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名誉と刃

本日は二回更新です。19:10に次の話が投稿されます。

2010年3月、パリ。ESA本部大講堂。 OD-1式典会場


降り注ぐ拍手は温かく、疑いを微塵も含まない。


壇上では、青い星を連ねた旗を背に、ロシア連邦第一副首相スタニスラフ・ソクーロフが完璧なフランス語でスピーチを締めくくった。

その微笑みは、若き改革者の自信に満ちている。


「この歴史的な一歩を、我々と共に歩んでくれた欧州の友に、心からの感謝を」


非の打ち所がない、模範的な挨拶。

誰もが、ロシアが見せる新しい「協調」の時代の幕開けを信じていた。


ヴォルコフは、聴衆の片隅で静かにその光景を見ていた。

首に下げた入館パスが、冷たいプラスチックの感触を伝える。


(政治の外殻は彼の仕事だ。だが、その中身の、血と鉄でできた核を動かすのは、俺の仕事だ)


壇上のソクーロフと、一瞬だけ視線が交錯する。

ライトが落ち、講堂の空気が張り詰めた。

袖に並んだソクーロフが、ささやき声で問いかける。


『タイミングは?』


『発表と同時に出願します。欧州特許庁(EPO)とロシア特許庁(Rospatent)のサーバーは同期済みです』


ヴォルコフはかすかに口元を動かして返した。


ソクーロフの口元が、わずかに緩む。


『いいだろう。ならば、華やかな舞台は私が引き受けよう。だが、その喉元に突きつける刃は、君が振るえ』


巨大なスクリーンに、漆黒の宇宙に浮かぶOD-1の白い骨格が、神々しく映し出された。

ヴォルコフはマイクスタンドへ向かう。

足音が、やけに大きく響いた。


「OD-1は本日、正式稼働を開始します。この名誉を、まず我々に最も多くの知見と支援を与えてくれた、欧州宇宙機関の皆様に」


丁寧な一礼。計算された間。温かい拍手が再び満ちる。


だが、次のスライドが投映された瞬間、講堂の空気は凍りついた。


スクリーンに映し出されたのは、OD-1の心臓部、真空溶解炉の中で鈍い銀色に輝く、巨大な金属インゴットだった。


「皆様にご報告できることをうれしく思います。我々はすでに、軌道上における200kgスケールでの連続金属精錬に成功しました!」


ざわめきが波のように広がった。

二年前にISSの小さな実験装置で生まれ、世界中の専門家の物笑いの種になった、あの醜い「泡の塊」。


その記憶が生々しい者ほど、目の前の光景が信じられない。

これは単なる実験の成功ではない。

宇宙に、本物の「製鉄所」が誕生したという宣言だった。


ヴォルコフは聴衆に考える時間を与えない。

スクリーンが切り替わる。

それは、まるでSF映画から抜け出してきたかのような、壮大なコンセプトアートだった。


「我々は、この成果を元に、次の段階へ移行します。小天体捕獲計画、コードネーム『バッグ&ベイク』です」


繊維強化布で作られた巨大な袋が、小さな小天体を優しく包み込み、イオンエンジンを搭載したタグボートが、それをゆっくりと静止軌道(GEO)へと牽引していくCG映像。


聴衆がそのあまりの飛躍に言葉を失う中、ヴォルコフはさらに畳み掛ける。


「捕獲した小天体は、静止軌道に新設する、第二の軌道工場『OD-2』で処理します」


『OD-2?』


誰かが漏らした声は、悲鳴に近かった。

OD-1ですら彼らの想像を超えていたというのに、その二番艦を、ロシアはすでに計画している。会場の最前列で、ESAのジャン=ピエール・アルノー副長官が、こわばった表情で隣の人物と視線を交わすのが見えた。


「皆様は、疑問に思われるでしょう」

ヴォルコフの声が、静まり返った講堂に響く。

「なぜ、これほど巨大な工場が、今、宇宙に必要なのか。ただの金属の梁を作るためだけならば、OD-1で十分ではないか、と」


彼は一瞬、聴衆を見渡した。その目は、教師が生徒に問いかけるように、穏やかだった。


「その答えを、お見せします」


スクリーンが、再び切り替わった。

そこに映し出されたのは、もはやSF映画ですらない、神話の世界から抜け出してきたかのような、壮麗な銀色の巨船だった。


全長は350メートル 。船体中央には、長期航行のための人工重力を生み出す、巨大な回転式リングがゆっくりと回っている 。船体後部に鎮座するのは、化学ロケットと核熱推進を組み合わせた、ハイブリッド式のエンジン群 。それは、ESAが今まさに予算委員会で議論している次世代ロケット『アリアン6』が、まるで子供のおもちゃのように見えてしまうほどの、圧倒的なスケールと異質な思想で建造されていた。


「…なんだ、あれは…」

ESAの役員が、呆然と呟いた。


「我々は、この船を『ヴォストーク級』と呼んでいます」



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