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暗い影

バージニア州ラングレー、CIA本部。

その会議室は、ホワイトハウスの公式なシチュエーション・ルームとは異なり、地図も国旗も掲げられていなかった。防音壁に囲まれた、記録に残らない部屋。


そこにいるのは、CIA長官、国家安全保障担当補佐官、そして特殊活動センター(SAC)の部長という、アメリカの「闇」を体現する男たちだった。

部屋の空気は、ベルリンでの静かな勝利とは対極の、敗北の屈辱と次なる一手への渇望で満ちていた。


「…結論から言おう」


CIA長官が、重々しく口を開いた。

その声には、数ヶ月前の怒号のような感情はなく、氷のような冷たさだけがあった。


「政治、経済、外交、サイバー攻撃。我々が欧州に対して仕掛けた全ての“健全な”手段は、失敗した。彼らを屈服させることはできず、逆に欧州の結束と、ロシアへの依存を強めるという、最悪の結果を招いた」


彼は、部屋の中央に浮かぶタッチディスプレイを操作した。

そこに、ロシアと欧州の主要人物たちの顔写真が、相関図と共に表示される。


「ならば、残された選択肢は一つしかない。この連携を、物理的に破壊する」


長官の声が、一段と低くなった。


「システムを破壊できないのなら、システムを動かしている人間を、取り除けばいい。誰かを、消す」


特殊活動センターの部長が、冷静に分析を始めた。


「大統領ソクーロフ、あるいは前大統領ペトロフ。どちらも影響力は絶大ですが、あまりに露骨すぎる。我々の関与がわずかでも疑われれば、第三次世界大戦の引き金になりかねない」

「では、ドイツのディートリッヒ会長か?」

「経済界の人間を消しても、代わりはいる。影響は一時的です」


議論が行き詰まった時、国家安全保障担当補佐官が、部屋の隅で黙って分析を続けていた、一人の若い男に視線を向けた。


ダニエル・キム。

前回の危機で、その卓越した分析力によって、この部屋への参加を許された、新世代の戦略家だ。


「キム博士。君の意見は?」


ダニエル・キムは静かに立ち上がった。

その目は、人物の顔ではなく、彼らを結ぶ無数の繋がり…ネットワークそのものを見ていた。


「ターゲットは、セルゲイ・ヴォルコフ以外にあり得ません」


キムは、何の感情も込めずに断言した。

彼はディスプレイを操作し、相関図の中心にヴォルコフの写真を据えると、全ての線が彼に収束するように再構成した。


「皆様は、ロシアの計画を、大統領を頂点とするピラミッドだと誤解しておられる。違います。これは、ヴォルコフというハブを中心とした、ネットワークなのです。彼は単なる管理者ではない。彼こそが、この巨大なシステムの設計者であり、エンジンであり、そして唯一無二のオペレーティング・システムです」


キムの指が、ヴォルコフから伸びる線をなぞる。


「彼を失えば、核融合炉は制御システムを失い、月面基地はコンセプトの段階で座礁する。欧州との蜜月も、その中心人物を失えば必ず綻びが生まれる。何より、あの『2060年』という、我々がかろうじてつかめた彼らだけが知る狂信的な目標に向かって進む、巨大な機関車のエンジンが止まるのです。ロシアの宇宙開発を、最低でも10年は後退させることができるでしょう」


そして、キムは最後の、最も重要な点を付け加えた。

その声は、囁くように静かだった。


「彼は、軍人でも、政治家でもない。ロスコスモスという、表向きは国営宇宙機関の長官にすぎない。彼の死が、もし完璧な“事故”や“不幸な事件”として処理されれば、世界はそれを悲劇として報じるだけで、誰もその裏にある我々の影には気づかない。我々には、完璧な『もっともらしい否認』が残されるのです」


会議室に、深い沈黙が落ちた。

それは、同意の沈黙だった。


政治・経済の戦争に敗れたアメリカの闇は、最もシンプルで、最も野蛮な、そして最も効果的な結論へと、静かに達した。

国家安全保障担当補佐官は、CIA長官の目を見て、ゆっくりと、そして一度だけ、深く頷いた。

CIA長官は、机に置かれた暗号化された通信端末を手に取ると、ただ一言だけ、簡潔に命じた。


「…キメラ作戦オペレーション・キメラを発動。ターゲットは“ヴォルコフ”。手段は問わん。痕跡を残すな。実行せよ」


ディスプレイの中で、セルゲイ・ヴォルコフの顔写真の上に、赤いターゲットマーカーが、音もなく重なった。

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もし、宇宙人側も過去に情報を送り込んでいる、あるいは工作員を潜入させているなら……?
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