非市民
2010年、初秋。モスクワの空は高く、夏の名残である緑と、冬の先触れである黄金色が、木々の葉の上で静かにせめぎ合っていた。
ロシアは、新しい指導者を迎えていた。
スタニスラフ・ソクーロフが大統領として組閣を終え、クレムリンの主となったのだ。
強烈なカリスマと鉄の意志で国家を牽引したヴィクトル・ペトロフは、表向き公職を退き、与党「統一ロシア」の議長として、国政の背後から静かに影響力を行使する立場へと移っていた。
その日、ロスコスモスの執務室でOD-2の資材調達リストと格闘していたセルゲイ・ヴォルコフの元に、一本の電話が入った。
クレムリンの、大統領府直通の秘匿回線からだった。
クレムリンの主執務室は、ヴォルコフの記憶にあるペトロフ時代のそれとは、空気がまるで違っていた。
葉巻の濃密な匂いは消え、代わりに、磨き上げられた木材と古い革張りの書籍が放つ、知性的で、どこか冷たい香りが満ちている。
権力者の圧ではなく、法の支配者の、静かな権威がそこにはあった。
「多忙な中、すまないね、セルゲイ」
ソクーロフは、執務机から立ち上がると、自らヴォルコフに歩み寄り、固い握手を交わした。
その仕草には、ペトロフのような有無を言わせぬ迫力はない。
だが、そのレンズの奥の瞳は、まるで契約書の細則を吟味するかのように、ヴォルコフの反応を冷静に分析していた。
「座ってくれ。君に、直接伝えておくべきことがある」
二人は、窓際に置かれたソファに腰を下ろした。
「まず、国家の最重要機密について。ペトロフ前大統領から、全て引き継ぎを受けた」
ソクーロフはそう切り出し、わずかに自嘲的な笑みを浮かべた。
「正直に言おう、セルゲイ。最初に前大統領から全てを聞かされた時、私はまず、彼の精神の健康を本気で心配した。
荒唐無稽なSF小説か、あるいは長年の重圧が生んだ壮大な妄想ではないかとね。……君がこの数年で成し遂げた、あの“あり得ない”成果の数々を見るまでは」
その言葉は、彼がこの計画をペトロフとは全く違う角度から――つまり、熱狂や直感ではなく、積み上げられた事実と結果によって、法廷で証拠を固めるようにして、ようやく信じたことを示唆していた。
「だからこそ、君の知恵を借りたいのだ」
ソクーロフの表情から笑みが消えた。
彼は、テーブルの上に置かれた一枚の地図を指差した。
バルト海に面した、三つの小さな国。エストニア、ラトビア、リトアニア。
そのうち、エストニアとラトビアの上をソクーロフの指が滑る。
「エストニアとラトビアにおける、ロシア系住民の問題だ」
その声は静かだが、無視できない重みを帯びていた。
「ご存知の通り、彼らは市民権や公用語の使用において、深刻な人権上の制限を受けている。
両国がゼロ・オプションを拒絶したから、な。
しかし彼らもまた、かつては我々と同じ国家に生きた同胞たちだ。
私は、この現状を座視し続けることはできない」
ヴォルコフは、ソクーロフの真意を探るように、静かに耳を傾けていた。
「だが」
ソクーロフは続けた。
「我々が今の良好なEUとの関係をテコに、ドイツやフランスを通じて彼らに改善を要求したところで、どうなる?
エストニアとラトビアの政府は、それを内政干渉だとして、より意固地になるだけだろう。
彼らにとって、反ロシアこそが国家のアイデンティティそのものなのだから」
彼は、ヴォルコフの目を真っ直ぐに見据えた。
「ペトロフ前大統領ならば、これを『大戦略における、許容すべき小さな犠牲』として割り切ったかもしれない。
だが、私にはできない。法の支配と人権を重んじると世界に公言している、この私が、だ」
「かといって、この問題で西側との関係を揺るがし、君が進めている、あの“本当の戦争”への準備を遅らせることも、断じて許されない」
ソクーロフは、わずかに身を乗り出した。
「戦車でも、経済制裁でもない。
もっと別の、我々の手を汚さずに、しかし確実に、両政府の態度を改めさせる方法。
そんな、外科手術のメスのような、君ならではの知恵はないものか、と」
ヴォルコフは沈思黙考した。
これは、ペトロフが出したことのない種類の課題だった。
ペトロフが求めたのは、常に国家の利益を最大化するための、巨大な槌や斧だった。
だが、今、目の前の法の目の男が求めているのは、より繊細で、より狡猾な、一本の針だった。
ヴォルコフの頭脳が、この難問を解くために、未来の技術、地政学、経済、そして人間の心理という膨大なデータベースを、高速で検索し始めていた。
執務室に、深い沈黙が落ちた。
補足:
今回の話に出てくるゼロ・オプション(国籍に関するゼロ・オプション)についての補足です。もしソ連史に興味があれば一読ください(核兵器取り扱いのゼロ・オプションとは別のものです)。
※2025.07.31 朝日新聞GLOBE+の"ロシア人ジャーナリストが多く亡命 選挙でも一定の勢力 ラトビアに見る多言語共生の姿" のような記事に危機感を覚えたので、単純化されがちな問題の補足となります。
①ゼロ・オプション:
ソ連解体後、バルト三国の一部では、当時常住していた住民に新国家の国籍を自動付与せず、言語試験などの条件を課す形で「非市民/無国籍」の制度が生まれました。(旧ソ連構成国の過半はロシアも含め無条件国籍付与を実施しています。)
ラトビアやエストニアでは、この制度によって旧ソ連系の人々は、居住や就労、参政の権利が制限され、所得や教育、医療へのアクセスにも格差が生じることとなりました。平均寿命の統計にもその影響が現れ、制度の下での生活は時に"社会的排除に近い状態"となることもありました。
国際機関である欧州人権裁判所や国連は、繰り返しこれを人権侵害として批判してきました。2025年現在、この層は高齢化(死去)や帰化・移住の影響で縮小しつつありますが、完全な解消には至っていません。若年層においても、母語が失われるケースが多く、言語や文化を失う影響は依然として続いています。
一定の譲歩として、エストニアでは2015年、ラトビアでは2020年に、非市民同士の子どもが一定の条件を満たせば国籍を取得できる制度が導入されました。ただし、過去に遡っての付与措置はなく、それ以前に生まれた非市民やその家族にとっては、依然として格差が残る状況です。
なお独立直前の時点で、旧ソ連系言語を母語とする層は、エストニア・ラトビア共に人口の約4割を占めていました。
こうした制度は、単なる法律上の問題にとどまらず、個人の人生や家族関係、社会的地位に深く影を落としています。たとえば、非市民としてカテゴライズされた高齢者の中には、医療や年金の制限に直面し、日常生活での選択肢が大きく制約される人もいます。また、若い世代は母語や文化の喪失に直面し、自らのルーツを実感できないまま成長することもあります。
ゼロ・オプションがもたらした非市民の存在は、法制度のもとでラトビア・エストニアの社会的に見えにくくされてきた現実があります。
しかし統計や個人の生活にその影響は確実に刻まれています。国際社会は長年、この状況を人権問題として注視していますが、完全な解消にはなお時間を要するのが現状です。
②リトアニアはゼロ・オプションを採用し、この点に関してはEU基準(コペンハーゲン基準)に適合済みです。一緒にまとめられがちなバルト諸国ですが、この点は明確に運用が分かれています。
ではなぜエストニアとラトビアをEUが(制度的にはまず加盟不可であったのに)抱き込んだかは、単純に政治(主に軍事的要請)です。
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