二つの真実と一つの未来
会議室の空気が凍りついた。
ノヴィコフ国防大臣が、椅子を蹴立てんばかりの勢いで身を乗り出す。
「宇宙からの訪問者だと? ヴォルコフ、貴様、正気か! それとも、これは何かの暗号か!」
モロゾフ書記も、まるで未知の生物でも見るかのようにヴォルコフを睨みつけていた。唯一、ペトロフ大統領だけが表情を変えず、ただ静かにヴォルコフを見つめ、手で制した。
「続けさせろ」
ヴォルコフは、彼らの動揺を意に介さず、端末を操作した。スクリーンに、あの日パーヴェルが見せた小天体の軌道計算が表示される。
「まず、9月15日に起きた事象です。とある小天体が時刻・座標を寸分の狂いなく通過したことが確認されました。重要なのは、その軌道です。2000年現在の我々の技術では、これを事前に予測することは物理的に不可能です」
次に、彼はアメリカの通信衛星のデータを表示した。
「続いて10月3日。特定の通信衛星の、特定の部品が、特定の秒にショートしました。我が国の軍参謀本部情報総局(GRU)が傍受した信号により、裏付けが取れています。これらを……予測したメールが2000年初頭に、私宛に届いておりました」
国家中枢の要人達へ、ヴォルコフはメールを印刷した資料を配る。しばしの黙読、そして二つの動かぬ証拠が確かだと彼らは理解する。国防大臣ノヴィコフの表情が、侮蔑から険しいものに変わった。
「……アメリカめ。新型の予測アルゴリズムと情報戦能力のデモンストレーションか。我々を試しているのだ」
安全保障会議書記モロゾフが、冷ややかに口を挟む。
「あるいは、罠だ。二つの完璧な真実を与え、一つの破滅的な嘘を信じさせる。諜報の常道ですよ、大統領」
議論が始まろうとしたその時、ペトロフが机を軽く叩いた。
「議論は後だ。ヴォルコフ」
大統領の目が、初めてヴォルコフを射抜いた。
「君の言う、その『情報源』は。他に何を予測している?」
その問いを待っていたかのように、ヴォルコフはスクリーンを切り替えた。そこに映し出されたのは、箇条書きにされた、簡潔な未来の年表だった。
2001年9月:アメリカ本土にて、大規模同時多発テロ発生。
2003年10月:観測史上最大級の太陽嵐が地球を直撃。
2004年12月:インド洋にて、巨大地震とそれに伴う大津波発生。
部屋は、水を打ったように静まり返った。先ほどまでの、アメリカの陰謀や諜報戦といった議論が、あまりにも矮小に思える、破滅的な未来のリスト。それはもはや、米国の策略を超えていた。
ノヴィコフは言葉を失い、モロゾフの顔からは血の気が引いていた。
長い、重い沈黙を破ったのは、やはりペトロフ大統領だった。
彼はゆっくりと立ち上がり、シェスタコフ将軍とヴォルコフの前に歩み寄った。
「……将軍。君はこの報告を、信じると」
「信じる信じないの問題ではありません、大統領。これは、我々が『備える』か『備えない』かの問題です」
シェスタコフは、揺るぎない声で答えた。
ペトロフは頷き、そしてヴォルコフに向き直った。
「ヴォルコフ長官。君には感謝する。君の冷静な検証がなければ、我々はこれをただの戯言として処理していただろう」
そして彼は、部屋にいる全員に聞こえるよう、絶対的な命令の口調で言った。
「本日この瞬間より、『特別状況議定書』を発動する。警戒レベルは『ゼロ』。この件に関する全ての情報は、ここにいるメンバー以外、決して知られてはならない」
彼はシェスタコフを指差した。
「将軍、君がこの秘密タスクフォースの総責任者だ。軍、諜報機関、全ての省庁を動かす全権を君に与える」
次に、彼はヴォルコフを見た。
「ヴォルコフ長官、君は技術・情報分析の責任者だ。予測の検証、そして……メールに書かれているという『未来技術』の解析を、最優先で進めろ」
ペトロフは窓の外に広がるモスクワの夜景を見つめ、そして言った。
「我々が今から戦う相手は、アメリカではない。中国でもない。我々が戦うのは、『時間』だ」
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