表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
120/139

異なる航路

前話の初登場人物ですが

名称をルインナ→ルインタに変更しています(名前がちょっとかぶってたので)。

お願いします(._.)。

何もないはずの宇宙空間が、音もなく引き裂かれた。まるで黒い布を鋭いナイフで切り裂いたかのように、時空そのものに刹那の亀裂が走る。歪みが収束すると、全長40メートルほどの流線形の偵察船が、船体をかすかに震わせながら実体化した。地球の重力井戸の干渉を避けるための、極めて高度で危険なワープアウトだった。


船が完全に安定すると同時に、船体表面のセンサー群が起動した。太陽から放たれる粒子線、遠い銀河から届く宇宙マイクロ波背景放射、そしてこの太陽系内で交わされる人類の全ての通信。あらゆる情報を、渇いたスポンジが水を吸うように、貪欲に収集し始める。その船は、宇宙の闇に潜む、完璧な観測者だった。


ブリッジの中央、エレナ・ソロキナはアバターの瞳を閉じ、船と意識を同調させていた。彼女の脳裏に、太陽系内の膨大な情報が、三次元の星図となって描き出されていく。


その瞬間、システムが警告を発した。それは危険を知らせるアラートではない。データベースに存在しない、未知のオブジェクトに対する、冷静な注意喚起だった。


エレナが目を開くと、目の前のホログラフィックディスプレイに、一つの目標が拡大表示されていた。月の引力を利用して加速し、火星へと向かう軌道に乗っている、巨大な人工物。


ディスプレイの隅に、解析されたデータが瞬時に表示される。


対象:『ナジェージダ』

全長:約350m

船籍:ロシア連邦・ロスコスモス

推進方式:化学燃料エンジン及び核熱反応(NTR)


エレナは、その文字列を、信じられないというように、ただ見つめた。

そして、急いでアバターの指先で光の粒子を操り、船のセンサーを『ナジェージダ』へと集中させた。

ホログラムに映し出された船体は、彼女の文明の基準から見れば、無骨で、どこか不格好だった。危険なほどにむき出しの原子炉を積んだ核熱エンジン、遠心力という物理法則に真正面から挑んだだけの回転式重力リング。全てが、力任せの解決策に見えた。


だが、その存在そのものが、エレナの心を揺さぶった。


彼女は自らの意識の奥深く、18年前に受信した膨大な量子通信の記録――あり得たかもしれない、もう一つの人類史のログへとアクセスした。21世紀初頭、人類が辿るはずだった宇宙開発の年表を、瞬時に検索する。スペースシャトルの退役、その後の予算削減、国際協力の停滞…。


検索結果は、冷たい沈黙だけだった。『ナジェージダ』に該当するプロジェクトは、どこにも存在しない。


(この船は…なかった)


エレナは息を呑んだ。

あの歴史では、人類はついに地球の揺りかごの中で互いを牽制し合い、これほど大きな船を、これほど遠くまで飛ばすことはできなかったはずだ。


その瞬間、彼女の心に、この18年間感じたことのない、微かな熱が灯った。

ルインタは無駄だと言った。だが、目の前にいる彼らは、私が知っている彼らではないのかもしれない。


絶望的な未来を知らされず、自らの力だけで、ここまで辿り着いた。

その不格好な船は、彼らの不屈の意志そのものに見えた。


エレナは『ナジェージダ』の映像から目をそっと逸らした。

鋼のように硬かった表情が、ほんの一瞬だけ、和らいでいた。



『ナジェージダ』との邂逅は、エレナの任務に新たな意味を与えた。彼女は偵察船の針路を地球へと固定すると、到着までの数日間、全てのセンサーを月と地球の超長距離観測に振り向けた。


まず捉えたのは、月の周回軌道だった。ラグランジュ点に、複数のモジュールが結合しつつある、巨大な建造物の骨格が存在した。アメリカ主導の宇宙ステーション「ゲートウェイ」。これもまた、彼女の知る歴史には存在しないものだった。


(…なるほど。彼らは分裂したのか)


エレナは冷静に分析する。一つの勢力が巨大な船で火星を目指し、もう一つの勢力が月への拠点を築こうとしている。彼女の知る歴史よりも宇宙での対立は深刻だが、同時に、競争が技術を異常な速度で進化させている。


やがて、偵察船は地球の引力圏に捉えられる距離まで近づいた。エレナは、惑星の夜の姿を、自らの記憶にある「あり得たかもしれない歴史」のデータと重ね合わせた。


アジア、欧州、北米。大陸に広がる光の網の形は、彼女が知る歴史と酷似していた。だが、一点だけ、明確な違いがあった。


エレナはアバターの瞳を細め、ホログラムの中東地域を拡大する。ペルシャ湾岸から地中海東岸にかけての光の帯が、記録されているデータよりも、遥かに広く、そして安定していた。


彼女の記録では、この時代のこの地域は、大国の介入によって泥沼化した複数の紛争で、多くの都市が闇に沈んでいるはずだった。だが、目の前の地球では、その光が途切れることなく続いている。


(戦乱の傷跡が…浅い)


それは、この時間軸の人類が、彼女の知る歴史よりも、少しだけ賢明な道を選んだという動かぬ証拠だと彼女は確信した。


ただ残念なことに…それはエレナが思うような良好な解決策ではなかった。まさに偶然の玉突きではあった。ロシアの善隣外交、合衆国の対テロ抑止戦術への集中によって抑止されたテログループ。さらにその後の二大勢力の分裂により、中東諸国は遙かに前の世界より自由度を手に入れていた、ヴォルコフが知れば苦く笑うだろう偶然。だが確かにそこに救いはあったのだ。


そんなことは知らずに、偵察船のブリッジで、エレナは収集した情報を元に、新しい世界地図を再構築していく。それは、彼女が救うべきだと信じていた、あるいは見捨てるべきだと絶望した世界とは、似て非なるものだったからだ。


分裂し、対立してはいる。だが同時に、彼女の知らない希望と可能性を秘めた、未知の世界。

彼女の任務は、今、より複雑なものへと変わろうとしていた。


更新の励みになります。ブクマ・感想・評価いただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ