合法的収奪
本日2話更新となります。19時と19時10分に一話ずつ更新されます。
――ロスコスモス プロジェクト『ソコル』本部施設、ヴォルコフの執務室。
パーヴェルが、ジュネーヴから届いたばかりの分厚い条約の公式文書を机の上に置いた。
金色の装飾が施されたそのファイルには、「正本」の印が押されている。
ヴォルコフは、その文書をゆっくりとめくった。
彼が読んでいるのは、平和や友好を謳った前文ではない。
彼の目が追っているのは、その末尾に添付された、膨大な数の付属議定書だった。
付属議定書 第7項B:『航空宇宙分野における共同研究開発』
第3条 ESAとロスコスモスは、再使用型宇宙輸送システムに不可欠な高耐熱性炭素複合材の製造技術を共有し、共同で品質基準を策定する。
第5条 両機関は、将来の惑星間航行を見据え、高効率イオンエンジンの基礎研究チームを共同で設立する。
付属議定書 第11項C:『先端産業分野における経済協力』
第8条 ロシア国内に設立される日欧合弁の半導体工場で製造される車載用電子部品、特にマイクロプロセッサやFPGAについて、ロシアは「国内産業保護」を目的として、その一部をロスコスモスの非軍事プロジェクト向けに優先的に調達する権利を有する。
――――――――
一つ、また一つと、ヴォルコフは、自分が、あるいは息のかかった外交官や産業界のロビイストが水面下で埋め込んできた条文を、確認するように指でなぞっていく。
どの条文も、「平和利用」「民生協力」「経済発展」という、誰も反対できない美しい言葉で覆われていた。
だが、ヴォルコフには、その行間から、全く別の意味が浮かび上がって見えていた。
『高耐熱性炭素複合材』──ソコルの大気圏再突入時、機首と翼を熱から守るためのシールド材。
『高効率イオンエンジン』──54年後、異星文明の先遣隊を追跡・監視するための小型無人探査機の推進システム。
『車載用電子部品』──何十万個という民生品の中から最も放射線に強い個体を選別し、何重にも冗長化させてソコルの誘導コンピュータの心臓部を作るための電子部品。
――――――――
彼は文書から顔を上げた。
数年前、彼は悪魔との取引のように、日米欧の技術を盗み、騙し、裏取引で必死にかき集めてきた。
しかし今日、この瞬間から、その必要はなくなった。
この平和の象徴であるはずの条約が、ロシアに、全てのデュアルユース技術を白昼堂々、合法的に収奪する権利を与えたのだ。
西側諸国は、自らの手でロシアの軍縮を祝う法律を作り、その法律でロシアの再軍備を完璧に支援することになった。
ヴォルコフの口元に、かすかな、そして底知れない笑みが浮かんだ。
戦争は、次の段階に入ったのだ。
更新の励みになります。ブクマ・感想・評価いただけると嬉しいです。




