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精霊機構技師団 特別継承部 ― 王都アステリア基盤維持計画―  作者: yusuke/YsFlower


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2/2

王の記憶

 翌日の昼、王都アステリアの繁華街は、昨日と何ひとつ変わらない顔をしていた。

 中層区画に位置するこの一帯は、王都でも特に人の流れが多い。基盤作業員、商人、役所勤め、観光客。さまざまな立場の人間が入り混じり、石畳の上を絶えず行き交っている。

 建物の一階部分には飲食店が密集していた。古い石造りの壁をそのまま使った店もあれば、金属フレームとガラス張りで近代的に改装された店もある。どの店も昼時とあって忙しそうで、調理の音と香りが通りに溢れていた。

 特継の面々も、その雑踏の中に溶け込んでいた。

「王都の昼飯は、相変わらず量が多いな」

 ブラムが皿を見下ろして言う。焼いた肉と根菜の盛り合わせは、明らかに一人前を超えている。

「この辺りは作業員も多い街ですから。物流も人の出入りも激しくて、自然と食事の量も多くなるんです」

 リシェルは淡々と答えながら、スープを口に運ぶ。

「昨日みたいな作業があると、腹も減る」

 誰かが笑い混じりに言った。昨日の応急処置の件は、あえて深く掘り下げられていなかった。仕事は終わり、設備は動いている。それ以上を話す理由はない。

 レインは黙って食事を続けていた。味は悪くない。だが、どこか落ち着かない。

 精霊灯が安定していたこと。 昇降機が通常どおり動いていたこと。

 すべてが「問題なし」と言える状態に戻っている。

 それでも、昨日感じたわずかなズレが、完全には消えていなかった。

「午後は本対策会議だな」

 ハロルドが水を一口飲み、言った。

「本社と繋いで、昨日の件を洗い直す」

「憂鬱だな」

 ブラムが肩をすくめる。

「原因不明、理論上は問題なし、現象だけが残る。一番説明が面倒なやつだ」

「仕事よ」

 リシェルが短く言う。

 レインはフォークを置き、店の外を眺めた。人の流れは絶えず、街は滞りなく動いている。

 変わりのない一日が、始まっている。

 そう思おうとして、うまくいかなかった。


 広場は、王都の幹線通りから一本外れた場所にあった。

 石畳はよく踏み固められ、ところどころに補修の痕が残っている。周囲には商店や飲食店が並び、昼下がりのこの時間帯は、仕事の合間に立ち寄る人々でそれなりに賑わっていた。

 広場の中央に据えられた簡素な台と、その上に立つ一人の演説者。王都では、見慣れた光景のひとつだった。

 通り過ぎる人々の多くは、声を背景音のように聞き流しながら、それぞれの目的地へ向かっていく。荷を運ぶ精霊種の足音、店先から漂ってくる香辛料の匂い、遠くで鳴る昇降機の稼働音。それらが混じり合い、広場は日常の延長として存在していた。

 それでも、数人だけは立ち止まり、演説者の言葉に耳を傾けている。衣服の古さや身なりから、熱心な信徒であることが分かる者もいた。

 演説者は、特別な装飾も身につけていなかった。祭服も法衣もない。だが、背筋は伸び、声には揺るぎがない。

「我々は、忘れられてきました」

 低く、しかしよく通る声が広場に響く。

「魂が巡るという事実を。 人が生まれ変わるという営みを」

 声は騒音に埋もれることなく、不思議と耳に残った。

 レインは足を止め、少し距離を取った位置から演説者を眺めていた。信仰に惹かれたわけではない。王都という街が、何を当たり前として受け入れているのかを知りたかっただけだ。

「この王都アステリアは、記憶の上に築かれた街です。 石の下に眠るのは、ただの遺構ではない。 王たちの意思であり、統治の記憶です」

 演説者が示すように、広場の石畳の下には、さらに古い都市層が眠っている。技師団として、それを知らないわけではない。

 だが、そうした事実が「王の記憶」という言葉で語られることは、どこか印象が違った。

「かつてこの国には、血ではなく、 記憶によって王が立てられていた時代がありました」

 足を止めていた一人の男が、小さく頷く。

「王は選ばれたのではない。 思い出したのです。 自らが、王であったことを」

 演説者は、ゆっくりと手を広げる。その動きは芝居がかっているが、誇張しすぎてはいない。

「しかし、記憶は言葉だけではありません」

「剣の握り方。 筆の運び。 道具を扱う手の癖」

 その言葉に、レインは無意識に自分の手へと視線を落とした。

 工具を握るとき、考えるより先に指が動く感覚。初めて触れる構造でも、どこに力をかけるべきかが分かる瞬間。

 それらは、これまで「才能」と呼ばれてきた。

 転生の事例が存在することは、この世界ではすでに珍しくない。研究も、報告も、統計もある。生まれ変わりの話題自体が、人々の興味を強く引くことは少なくなっていた。

 だからこそ、レインは今まで、自分の感覚と転生という概念を結びつけて考えたことがなかった。

「理屈では説明できないはずの技が、 なぜか“最初からできてしまう”者がいる」

「それは才能でしょうか?」

 一拍の沈黙。

 広場の喧騒が、ほんのわずかに遠のいたように感じられる。

「それとも、かつて同じ魂が、 同じ手で、それを繰り返してきたからではないでしょうか」

 レインは、演説に衝撃を受けたわけではなかった。

 ただ、自分の中に積み重なってきた違和感が、別の角度から照らされた気がしただけだ。

「この世のどこかに、 王の記憶を受け継いだ真の王が存在します」

「我々は、その者を探します」

「力ではなく、記憶を。 血筋ではなく、魂を」

「それこそが、この王都が生まれた本当の理由なのです」

 演説者は深く一礼し、台から降りた。

 拍手は起こらない。だが、立ち止まっていた人々は、すぐには散らず、しばらくのあいだその場に留まっていた。

 レインは、自分の手をもう一度だけ見下ろした。

 違和感は、ずっと前からあった。

 それを、どう考えるかを後回しにしてきただけなのだ。


 演説の余韻が、広場に薄く残っていた。

 人々はすぐに日常へ戻っていく。信徒と思しき数人も、それぞれの方向へと歩き出した。誰かを引き止める者はいない。熱狂も、怒号もない。王都において、それは特別な出来事ではないのだ。

 レインは、広場から少し離れたところで立ち止まり、石畳を踏みしめた。

 足元に感じる硬さ。何層にも積み重なった都市の重み。それを支える無数の機構と、人の営み。

「……帰ろうか」

 ハロルドの一言で、特継の面々は自然と歩き出した。

 レインは無意識のうちに、もう一度だけ広場を振り返っていた。

「気になる?」

 隣を歩くリシェルが、歩調を合わせるように声をかける。彼女はいつも通りの表情だったが、視線はどこか柔らかい。

「いえ……ただ、街の空気というか」

 曖昧な答えに、リシェルは小さく息を吐いた。

「“王の記憶”。この国特有の宗教よ」

 歩きながら、彼女は淡々と説明を始める。だが、その声色は演説を解説するときの学術的な調子とは少し違っていた。

「昔、この国ではね、本当に“王の記憶を持つ者”が王になっていた時代があったの」

「血筋は関係なかった。人間でも、エルフでも、ドワーフでも」

 リシェルは一度、言葉を切り、通り沿いの建物を見上げた。ガラス張りの外壁に、精霊灯の光が反射している。

「王の記憶を思い出した者が、王だった」

 レインは黙って頷く。

「もっとも、私はその時代を知っているわけじゃないわ」

 リシェルは肩をすくめた。その仕草はどこか人間的で、長命なエルフであることを一瞬忘れさせる。

「私が生まれるずっと前の話よ。歴史書と、少しの伝承でしか知らない。今では、ああして演説している人たちが、“王の記憶は今も巡っている”って主張しているだけだし、信じている人は……多くはないわね」

 レインが問いかける前に、リシェルは続けた。

「転生そのものは、もう珍しい話じゃないでしょう? だからこそ、“王の記憶”という形で特別視する考え方は、今の時代には合わないと感じる人も多い」

 リシェルは一瞬だけ、歩みを緩めた。

「王都の日常の一部。精霊灯みたいなものよ。あっても、なくても、すぐには困らない」

 その言葉に、レインは妙な納得を覚えた。

 精霊灯は、常にそこにある。ただ、壊れても、誰も気に留めないかもしれない。

「……少し、寂しいですね」

 ぽつりと漏れた言葉に、リシェルは驚いたようにレインを見た。

「そう?」

「はい。昔は、それで国が動いていたんでしょう?」

 リシェルはしばらく考え込むように視線を前へ向けた。

「動いていた、というより……支えられていたのかもしれないわね」

 夕暮れの光が、街路を斜めに染めていく。人々の影が長く伸び、精霊灯の淡い光と重なった。

「でも、今は違う」

 リシェルは静かに言った。

「今の王都は、記憶じゃなくて、機構で動いている」

 その言葉は、技師としての自負のようでもあり、どこか遠くを見ているようでもあった。

 レインは、胸の奥に残る感覚を言葉にできないまま、歩き続けた。

 広場に残された声と、自分の手の感覚が、微かに重なって離れない。


 呼吸を整え、ふと空を見上げると、通りの角に設置された大型の電光掲示板が、不意に画面を切り替えた。

 《大陸北方付近で武力衝突》 《死傷者多数/停戦交渉の見通し立たず》

 簡潔な文字情報と、遠景の映像。

 誰かが立ち止まることもなく、人々はその下を通り過ぎていく。

「……またか」

 ブラムが低く呟いた。

「ここ数年、途切れないわね」

 リシェルは視線だけを掲示板に向け、すぐに前を向いた。

 戦争は、遠い。

 王都ではそう認識されている。物資の流れも、生活の基盤も、今のところ影響を受けていない。

「インフラ屋にできることは限られてる」

 ハロルドが淡々と言う。

「壊れた街を直す。それだけだ」

 レインは、掲示板の映像を一瞬だけ見た。

 瓦礫、煙、逃げ惑う人影。

 それは、王都の日常とはかけ離れている。だが、同じ世界で起きている現実でもあった。

「……王都は、平和ですね」

 誰かがそう言った。

 否定する者はいなかった。

 掲示板の映像はやがて広告へと切り替わり、通りには再びいつもの光景が戻る。


 支社へ向かう通りは、王都の中心部から少し離れている。

 繁華街ほどの喧騒はないが、人の流れが途切れることはなく、昼時の人通りでにぎわっていた。

 昼休みを終えて職場へ戻るサラリーマンたち、買い物袋を提げて行き交う人々、通り沿いの店先で立ち話をする客と店員。王都アステリアの昼は、忙しなくも活気に満ちている。

 そのざわめきに、微かに別の音が混じった。通りの先から、悲鳴にも似たざわつきが波のように押し寄せてくる。

 その通りの先で、異変は起きていた。

 荷役用として繋がれていたスレイプニルが、突然、荒い息を吐きながら頭を振り始めていた。五本の脚が不規則に踏み鳴らされ、舗道に鈍い衝撃が走る。

「……様子がおかしい」

 遠目から気づいたのは、レインだった。

「スレイプニルが暴れ始めた! 離れろ!」

 誰かの叫びと同時に、人々が悲鳴を上げて散った。

 ハロルドは一瞬で状況を見切り、手のひらを低く掲げて制した。

「警戒態勢だ。刺激するな。ゆっくり距離を詰めろ」

 声は張らない。周囲の混乱とは裏腹に、指示は冷静だった。

 特継の面々は、即座に足取りを落とす。視線を合わせ、円を描くように配置についた。逃げ道と建物の位置を頭に叩き込む。

 だが、スレイプニルの荒い呼吸は収まらなかった。

 巨体が苛立つように地面を蹴る。次の瞬間、繋がれていた縄が大きく張り、鈍い音を立てて引きちぎれた。

「まずい!」

 縄が弾け飛び、周囲の悲鳴が一斉に上がる。

 ハロルドは即座に判断を切り替えた。

「ロープだ。囲め!」

 その一言で、特継の動きが切り替わった。

 誰も確認を取らない。誰も役割を問い直さない。それぞれが、最短でできることを理解していた。

 ハロルドが声を張り上げる。

「ロープ、展開!」

 合図と同時に、数人の技師が背中のケースを開いた。

 中から取り出されたのは、太く編み込まれた拘束用ロープだ。普段は重量物の固定や崩落防止に使われる装備で、戦闘を想定したものではない。

 だが、今はそれしかない。

 ロープ持ちが一斉に構え、距離を測る。呼吸が揃い、足が止まる。

「来るぞ!」

 次の瞬間、スレイプニルが大きく身を震わせた。

 ハロルドが片腕を高く掲げる。

「今だ!」

 合図と同時に、ロープが投げられた。

 太い拘束用ロープが空を切り、スレイプニルの胴へと絡みつく。最初の一本が腹部を捉え、次いで二本目、三本目と重なっていった。

「掛かった!」

 一瞬、動きが止まったように見えた。

 スレイプニルは大きく息を吸い込み、胴に巻き付いた異物を確かめるように身を強張らせる。筋肉が盛り上がり、皮膚の下で力が溜め込まれていくのが、離れた位置からでも分かった。

「構えろ……来るぞ」

 ハロルドの声が低く落ちる。

 次の瞬間、巨体が前方へと踏み出した。八本の脚が同時に地面を蹴り、ロープが一気に引き絞られる。

「っ!」

 技師たちの身体が、同時に前へと引かれた。踏ん張った足が石畳を削り、靴底が嫌な音を立てる。引き合いは一瞬では終わらない。押され、止まり、また引かれる。

 純粋な力比べが、行われていた。

 だが、次の瞬間だった。

 スレイプニルが全身をひねり、八本の脚で地面を蹴る。巨体が前へと引かれ、ロープが一斉に張り詰めた。

「持ちこたえろ!」

 技師たちが歯を食いしばり、後ろへ体重をかける。足が地面を擦り、石畳に引きずられる音が響いた。

 悲鳴が上がる。

 周囲にいた市民が逃げ惑い、転び、荷物を落とす。昼の繁華街は一瞬で混乱に包まれた。

 レインもロープを掴んでいた。

 作業用手袋越しに、凄まじい張力が伝わってくる。腕が引きちぎられそうになるのを必死で堪え、身体を低く落とす。

「……重い……!」

 ただ全力で引く。それしかできない。

 スレイプニルが頭を振り、胴をくねらせるたび、ロープが脈打つように跳ねる。

「離すな!」

 ハロルドの声が飛ぶ。

 その直後、ロープの一角が大きく弾かれ、数人の技師が宙に浮いた。

「くっ!」

 吹き飛ばされ、地面に叩きつけられる。衝撃で体が跳ね、悲鳴が遅れて響いた。

 それでも、残った者たちは手を離さない。

 ブラムが地面に拳を叩きつける。

 土の精霊の流れを変え、足元の舗道が波打つように盛り上がった。簡易的な土留めだ。

「踏ん張れ! ここは持たせる!」

 リシェルがロープを掴む。

 リシェルの手からロープの表面に水の精霊がまとわりついていき、摩擦と粘性が増す。引かれるたびに、しなやかに伸びて衝撃を逃がす。

 だが、スレイプニルの力はそれでも上回っていた。

 巨体が半身を持ち上げ、団員達は一気に引きずられていく。

 スレイプニルが大きく嘶くと、周囲の精霊灯が明滅し、装飾用の簡易魔法陣が弾け飛んだ。

「精霊の流れがおかしい!」

 必死にロープを掴みながら、レインが叫ぶ。

 その叫びが空気を切り裂いた瞬間、ロープの張力が限界を超えた。

 一本が悲鳴を上げるようにきしみ、繊維が軋む音がはっきりと聞こえる。次の一撃で切れるのが、誰の目にも明らかだった。

「離すな!」

 ハロルドの声は、怒鳴り声ではなかった。腹の底から押し出された、揺るぎのない指示だった。

 レインは歯を食いしばり、体重をさらに後ろへ預ける。肩が悲鳴を上げ、指先の感覚が薄れていく。それでも、ロープの向こう側にある“街”を思い浮かべ、手を離さなかった。

 その時だった。

 人波を割るように、一人の男が走り込んでくる。

 特継の制服でも、騎士団の装備でもない。だが、その動きに迷いはなかった。男はスレイプニルの動きを一瞬で読み取り、ロープが張られた死角へと滑り込む。

「…今だ」

 誰に向けた言葉でもない、低い独り言。

 男はロープを踏み台にして跳び上がった。

 巨体の側面に足をかけ、反動を殺しながら背へと回り込む。五本脚が暴れ、胴体がうねる中で、男の動きだけが異様に滑らかだった。

「何を…!」

 誰かが声を上げかけたが、続かなかった。

 男はスレイプニルの首元へと体を寄せ、額に手を当てた。殴るでも、抑え込むでもない。まるで、耳元で言葉をかけるような距離だった。

 次の瞬間、精霊の流れが変わった。

 爆発的でも、派手でもない。ただ、乱流だったものが、一本の流れへと収束していく感覚。

 レインは、はっきりとそれを感じ取った。

「……流している?」

 男はスレイプニルの頭部へ、直接、精霊を送り込んでいるように見えた。外から押さえつけるのではない。内側で溢れていたものを、静かに逃がしている。

 スレイプニルの動きが、目に見えて鈍った。

 荒かった呼吸が落ち着き、八本の脚が一つ、また一つと地に着く。ロープにかかっていた張力が、ゆっくりと抜けていく。

「……下がれ」

 男が短く言った。

 ハロルドは一瞬だけ迷い、すぐに判断する。

「ロープ、緩めろ。段階的にだ」

 合図とともに、技師たちが少しずつ力を抜いていく。誰も一気には離さない。最後まで、スレイプニルから目を離さなかった。

 完全に張力が消えたとき、スレイプニルはその場に膝を折るようにして座り込んだ。

 昼の繁華街に、静けさが生まれた。

 遠くで泣き声が聞こえ、誰かが安堵の息を吐いた。

 男はスレイプニルの首元から降り、ゆっくりと地面に立つ。

「怪我人は?」

 それが、彼の最初の言葉だった。

 一瞬、誰も答えられなかった。

 ロープを握っていた手が、ようやく力を失い、何人かがその場に腰を落とす。荒い呼吸と、遠くのざわめきだけが残っていた。

「軽傷が数名。市民に大きな怪我人はいません」

 最初に状況をまとめたのはハロルドだった。視線は男から離さない。

「あなたは?」

 問いかけに、男は少しだけ眉を上げた。

「カイルだ」

 名乗りはそれだけだった。

 年の頃は三十代半ばほどだろう。派手さのない短く整えられた髪に、日に焼けた肌。装飾のない実用的な服装は街中に紛れ込めるものだが、姿勢と視線には妙な落ち着きがあった。騒ぎの直後だというのに、呼吸一つ乱れていない。

「精霊種保護区の職員をしている」

 その言葉に、ブラムが納得したように声を上げた。

「保護区、か」

 カイルはスレイプニルの額に軽く手を置き、そのまま視線をこちらに戻した。

「保護区でも同じ症状が、何件か出ている。精霊の流れが急に乱れるようだが、理由はまだ掴めていない」

 レインは、その言葉を黙って聞いていた。

『…同じ症状…』

 昨日の作業で感じた違和感と、今目の前で起きた暴走が、一本の線で繋がった気がした。

「詳しい話は、技師団の支社で出来るか?」

 ハロルドが短く言う。

「ちょうど、この件で向かおうとしていたところなんだ。偶然とは面白いもんだな!」

 カイルは笑顔で頷いた。

「そうなのか? 正直、問題事はご免なんだが……ここは警察に引き渡せばいいな」

 カイルとは違い、ハロルドは苦い表情で答えるしかなかった。

 ちょうどそのタイミングで、通りの両端から警官たちが駆けつけてきた。手早く周囲を整理していく。

「怪我人をこちらへ! 通行規制を!」

 指示が飛び、昼の繁華街は、少しずつ秩序を取り戻していった。

 特継の面々も、自然と動き出す。

 倒れた看板を起こし、割れた精霊灯の出力を落とし、簡易的な安全確保を行う。警官たちはそれを当然のように受け取り、事故処理を進めていった。

 軽傷を負った者たちは、到着した緊急車両に乗せられ、順に搬送されていく。赤い回転灯が昼の街路に反射し、騒ぎが現実の出来事だったことを静かに示していた。

 昼の喧騒は、まだ完全には戻らない。

 だが、人々は少しずつ足並みが整い、店先に戻り、通りは再び流れを取り戻し始めていた。

 レインは、通りの先で落ち着いた様子のスレイプニルを一度だけ振り返る。

 街は、何事もなかったかのように動き出す。

 だが、確かに異変は起きていた。

「さぁ、帰るぞ!」

 ハロルドの声に、全員が頷き、カイルと共に支社への帰路についた。

なんとか、2話目を書き終えました。

だんだんと本質へ向かってこれています。

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