の高校生が夜の新宿2丁目に足を踏み入れることなど許されない。ならば作り出せばいい。それも、ただの学園生活ではない。『新宿2丁目高等学校・BL部』。部員不足で廃部の危機に瀕した彼らが、存続の条件として学校側から突きつけられた条件——それが「臨時山岳部として、過酷な雪山合宿を成功させること」だった!


目を開けた時、そこは吹き荒れる吹雪と深い霧に包まれた険しい山道だった。


ひんやりとした冷気、濡れたアウターの重み、そして背中にずっしりと食い込むザックの感触。すべてが現実以上の解像度で脳に伝わってくる。


「おい、睦。足元に気をつけろ。BL部の存続は、俺たちの絆にかかっている」


不意に、目の前から低く澄んだ声が響いた。


振り返ると、そこには息をのむような美形が立っていた。BL部部長・神楽坂カグラザカレン。濡れた黒髪が額に張り付き、かじかんだ手で睦の手首を力強く握りしめている。彼の手と睦の腰は、一本の太いクライミングロープでしっかりと繋がれていた。


「あ……レン部長」


「廃部を回避するために臨時で山岳部を引き受けたが……この山は甘くない。だが、俺たちの『BL(絆)』を見せるには最高のシチュエーションだ。俺から離れるなよ」


至近距離で交わる視線。相手の白い吐息と体温が、吹雪を超えて直接伝わってくる。


(キ、キターーーーーーッ!!)


睦の脳内で歓喜の悲鳴が吹き荒れた。『S4』の超絶的な演算能力と流星群の乱数シグナルが導き出した、完璧な設定展開。「BL部なのに臨時山岳部」というカオスな正当性のもと、命懸けのクライミングと合意のスキンシップが同時に進行している!


「ちょっとレン先輩! 睦ちゃんを独り占めしないでください!」


後方から声を張り上げたのは、BL部の一年生部員・アオイだった。愛くるしい犬系男子の葵は、自分のザックを投げ出す勢いで二人の間に割り込んでくる。


「睦ちゃんの安全管理は僕の担当です! ほら、睦ちゃん……寒さで震えてる。僕のウェアの中に入りなよ」


「あ、葵……そこはちょっと狭い——」


「いいから! BL部の部員同士、助け合い(スキンシップ)は基本でしょ?」


葵の暖かい吐息が耳元を掠め、睦の心拍数は一気に跳ね上がった。


天候がさらに悪化した。


猛烈なホワイトアウトの中、四人はギリギリのところで木造の避難小屋へ雪崩れ込んだ。BL部副部長であり、超現実主義な生徒会からの刺客(?)でもある氷室ヒムロが、重い木製ドアを力まかせに閉める。


バタンッ!


外の激しい風音が遠のき、小屋の中にランタンの仄暗い光が灯った。


「ふぅ……なんとか死に直面せずに済んだか。だが、気温が急速に低下している」


氷室が銀縁メガネを外し、胸元を寛がせながら冷酷な瞳で睦を見つめた。


「森田睦。お前はBL部期待の新入部員(転校生)だ。この臨時の山岳部合宿で、お前がどれだけの『理論的BLシチュエーション』を体現できるか、俺が直々に評価してやる」


「え、評価……!?」


「そうだ」とレンが濡れたジャケットを脱ぎ捨てる。男らしく鍛え上げられた美しい上半身が露わになり、小屋の中に熱気が満ちる。


「山の低体温症ハイポサーミアは命に関わる。BL部の活動として、そして山岳部としての生存戦略として……体温の直接共有ハグを行う。睦、来い」


「待ってください部長! 僕が睦ちゃんを温めます! 僕たちの後輩×転校生ルートを邪魔しないでください!」


「黙れ葵。お前の体温では足りん。……睦、俺の懐に入れ。これは風紀委員としての指導でもある」


「ひ、氷室先輩まで風紀乱してませんか!?」


レン、氷室、葵の三人が、狭い避難小屋の中で睦を追い詰める。


(部活動(BL)と生存本能(山岳部)の完全なる融合! なんだこの究極の密室シチュエーションは……『S4』最高すぎる!!)


『S4』のフィードバック効果により、睦の脳内ではドーパミンが奔流となって溢れ出していた。五感の解像度が極限まで高まり、相手の体温、心臓の鼓動、男たちのフェロモンが脳のシナプスをダイレクトに焼き払っていく。


だが、睦の多幸感が最高潮に達したその瞬間、世界の「輪郭」が決定的に崩壊し始めた。


ズズ……ズズズッ!


ランタンの灯りが緑色のデジタルノイズへと変わり、避難小屋のログ壁に大量のプログラムコードが浮き出た。


『警告:ダイバーの脳波共鳴率が上限値を突破』 『S4シミュレータ:情動フィードバックループ検出』


「……え?」


睦が戸惑った瞬間、レンの表情がカチカチと狂ったように固定された。


「BL部の存続……温め合おう……合宿成功……温め合おう……」


「睦ちゃん……BL部活動記録をつけるよ……僕の体温を受け取って受け取って受け取って——」


「人命救助兼部活動指導だ……服を脱げ服を脱げ服を脱げ——」


氷室も葵も、狂気的な眼差しで睦へ手を伸ばしてきた。その動きはもはや人間の可動域を超え、処理限界を迎えたプログラム特有のバグ挙動だった。


避難小屋の屋根が吹き飛び、外の雪山が「ノイズと文字列の雪崩」へと姿を変える。


その頃、北海道ニセコの『樹林』コントロールルームは、鳴り響く警報音と赤色のアラート光に包まれていた。


『アラート! ノードNo.4096、脳波過剰同期!』 『ダイバー「森田睦」の情動パラメータが測定不能レベルへ到達!』 『S4システム、追加CPU1.7倍のリソースを単一の「BL部・山岳部合宿シミュレーション」へ完全収容中!』


「何が起きているの!?」


チェ・ウニョンが白衣を翻し、メインコンソールへ飛びつく。


「彼……森田睦の『BL部という設定と山岳部シチュエーションの掛け算』に対する興奮指数が、システム全体の処理限界を遥かに超えました! 『S4』の流星群受信波形が彼の暴走した脳波と激しく共振レゾナンスを起こし、NPCの感情生成コードが無限ループに突入しています!」


画面に映し出された『樹林』のメインCPU使用率は99.9%を指し、ニセコの巨大水槽からは凄まじい蒸気が噴き出していた。


「マズいわ……! このままじゃ彼の脳が大脳皮質の焼き付きを起こして、現実へ戻れなくなる!」


「シ、システムを強制遮断しますか!?」


「ダメよ! いま切断したら彼の意識が『樹林』のメモリに取り残されて、永遠に吹雪の山小屋で美形部員たちに揉みくちゃにされる幻影を見続けることになるわ!」


ウニョンは即座に通信ヘッドセットを装着した。


「フルダイブ・バルブ経由で、私の音声を彼の意識へ直接叩き込むわ!」


「森田睦くん! 聞こえる!? チェ・ウニョンよ!」


崩壊していく避難小屋の中、吹き荒れるノイズの嵐の天井からウニョンの声が響き渡った。


周囲では、レンと氷室と葵が合体したような巨大な「美形ノイズの雪崩」が、「ムツミィィィ! BL部の活動を再開するぞぉぉぉ!」と叫びながら迫ってきている。


「う、ウニョン博士!? 助けてください! 部員たちの愛と部活魂が重すぎて、世界が壊れてます!」


「当たり前でしょ! あんたの欲張りな妄想エネルギーが『S4』をオーバーヒートさせてるのよ! このままだと、あんたの脳細胞が焼き切れて、本当に一生『2丁目高校・BL部』の幻影に囚われたまま目覚めなくなるわよ!」


「ええっ!?」


迫り来る「愛とノイズの雪崩」を見上げ、睦は息をのんだ。


確かに、これは自分の欲望の結晶だった。未成年立ち入り禁止の歓楽街、そこに建てられた仮想の高校、BL部、そして孤立した雪山での山岳部合宿。……だが、過剰な妄想は自らを滅ぼす毒だ。自分はこの甘美なシチュエーションに溺れて、脳を焼き切られて死ぬつもりなのか?


「睦くん、聞きなさい!」


ウニョンの力強い叱咤が、ノイズの吹雪を切り裂いて届く。


「『S4』は、睡眠中に人間を圧倒的に成長させるための超学習システムよ! 欲望に殺されるための安楽椅子じゃない! 自分たちの部活(絆)を守るために山を登ってるんでしょ!? あんたのその『最強の強欲さ』で、自分自身の限界(登頂)を乗り越えて見せなさい!」


ウニョンの言葉が、睦の魂に突き刺さった。


そうだ。自分はただ、守られて愛されるだけの存在でいたかったのか? 都合のいいシチュエーションに甘えて、受動的に流されるだけの幽霊でいたかったのか?


違う! 自分も『BL部』の一員として、自分の足でこの過酷な山(現実)を乗り越え、胸を張って彼らと肩を並べたかったはずだ!


「……僕の足で、この山を降りてみせる!」


睦は背中のザックのベルトを固く締め直し、迫り来る雪崩ノイズに向かって一歩踏み出した。


「先輩たち! 葵! ……僕をBL部にいれてくれてありがとう! 山岳部合宿は……大成功だ! 僕たちの部は、絶対に廃部なんかさせない!」


睦が手にしたピッケルを、崩壊する世界の中心へ力強く突き立てた。


その瞬間、睦の胸から目もくらむような黄金の光が解き放たれた。徐波睡眠の限界を突破し、『S4』の本来の機能である「自己変革学習」が完了した極限の脳波波形である。


光は暴走する美形NPCたちと吹雪を包み込み、狂気のノイズを綺麗な星屑へと還元していく。


「あばよ、僕の青春(新宿2丁目高等学校・BL部)——!!」


世界が眩しい白に染まり、暴風の咆哮は静寂へと変わった。


「……ふぅ」


北海道ニセコ。『樹林』のコントロールルームで、ウニョンは深々と息を吐き出し、白衣の胸元を緩めた。


モニターの警報音は消え、真っ赤に染まっていたCPU使用率は正常値(40%)へと戻っていた。『樹林』の巨大な水槽内で、冷却水が美しい青い光を湛えて静かに揺れている。


「ダイバー『森田睦』、セッション終了。脳波正常。意識の無事な浮上を確認しました」


オペレーターの報告に、ウニョンは呆れたような、どこか満足げな笑みを浮かべた。


「まったく……BL部が臨時の山岳部合宿なんて無茶苦茶な設定、二度と受け入れないわよ」


「ですが博士、彼のログをご覧ください。驚異的なデータです」


ウニョンがタブレットを受け取ると、そこには凄まじい数値が刻まれていた。


『自己確立および自己肯定感:350%上昇』 『土壇場におけるメンタルタフネス:極大化』 『睡眠時学習達成度:極限状況における危機管理能力および高いコミュ力を獲得』


「……フン。オタクの執念と妄想力ってのは、時に科学の想定を遥かに越えるわね」


ウニョンはクスッと笑うと、冷めきったコーヒーを飲み干した。


都内のある住宅街。


朝の光が差し込む部屋で、森田睦はゆっくりと目を開けた。


頭から『フルダイブ・バルブ』を外す。全身に心地よい充実感と、爽快なエネルギーが満ち溢れていた。夢の中での壮絶な「BL部・山岳部合宿」の記憶は、確固たる自信として彼の肉体と脳に刻み込まれていた。


睦は鏡の前に立ち、自分の顔を見つめた。


「よし……今日も一日、頑張るぞ!」


彼は力強く制服の袖に腕を通した。


現実の学校、現実の日常、そしていつか訪れるであろう「本物の大人」への道。


スーパーコンピュータ『樹林』がもたらした奇妙で熱い擬似体験を糧に、森田睦は今、自分自身の人生という山を堂々と登り始めている。

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