探りの目
2005年4月 パリ ESA本部。
ESA宇宙輸送部門の副長官、ジャン=ピエール・アルノーは、頭の中でヴォルコフが見せたあの映像を繰り返し再生していた。
(「ソコル」が本当にCGだけの構想段階なら、我々はまだ安全圏だが――)
ヴォルコフが示した再使用型ロケットの映像。パネルに映る機体の滑らかな表面処理、推進系の洗練された構造、制御アルゴリズムの断片。
あれは単なるモックアップやコンセプトアートの域を明らかに超えていた。
民生技術の応用や共同研究の成果だとヴォルコフは言うが、アルノーには到底そうは思えなかった。
まるで十年後の未来から設計図だけを持ってきたかのような異様な完成度。
(我々が「あり得ない」と切り捨てた技術的選択肢を、彼らは全て「あり得る」ものとして組み上げている…)
「副長官、ロシア側から視察の招待です」
秘書が差し出した一通の書簡。
流麗なロシア語で記されたその招待状は、アルノーの疑念を確信に変えるには十分だった。
――『ソコル試験機の打ち上げにご招待申し上げます。来る五月、バイコヌールにて』
(…なるほど、こちらの出方を試す気か)
これは罠だ、とアルノーは直感した。
断ればロシアの技術力を恐れたと見なされる。
受け入れれば彼らの土俵でその実力を見せつけられることになる。
どちらに転んでも政治的には不利だ。
だが、技術者としての彼の魂が、その罠に飛び込むことを選んだ。
「素晴らしい申し出だ」
アルノーは完璧な笑みを浮かべ、即座に了承の返事を送らせた。
――
2005年5月 カザフスタン共和国 バイコヌール宇宙基地。
乾いた大地の地平線に、銀色の影が陽光を反射してそびえていた。
アルノーはロスコスモスの案内役の後ろを歩きながら、努めて冷静さを装っていたが、その実、心臓は早鐘のように打っていた。
遠目からでも分かる。
発射台に立つ機体は、パリで見たCGと寸分違わぬ姿をしていた――いや、それ以上だ。
CGでは分からなかった圧倒的な実在感がそこにはあった。
「これがソコル試験機『T-3』です」
いつの間にか隣に立っていたヴォルコフが、静かに紹介する。
全長20メートル弱の機体だが、その表面にはリベットや接合部がほとんど見当たらない。
航空機のように滑らかな一枚板で構成されているように見える。
機首付近に集中配備されたセンサー群の中には、ESAが極秘に研究を進めていた次世代大気データ観測ユニットと酷似したものが含まれていた。
(…盗まれたのか? いや、違う…彼らは我々と同じ結論に、我々より先に到達したのだ…)
アルノーの疑念を見透かしたかのように、ヴォルコフが振り返った。
「今日は単なる昇降試験ではありません。再突入後の自律判断による着陸ポイントの最終修正もお見せしましょう」
最終カウントダウンが響く。
轟音と共に機体は空を切り裂いた。
アルノーの目はロケットではなく、地上管制室のモニターに釘付けになっていた。
そこに表示されるテレメトリデータは、全てが正常値を示している。
異常なほどに安定していた。
わずか数分後、機体は降下を開始した。
着陸用エンジンが正確に点火され、まるで訓練された鷹のように、機体は寸分の狂いもなく発射地点へと舞い戻ってくる。
脚部の衝撃吸収システムが完璧に作動し、砂塵が収まった後、機体は微動だにせず大地に立っていた。
観覧席で固まるESAの理事たち。
アルノーは拍手を送ることさえ忘れていた。
(これが「未完成の構想」なら、我々が今設計しているものは何だ?――おそらく、もう追いつけない)
ヴォルコフはただ無言でその視線を受け止めていた。
口角がわずかに動いたが、それが称賛を促す笑みだったのか、あるいは憐れみの表情だったのかは、誰にも分からなかった。
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