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権力者の理屈

しばしの沈黙。

実際には10秒にも満たなかったはずだ。


だが、極限まで引き伸ばされた弓の弦のような緊張感は、その一秒一秒を責め苦のように感じさせた。

ヴォルコフの額に、一筋の冷や汗が伝う。


やがて、ペトロフは窓に顔を向けたまま、言葉を紡いだ。

その声からは、先ほどまでの揺らぎが消え、ただ感情の抜け落ちた、平坦な響きだけが残っていた。


「つまり、君は私に、いや、『私たち』に権力を手放せと言うのだな」


彼は、ゆっくりとヴォルコフの方へ向き直った。


「君の言うことは正しいのだろう。今の私は、確かに権力という名の麻薬に酔いつつあるのかもしれない。金融危機を未然に防ぎ、ロシア経済を再建し、西側諸国から称賛され…あれは、魂が蕩けるような快感だった」


ペトロフは執務用の椅子に深く座り直し、組んだ手の指先でテーブルを軽く叩いた。

その仕草は、まるで尋問官が自白を促すかのようだった。


「スターリンも、ブレジネフも、最初は理想に燃えていた。『自分だけが国家を救える』と信じ込み、その信念がやがて国を蝕む毒に変わった。歴史は、常に繰り返す」


だが、とペトロフは続けた。

その瞬間、彼の瞳に、それまでの理知的な光とは全く異質の、ギラリとした輝きが宿った。


それは、幾多の修羅場をくぐり抜け、あらゆる反対者を退け、ただ己の意志だけを押し通してきた人間だけが持つ、危険な光だった。


「『訪問者』に関するあの情報を、一体誰に託すというのだ? 進民党のナワレンコか? それとも、西側に甘い顔ばかりするソクーロフか? あの男たちに、2060年まで続くこの重責を、果たして背負いきれると、本気で思うかね?」


彼の指が、机上に置かれたヴォルコフの極秘ファイル――OD-1計画の草案を、トン、と強く指し示した。


「そして、私個人が築き上げてきた、長年の外交資産はどうなる? 私がホワイトハウスに一本電話をすれば動く案件が、彼らでは半年かかる。ドイツの首相が、私の言葉だからこそ信じる協力関係がある。中国の主席と交わした、個人的な約束もある。これらは全て、『ペトロフ個人』への信頼だ。システムではない」


ペトロフは、わずかに身を乗り出した。

その瞳が、ヴォルコフの魂の奥底まで見透かそうとしている。


「この信頼を失うことは、ロシアの後退ではないかね。人類全体を後退させることに繋がるのではないか、セルゲイ」


「君をこの地位に引き上げ、君のあの途方もない計画に、国家予算を注ぎ込む決断をしたのは、一体誰だったかな」


その瞳は、雄弁に、そして冷徹に語っていた。


――お前を支持してきたのは誰なのか。

――その恩を忘れたのか。


ヴォルコフは、反論の言葉を見つけられなかった。

権力者の理屈は、常に正しく、そして残酷なのだ。



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