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キミに会えるのは1ヶ月に23日

作者: 十六夜

「痛み止め、持ってるよ。ロッカーの中にあるから、今持ってくる」


 そう言って、結城真尋ゆうきまひろは自然に立ち上がった。


 体育明けで顔をしかめていたのは、隣の席の春川紗季はるかわさき

 小声で「あー、……」と呟いただけだった。


「ありがと……でも、どうして?」


「顔、ちょっと青かったし。お腹のとこに手を当ててたし。なんとなくかな?」


「……なんとなく、ね?」


 結城真尋は――優しすぎる。

 しかも、それが変に見えないのがすごい。

 下心も、狙いも、まるで感じさせない自然な気配り。

 クラスの女子に、寒い日にカイロを渡したり、機嫌の悪そうな子がいればチョコレートを配ったりしている。

 1年生の女子の間では「気配り上手の真尋くん」なんて言われている。


 (彼のあの優しさは、どこから来るんだろう?)



 高校が始まって3ヶ月。

 だんだんクラスが落ち着き始めてきた6月の終わり。

 梅雨に入りジメジメとした日が続いていた。

 ホームルームが始まり、先生がいつものように出席を取り始める。


「結城……今日は休みか。また体調崩したのかな」


 真尋が休むことは珍しくない。

 サボるタイプには見えないが、4月と5月も1週間ほど休んでいた。


(何か病気なのかな?)


 休み時間、紗希は隣の空いた席を覗いてみた。

 彼の机の中からチラリと見えた整頓された持ち物。

 携帯カイロ、よく知っている痛み止めの箱、チョコレート。



「おはよう」


 1週間後、元気な顔で真尋はクラスに入ってきた


「ねえ、結城くん。1週間も休んでいたけど何か病気だった?  インフル?」


 隣の席の紗希が、なるべく軽い調子で尋ねた。


「いや、そういうのじゃないから。ありがとね、心配してくれて」


 真尋が笑って答えた。


「まあ、元気そうならよかった。あー、ノート。貸してあげよっか?」


「えっ、いいの? 助かる! ていうか……春川さん、めっちゃきれいな字だね」


「え?  そうかな?」


「うん。見やすくて、丁寧で、分かりやすいよ」


「もー、褒めても何も出ないよ」


 紗希は笑いながら真尋の肩を叩いた。

 

「それにしても、病気じゃなかったんだ」


「うん。でも、ちょっと体調が……」


「ふうん。毎月、だいたい同じ時期に?」


「えっ」


 結城の手が、教科書を取り出しかけたところで止まった。


「……たまたま重なってるだけだよ。偶然、偶然」


「偶然って言うけど3ヶ月連続だよ」


「……ほんとに、ただの体質みたいなもんだよ」


「ふーん、そうなんだ。でも」


「でも?」


「なんかね。ちょっと似てるなって、思って」


「何が?」


「女の子の日」


 真尋はしばらく声を失った。



「真尋くん、今日の小テスト、ちゃんとできた?」


「え? あー、……」


 真尋が気まずそうに頭をかくと、紗希はため息をつきながら、仕方ないなという顔で笑った。


「ほら、これ。要点まとめてあるし、線も引いてあるから。これで期末の点数は少しは良くなるんじゃない」


「……え、紗希すご。丁寧すぎない?」


「これくらい普通でしょ」


 そう言いつつ、どこか得意げに微笑む。

 見やすくマーカーが引かれ、端には付箋まで貼られていた。

 文字もきれいで整っていて、見ただけで頭に入ってくるようなプリントだった。


 紗希は、たまに少し抜けているところもあるが、月に必ず1週間休む真尋を何かと気にかけてくれていた。


「紗希ありがとう、マジで助かるよ」


「うん。真尋くんもちゃんと恩返ししてよね」


「え……?」


「何にしようかなー?」


 紗希はそう言ってから、ふふっと小さく笑った。


 紗希のふとした瞬間の仕草が、笑い方が、声のトーンが、真尋の心に残る。

 授業中、紗希が前を向いて何気なく髪をかき上げた仕草が妙に気になったり、飲み物を口に運ぶ指先を目で追ってしまったり。

 紗希がそれに気づいて、真尋が慌てて目を逸らしたことも度々あった。



 夏が終わった。

 年々暑くなる8月が終わり、まだまだ暑い二学期最初の登校日。

 久しぶりの制服の違和感と下腹部の鈍い痛みを感じながら、紗希は登校した。

 チャイムが鳴り、みんなが席に着く。


 ほとんどの席が埋まっていたが、紗希の隣の席は――空席だった。

 久しぶりのホームルームで担任が出席をとる。


「今朝連絡があって、結城は休みだ」


(……あれ? いつもは月末なのに……)



 11月のはじめ。

 二学期も半分が過ぎ、教室の空気はどこか年末を意識し始めていた。

 季節は秋本番。

 朝の空気は冷たく、制服の上に羽織ったカーディガンだけでは少し心許ない。


「今日、結城は欠席だ」


 ホームルームの教師のその一言で、春川紗希は小さく息を止めた。


(また――?)


 紗希の体調は、その日あまりよくなかった。

 月初め。

 毎月のこと。

 今日がちょうど、生理の2日目。


 腰は重く、下腹部が鈍く痛む。

 それでも、いつも通りに学校に来た。


 今月も真尋の席が、空いている。

 夏休み明けの9月がそうだった。

 10月も。


(これで、3回目……)


 最初は偶然と思っていた。

 でも、毎月、月の頭に自分が体調を崩すと、真尋がいない。

 ここまで重なれば、さすがに気になる。


「先生、真尋またですか?」


 授業後、近くにいた男子が問いかけると、先生は苦笑しながら答えた。


「ああ、今朝連絡が来たよ。毎度すみませんって」


(……ほんとに、なに?)


 自分が生理になるたびに――なぜか、彼が学校を休む。

 偶然だと笑い飛ばすには、ちょっと続きすぎている。


 気づけば、紗希の視線は隣の机に向いていた。

 整頓された机の中に、見覚えのあるものが目に入る。

 小さなカイロ、痛み止めの箱、薄いピンクのパッケージのチョコレート。



 放課後、教室を出てすぐの階段で、紗希はスマホを取り出した。


 通知はない。

 でも、ずっと気になっていた。朝からずっと。

 会話アプリのトーク画面を開く。

 最後にやりとりしたのは昨日の夜。


 <体調大丈夫?>


 送信ボタンを押すと、すぐに「既読」がつく。

 少しして、返信が届く。


 <大丈夫。ちょっと疲れてるだけ>


 短く、よそよそしい。

 絵文字も顔文字も、何もない。 


(……本当に、“大丈夫”ならいいけど)


 なんとなく違和感があった。

 言葉じゃない。

 普段の真尋は、もっと相手に気を遣うタイプだった。

 <ありがとね>とか<心配かけてごめん>とか、きっと何か一言添えるはずなのに。


 それがない。

 だから、余計に――気になった。


 足は自然に動いていた。

 帰り道の途中、住宅街の路地に差しかかる。

 真尋の家は、紗希の家から二駅離れたところにある。

 夏休みのグループ課題で一度訪れたことがあったから、場所は覚えていた。


 呼び鈴を押す前、少しだけ迷った。


(勝手に来るの、迷惑かな?)


 しかし、自分の体調不良が、真尋の体調不良に何か関係があるのかも。

 もし何か関係があったなら、話し合えば解決法が見つかるかもと思い、勇気を出して呼び鈴を押した。


 ピンポーン。


 インターホンの音が、静かな夕方の住宅街に響く。

 すぐには応答がない。

 不在なのか、それとも出たくないのか――


 もう一度押そうか迷ったそのとき、カーテンの隙間がふわりと揺れた。

 誰かが、こちらを見ていた。


 数秒後。

 玄関のドアが、ゆっくりと開いた。


 そこにいたのは――

 パーカーのフードを深くかぶり、顔の半分ほどを隠した真尋だった。


「……紗希、どうして……?」


 真尋の声がいつもより高く、お姉さんか妹が出たのかと思った。

 大きめのパーカーだったが、体の線がどことなく丸みを帯びているように思える。

 体調不良、というより――まるで、何かを“隠している”ように見えた。


「心配だった。……大丈夫って言ってたけど、ちょっと変だったから」


 正直に言った。

 探るつもりも、責めるつもりもない。


 真尋はしばらく黙ったまま、視線を足元に落とした。


「……誰にも見られたくないんだ。……入って」


 ためらいがちに、真尋は玄関の扉を開いた。


 紗希は軽く会釈して中に入り、真尋の後ろを静かに歩いた。

 通されたのは、整ったリビング。

 夕日がレースカーテン越しに差し込み、空気は静かで、少しだけ張り詰めていた。


「座ってて。お茶、淹れる」


「……うん。ありがとう」


 紗希はソファに腰を下ろし、部屋を見渡した。

 壁際に本棚。

 その上には小さなカレンダーが置かれていて、今月の頭の数日間に小さく丸印がついていた。


(何の印だろう……)


 そう思いかけたとき、足音とともに真尋が戻ってきた。


「はい、どうぞ。ルイボスティーだけど」


「ありがと。私もたまに飲むよ。ママからカラダ温まるからって」


「……うん。そうだよね」


 やはり、真尋の声ではない。

 声が高くて、女の子と喋っているみたいだ。

 ふと紗希が顔を上げると、真尋は目をそらした。


 しばしの沈黙。

 ティーカップを持つ指先が、微かに震えていた。


「ねえ、真尋が体調が悪いのて私のせい?」


「うん?」


「私、たぶん……何かおかしいなって」


「違うよ」


 真尋は即答した。

 

「じゃあ、何? 何か隠してるってわかる。でも、それを知りたいって思ったの」


「……そっか」


 真尋は、ゆっくりと口を開いた。


「変な話って思われても仕方ないんだけど……俺、月に一度、決まって体調が悪くなる時期があるんだ」


「……うん」


「そのときだけ……身体が変わる。見た目も、中身も」


「“変わる”って……どういうこと?」


「……女の子になるんだ」


 紗希のティーカップが口元で止まる。


「それって……そういう比喩とかじゃなくて?」


「いや。現実の話。親しか知らない。学校にも、誰にも言ってない」


「……」


「毎月、決まった時期に、身体が女の子みたいに変化するんだ。体のラインとか、感覚も。……それで、生理がくる」


 言葉にした瞬間、真尋は自分の手を強く握りしめた。

 そして、パーカーを脱いでTシャツ姿になった。

 肩のラインは緩やかに下がり、少し胸が盛り上がっているのが見えた。


「病院には行っていない。普通じゃない。こんな話だれが信じる? だから……誰にも言えなかった」


「……なんで、今、私に?」


「……どうしてかな? たぶん、バレるのが怖くなるくらい、そばにいてほしくなったからかな」


 紗希はしばらく黙っていた。

 静かに、真尋の目を見ていた。

 そして、そっと一言だけ言った。


「ありがとう。話してくれて」


 その言葉が、真尋の胸をかすかに揺らした。


「……びっくりしない?」


「うん、びっくりした。すごく」


 しばらくの沈黙のあと、真尋がぽつりと呟いた。 


「……なあ、紗希」


「ん?」


「……生理ってさ、ほんとに大変だよな」


 紗希は、ふっと苦笑した。


「うん。慣れてても、やっぱり毎回しんどいよ。腰も痛いし、頭もぼーっとするし」


「だよな!! 俺、最初のとき、ほんとにびっくりした。お腹が、重くて痛くて、でも熱っぽくて。なのに熱はないし。頭は働かないし、ちょっと動いただけで疲れて、気持ち悪くなって、最悪で……」


 言葉が止まらなくなった。


「なんでこんなに辛いのに、普通にみんな学校来てるの? なんで『生理なんて甘えだろ』みたいなこと言う人いるの?  俺長男だけど、2日でギブアップだったよ。女子って、強すぎない?」


 語るうちに、真尋の声は少しずつ熱を帯びていく。


「四六時中イライラするし、立ってるだけでもしんどい。暑くなれば蒸れるし、風呂に入るのも気を使うし。……あれ、ずっと抱えてるの、本当にすごいと思う。っていうか、マジで理不尽だと思う」


 真尋はティーカップを持ったまま、目を伏せた。


「……俺、高校に入るまで男として生きてるときは、そんなことひとつもわかってなかったんだよ。ただの『女子特有のあれ』くらいに思ってた。なのに、自分がその痛みを知ってから、やっと分かったんだよ」


 紗希は、その言葉に息を呑んだ。


「たった月に一回、たった数日だけでも、心が折れそうになる。なのに、女子たちはそれを毎月、何年も……。なんでこんなこと」


 カップの中のルイボスティーは、いつの間にか冷めていた。

 けれど、ふたりの間に流れていた空気は、ゆるやかにあたたかかった。

 言葉を交わさなくても、互いが互いの輪郭を確かめ合うような、そんな静けさだった。


 ふと、紗希が口を開いた。


「ねえ……ちょっと、変なこと言ってもいい?」


「うん」


 真尋がうなずくと、紗希は確信してるかのように話した。


「もしかして、私たち……生理、かぶってない?」


 真尋は、思わずまばたきをした。

 

「……え?」


「最初はほんとに気づいてなかった。でも、私がつらい日に、毎回真尋が学校休んでて。最初は偶然って思ったけど、今日で3回目でしょ? さすがに、もう……」


 言いながら、自分でも少し可笑しくなって、紗希は苦笑した。


「これって、よく“女の子同士”であるって聞くじゃん? 一緒にいる時間が長いと、周期が揃ってくるって」


「……うん、医学的に証明されてないけど、たまにあるらしいね」


「たぶん、私たちもそれ、なってるよ」


 そう言って、紗希は真尋を見た。

 まっすぐに、ためらいなく。


「ねえ、それってちょっと……すごくない?」


「……うん。ちょっとどころじゃなく、すごいかも」


 真尋がうつむきかけたとき、紗希が小さく言った。


「私ね……たぶん、好きなんだと思う。真尋のこと」


 その声は、驚くほど静かだった。

 でも、はっきりしていた。

 言葉に迷いも照れもなかった。

 まるで「今日このために来た」とでも言うような、そんな響きだった。


「……え?」


 真尋の口から思わず声が漏れる。

 

「生理のことも、女の子になるってことも、まだ全部は理解しきれてない。正直びっくりした。でも、それでも思うんだ。私は、真尋のことをもっと知りたいし、一緒にいたいって」


「……そんな、俺みたいなのでも?」


 紗希は静かに頷いた。


「俺みたいなのじゃなくて、真尋だから。優しくて、頑張ってて、笑い方がちょっと不器用で……でも、私のこと見てくれてたでしょ?」


 言われた瞬間、真尋も本当のことを言う決意ができた。

 

「……俺も、好きだ」


 小さな声だった。

 でも、真尋にとって、それは初めての“告白”だった。

 この身体を持つ自分ごと、誰かを好きになっていいと思えたのは、今日が初めてだった。


「ほんと?」


「うん、ほんと。……すごく、好き」


 その言葉に、紗希はふっと微笑んだ。

 真尋は少し驚いたように見えたが、すぐに頷いた。


 カーテンの向こう側には、大きな丸い月が静かに輝いていた。



 休み時間、いつもの教室。

 結城真尋と春川紗希は、何気ない口げんかをしては、周囲のクラスメイトを笑わせていた。

 ふざけ合って、笑い合って、でもどこか距離が近い。

 気がつけばふたりは、すっかりそういう感じとして定着していた。


 真尋の秘密を知っているのは、家族以外は紗希だけ。

 だけど、真尋にはそれで十分だった。


 月初め。

 紗希は空いた隣の席を見ていた。


「今日から学校では1週間は会えないのか」

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