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対テロ戦争

プロジェクト『ソコル』の本部施設は、勝利の熱気とは無縁の静かな焦燥に包まれていた。


ヴォルコフの執務室。

設計主任のコマロフと首席補佐官のパーヴェルが、重い顔で巨大な工程表を睨んでいる。

ESAから手に入れた最新のコンポーネントや設計思想を示す項目が緑色に点灯する一方で、それらを繋ぎ合わせる統合システム開発の項目は、ほとんどが赤色のままだった。


「長官…問題です」

コマロフが口を開いた。その声は疲れきっていた。

「我々は欧州から最高の食材を山のように手に入れた。だが、それを調理できる料理人が、この国にはあまりにも少なすぎます」


彼はスクリーンの一点を指差した。

「この制御用プロセッサ一つを動かすのに、100人月分のソフトウェア開発が必要です。そして、それをエンジンや機体と統合するには、さらにその三倍の検証作業が発生します。我々の技術者は、頑丈で単純な機械を作る天才です。だが、これは…これは哲学が違う。あまりに繊細すぎる」


パーヴェルが冷静に言葉を継いだ。

「我々は餌を飲み込みすぎたのです、長官。このままでは消化不良を起こすだけです。そして、我々の満腹をESAは黙って見てはいないでしょう。彼らは必ずアメリカに話す。我々の秘密は、もはや秘密ではない」


彼は一息つき、ヴォルコフの目をまっすぐに見て言った。

「ここまで来れば、もう隠すのは不可能です。次の段階に進むべきです。NASAを引き込みましょう」


「不可能だ」

ヴォルコフは即座に首を振った。

「アメリカが我々の計画に乗るはずがない。彼らは、この機に乗じて我々の全てを奪い去り、そして潰しにかかるだろう」


だが、その言葉を口にした瞬間、ヴォルコフの脳裏にある一文が閃光のように蘇った。

それは未来からのメールの片隅に記されていた短い注釈だった。


『2007年 CFE条約 ロシアの履行停止宣言 欧州の混乱と不信の始まり』


CFE条約――欧州通常戦力条約。

冷戦の遺物であり、米国の欧州への影響力を担保する足枷。

そして未来では、CFE条約での改定を意図的に留保され、戦力不均衡に耐えかねたロシアが履行停止。米露関係が決定的に冷却化する引き金となる条約。


ヴォルコフは部屋を歩き回りながら、思考を組み立てていった。


(…そうだ、順序が逆だ)

(我々がNASAに協力を求めるのではない。NASAが我々に助けを求めざるを得ない状況を作り出すのだ)


その目には、狂気と紙一重の冷徹な光が宿っていた。

対テロ戦争――あの泥沼を引き延ばす。

米国が馬鹿げた方針に金をつぎ込み、我々のわらにすがり、食いつくように。


そのために…


(改定CFE(ACFE)から、米国を…外す)


――


2005年7月 モスクワ郊外 シェスタコフのダーチャ。


「…アメリカをACFEの枠組みから外すということか」

シェスタコフはあきれたように言った。


「その通りです」

ヴォルコフは頷いた。

「対テロ戦争という終わりのない泥沼に足を取られたアメリカは、すべてのリソースを対テロ戦争につぎ込みつつあります。我々がその背中を押しましょう。そっとささやくのです。

ロシアは主要兵力をウラルまでさげると。ドイツとフランスも必ず乗ってきます。彼らがほしいのは、ロシアの兵力に空白がある欧州です」


彼は続けた。

「そしてリソースが枯渇したアメリカに対し、我々は宇宙で救いの手を差し伸べます。『ソコル計画への参加』という名の招待状を送る。彼らは、牙が抜かれたロシアと手を結ぶでしょう。ACFEは、彼らにとっても利益に化けていますから」


シェスタコフは、吸っていたたばこの灰を灰皿に落とした。

「セルゲイ…だが、それは」


「分かっています」

ヴォルコフは遮った。

「軍主流派が決して許さないでしょう。これを国家への裏切りだと見なすはずです」


彼は窓の外を見た。

その視線の先には、まだ何も変わらないモスクワの空が広がっている。


「だが、ほかに道はありません。未来を勝ち取るためには」

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