灼熱の洗礼
本日は2話同時投稿です。こちらは2話目です(._.)
2011年 初夏。
バイコヌールの草原が、週に二度、時には三度、地の底から湧き上がる轟音に震えた。
夜空は、天へと駆け上がるソコルの軌跡によって、繰り返し切り裂かれる。
メディアはそれを、ロシアが打ち上げる「鋼鉄の矢」と呼んだ。
その一本ずつが、地球静止軌道に浮かぶ、人類史上最も野心的な建造物の骨格となっていく。
モスクワ、ロスコスモス地下作戦室。
その空気は、打ち上げの熱狂とは無縁の、静かな焦燥に満ちていた。
「まただ」
設計主任のコマロフが、モニターに映る赤い警告灯を睨みつけ、唸った。
「ドイツ製の高圧バルブ、税関で差し止め。理由は『最終用途の再確認が必要』。
連中は、我々がOD-2でウォッカでも蒸留すると思っているのか」
「手は打ちました」
パーヴェルが、平然と別のファイルを開く。
「インドの重工業メーカー経由で、同等スペックの代替品をすでに確保済みです。
今夜のソコルには、そちらを積む」
「同等、だと?」
コマロフは、その言葉に噛みついた。
「あのインド製バルブの耐熱サイクルは、ドイツ製の八割だぞ。
そんな“騙し騙し”の部品で、あの真空炉、《怪物》を動かす気か!」
「動かすんだ、コマロフ技師」
その会話を遮ったのは、部屋の主、ヴォルコフの静かな声だった。
「完璧な部品が揃うのを待っていては、我々はアメリカが作った『規則』という名の檻の中で飢え死にするだけだ。
我々は、今ある武器で戦う」
コマロフは、それ以上何も言わなかった。
ただ、自らが設計した「怪物」OD-2の心臓部、裸の炉の設計図を、祈るように見つめるだけだった。
2011年 晩夏。
地球から35786キロ、静止軌道上空。
そこに浮かぶ裸の炉は、美しい宇宙ステーションとは似ても似つかない、無骨で危険な姿をしていた。
増設されたばかりの基本骨格に、むき出しのパイプラインが血管のように走り、仮設の放熱パネルが、まるで昆虫の翅のように頼りなく広がっている。
隣り合う居住スペースハブからこの光景を見ていた宇宙飛行士、アンドレイ・ソロキンは、思わず呟いた。
「地上管制、こちらソロキン。…あれは本当に我々が制御できる代物なのか?
まるで檻から出す前の、飢えた獣だ」
そして、その獣に、最初の餌が与えられた。
先日捕獲された4mの小天体が、巨大なアームによって、ゆっくりと炉心へ投入される。
世界中が、ライブ映像を固唾をのんで見守っていた。
ヴォルコフが、マイクのスイッチを入れる。
「…点火」
その一言で、炉心内部にプラズマが生成され、数百万度の熱が小天体から採取した鉄とニッケルの塊をバターのように溶かし始めた。
凄まじい電磁誘導の力で溶けた金属が、真空炉を回す遠心力によって、不純物と分離されていく。
やがて、炉の排出口から灼熱の光を放つ純粋なニッケル鉄の奔流がゆっくりと吐き出された。
それは無重力空間で完璧な銀色の球体となり、やがて冷却され、鋳型へ収まっていく。
人類が地球の外の資源を使い、宇宙で最初の「製品」を作り上げた瞬間だった。
モスクワの司令室は、爆発的な歓声に包まれた。
ソクーロフからの祝電が読み上げられ、技術者たちは抱き合って、この歴史的な勝利を祝った。
ヴォルコフも、その瞬間だけは、固く握りしめていた拳をわずかに緩めた。
だが、勝利の女神は気まぐれだった。
歓声が止んだ直後、甲高い耳をつんざく警告音が、司令室の空気を切り裂いた。
WARNING: COOLANT PUMP B-07, PRESSURE LOST.
HEAT-SINK RADIATOR, EFFICIENCY 81%... 75%... 68%...
CORE TEMPERATURE: CRITICAL
「…インド製のバルブだ!」
コマロフが絶叫した。
無理な連続稼働の負荷に代替部品が耐えきれなかったのだ。
予備ポンプに切り替わらない。
仮設の放熱板は限界を超えた熱を宇宙に捨てきれず、飽和状態に陥っていく。
スクリーンに映る炉心の温度計が、見る間に赤の危険領域へ突き進む。
「このままでは、あと十二分で炉心が構造的限界を迎える! メルトダウンだ!」
「ソロキン!」
マイクをつかみ、怒鳴り同然のヴォルコフの声が宇宙のソロキンへ飛んだ。
「船外活動準備! 緊急冷却パネルを手動で展開しろ!」
「無茶です、長官!」
地上の管制官が叫ぶ。
「炉から漏れ出す熱放射は、宇宙服の耐熱限界を超えます!」
「やるしかない!」
宇宙空間。
アンドレイ・ソロキンともう一人の飛行士が、灼熱地獄と化した裸の炉へ飛び出す。
彼らのヘルメットのバイザーには、炉心から放射される強烈な赤外線が、赤い陽炎となって映り込んでいた。
「クソッ、熱い…! グローブが溶けるぞ…!」
「アンドレイ、切り替えレバーはそこだ! 回せ! 急げ!」
地上のコマロフの声が雑音混じりに響く。
「固くて動きません! 切り替え用ジョイントが焼き付いてる!」
ソロキンはこわばった声を上げた。
決死に彼はレバーにしがみつき、力の限り引きにかかる。
だが、びくともしない。
破局まで残り五分。
ソロキンは命綱を握る相棒に叫んだ。
「…殴るぞ! レンチで、ジョイントを!」
「馬鹿か! 衝撃で配管が折れたら終わりだぞ!」
「やるしかないんだ!」
ソロキンは船外活動用のレンチを渾身の力で、焼き付いたレバーの根元に叩きつけた。
ガツン、という鈍い衝撃が彼の腕に伝わる。
一瞬の静寂。そして固着していたレバーが、軋む音を立ててわずかに動いた。
司令室に再び歓声が上がる。
緊急用の冷却パネルが、巨大な白い翼のように展開し、炉心の熱を猛烈な勢いで宇宙へ放出し始めた。
温度計の赤い針が、ゆっくりと、しかし確実に安全領域へ戻っていく。
2012年 正月。
あの夏の灼熱の洗礼から半年後。
「最初の溶解」の成功と、その後の危機的状況を乗り越えたニュースは、逆に世界中の投資家を熱狂させた。
ロシアは問題を自らの力で乗り越えられるということを証明したのだ。
その潤沢な資金で、裸の炉は新たな装甲を纏い始めていた。
恒久的な多層シールド、正規のドイツ製部品で組み上げられた冷却システム、そしてサッカー場ほどの面積を持つ巨大な放熱板。
かつて飢えた獣のようだったそれは、今やいかなる攻撃にも耐えうる、重装甲の要塞へと姿を変えつつあった。
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