軌道上の工場
アルノーが去った後、ヴォルコフは執務室に一人、巨大なスクリーンに映し出された太陽系の地図を眺めていた。
ESAの副長官が抱く疑念など、彼の思考の中では、宇宙の塵ほどの重みも持たなかった。
彼の脳裏には、未来メールの断片的なデータが、新たな星座のように結びつき始めていた。
『高効率核融合炉の小型化理論』
『宇宙空間における無重力下での金属精錬技術』
『自己修復機能を持つ複合装甲材の分子構造』
そして、それらの技術の先にある、あまりにも巨大な結論。
(…足りない)
ヴォルコフは、プロジェクト『ソコル』の最終報告書を、まるで価値のない紙切れのように机の隅に押しやった。
ソコルは完成した。NASAもESAも、今やロシアの顧客だ。地球低軌道への輸送コストは、人類史上、最も安価になった。しかし、それは、地球という揺りかごの中での話だ。
五十三年後、異星文明の主力艦隊が太陽系に到達する。彼らはワープ航法を使い、光年単位の距離を越えてやってくる。
そんな相手と戦うには、月や火星の軌道上に、巨大な防衛網を築かなければならない。戦艦、巡洋艦、数千機の無人迎撃機からなる、本当の宇宙艦隊が。
それらを全て、地球から打ち上げるのか?
(…不可能だ)
ソコルを何百回、何千回打ち上げたところで、建造できるのはせいぜい巡洋艦数隻。予算の問題ではない。
地球の重力井戸の底から、全ての資材を一つ一つ運び上げるという、その行為そのものが、根本的に間違っている。非効率すぎる。
まるで、エベレストの山頂に摩天楼を建てるために、麓からレンガを一枚一枚、背負って運ぶようなものだ。
(…そうだ。発想が逆なのだ)
ヴォルコフは、スクリーンに映る、地球と月の間の、何もない漆黒の空間を指でなぞった。
(宇宙〈そこ〉で、作るのだ)
かつてソ連時代に、何人もの夢想家たちが語り、そして「非現実的だ」と一笑に付されてきた、あのアイディア。
軌道工場。
小惑星帯から資源を運び込み、太陽光を無限のエネルギーとして、宇宙空間で資材を精錬し、部品を製造し、そして巨大な宇宙船を組み立てる。
地球からは、人間と、最も精密な頭脳だけを運べばいい。
未来技術がなければ、それは空論だった。ソコルによる低コスト輸送がなければ、それは夢物語だった。
だが今、ヴォルコフの手の中には、その二つの鍵が、確かに握られている。
これはもう、単なる防衛計画ではない。
地球人類を、惑星に縛られた文明から、恒星間文明へと強制的に進化させるための、壮大な産業革命だ。その需要を生み出すことでしか、来るべき戦争に備えることはできない。
ヴォルコフの口元に、狂気と紙一重の笑みが浮かんだ。
「パーヴェル」
彼は、内線で腹心を呼び出した。
「ロスコスモス、冶金学研究所、そして我が国の全ての鉱物資源企業に、極秘の諮問会議の招集をかけろ」
「議題は、『月および小惑星帯における、レアメタルの商業的採掘可能性について』だ」
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