三「嫉妬と情念と愛と」
自分の知識を越えたタイムマシン実験の話合いの中、ジェイクは一切話に着いて行くことが出来ずに、ただ立ちすくみメモを取っていた。そしてまだ書き留められていない間にエルンストとハーマンの話が一段落してしまった。
「……と、いう訳で卵君。協力してほしい」ジェイクは情報も、頭の中も整理が付いていない状況でいきなり話しかけられ、二人の眼差しに後ずさりした。
「いや、いやいやいや無理ですよ。僕ごときの権限であの装置を私用で使うなんて。大体、使い方分かるんですか? 世界に一つしかない二十一世紀最大の発明品ですよ」
必死に否定すると持っていたペンを落とした。
「ジェイク、ジョー・ハーマンってどこかで聞いたことあるだろ?」
片方の眉を動かし顔を覗き込むエルンストの奥でハーマンはルーペを外し腕を組んだ。
「ジョー・ハーマン……ハーマン型重力圧式量子圧縮装置……そんな馬鹿な」
ジェイクはペンを拾いながらゆっくり立ち上がりハーマンの顔を見た。すると、科学雑誌や情報番組で散々見たこの顔を、いまになってやっと思い出した。
「いかにも。この私がニューシュタインθの観測データをもと量子力学者と協力して重力の発生を解き明かし、物体に重力を与えることを可能にした装置を作ったスーパーエンジニアだ」
目を丸くするジェイクを見て、大げさに高笑いするハーマンは一歩前に出た。その時、後頭部のケーブルが張り、勢いよく引っこ抜けてしまった。
「博士……ハーマン博士? 大丈夫ですか。どうしたんですか?」
床に受け身もせず顔から倒れ込む様子にすぐ駆け寄り驚くジェイクとは反対に、エルンストは冷静だった。少しの間をあけて立ち上がったハーマンは床に落ちていたマイナスドライバーを拾い上げ、先端を震わせながらジェイクを睨みつけた。
「誰だお前は、また来やがったのかこの若造が。二度も脳を抜かれてたまるか」
エルンストはゆっくりとケーブルを持ち上げ、ハーマンの背後に近づく。
「エルンスト久しぶりだな。その腕が……いや、昔話は後だ。いまはこの大馬鹿者を成敗してくれるわ」
背中をさすり、機会を伺うエルンストは、ハーマンが大振りに腕を上げた瞬間に後頭部にケーブルを差し直す。
「ハーマンはな、装置を開発する去年までエンジニアの中で腫物扱いだったんだよ。学生の頃から度が過ぎた機械オタクだったからな。だってのに開発に成功したとたんに局の連中、全員手のひら返しで大物扱いさ」
ハーマンは頭を犬のように振り、すぐに正気を取り戻した。
「人生の折り返し地点を過ぎてからチヤホヤされて、分かりやすく調子に乗ってしまった。それで煙たがった連中に宇宙局から追い出されていまだ」
「違うだろ。年甲斐もなくベガスで豪遊したら、ホテルで女に薬物飲まされて、その間に訳分らん連中に脳データ抜かれたんだろ」
装置の権限も抜かれたことで外部からの侵入を防ぐため、装置の制御システムは一から作り直される事になった。この一件でハーマンは失脚し、記憶データが抜かれる事を恐れ外部の独立ハードウェアに過去数十年分記憶を保存し、より秘匿性を高めるために有線で自身の電脳と繋いでいる。
「ワシを疎む局の奴があのクソったれ共を雇って嵌めたに違いない」
ジェイクは顔を歪めた。自分を置いてけぼりにし話を進める変態チックな二人はこのままでは世界を揺るがす大犯罪者になってしまうかもしれないからである。
フィロンツが発足した研究の独占を禁じたRDPAの規約はいまや法律と同等の力があった。それは国連が発布した平和制定令と連動し、元々、国に対し研究を独占し保持することで科学技術の発展が遅れてしまう事を阻止し、かつ戦争兵器や大量殺戮の可能性がある危険な研究の阻止を図る目的のためであった。しかし急速な時代変化に伴い個人の研究を禁止するものに変わってしまった。これは平和という大きすぎる盾を振りかざした同調圧力による、全員が同意の下に形成された個人の知的好奇心を潰しかねない歪な超監視社会の実現であると言えよう。
「とにかく理論を過去に送るにはジェイク、君の研究棟にある重力付与装置が必要不可欠だ。協力してくれないか」
「会ってから数日の僕を犯罪に加担させようとしてるんですよお二人は。それがもし成功して、過去が変わったらどうなるんですか。失敗してもバレたら僕は大学から追い出されるかも、いや消されるかもしれない」
エルンストの強引な説得に反発する。
「いいか、タイムマシンの研究は悪いことじゃないぞ卵君。ルールってのは始めは緩々で抜け穴だらけだ。研究の独占なんてどこからどこまでが独占なんだ? 実際、明確な基準なんてまだ決められてないだろう。ワシが屁で月に行きたいと考えてコーラと品種改良したジャガイモだけを三週間摂取し続けて椅子からちょっと浮けた研究は犯罪になってない」
浮けるかと言いハーマンの頭を叩いたエルンストはケーブルが抜けてしまうと怒られていた。
「せっかく、憧れの人と会えたと思ったら、実際は頑固で皮肉屋の犯罪学者。今世紀最大のエンジニアはケーブルで繋がれたオフライン老人。あんまりですよ」ジェイクはため息をついた。
――ハーマンのビルから出ると外は雨が降っていた。ドローンに乗ろうかと停留所に向かおうとしたが、近くの停留所が家と逆であることに気付き、たまには。と、徒歩で帰宅した。
「どうしたの? もう酸性じゃないからって雨は危ないわ」
「あれ。仕事は」
「忘れ物取りに帰っただけ。あなたが居ると思ってサプライズしようとしたのに、ワクワクした私の気持ち返して」
ジェイクは彼女の顔を見て一瞬顔が緩んだが、またすぐにあの二人の言葉が頭の中を駆け巡る。思いつめる表情から察した彼女は彼を優しく抱擁した。
ジェイクが出て行った後、エルンストはハーマンにビールを持ってくるよう頼まれ、腰ほどの高さの金属で出来た箱の取っ手を回すと乾いた匂いとねっとりとした白い煙が中から漏れ、中には二酸化炭素で冷やされたビール瓶があった。
「おいなんだよこれ。触れられないじゃないか」
微生物を冷凍保存する装置を安く譲り受け、いまは冷蔵庫として活用していた。
「横のマジックハンドで」ゆっくりと掴み取り床に置き防寒手袋をはめてビール瓶を持った二人は瓶をぶつけ乾杯した。
「よく割れないな、それに中も凍ってない」
「あ、口はつけるなよ。これ、生成ライトメタルに電気流して一酸化ケイ素を混ぜるんだ。それを叩きながら冷やしていくと濁ってはいるが透明で固くなる。しかし熱に弱くてすぐ溶ける。乾くとガラス片になるから気を付けろよ……それよりジェイク君、協力してくれそうか?」
「始めて会った時の目、あれは私達がよく知っている目だろう?」
ポケットに入れていた写真を取り出し微笑む。
「お前っ。懐かしいなあ。そうか……この目か」
「そう、フィロンツの目だ」
五日後、エルンストは実験の最終調整のため再びハーマンの元へ来ていた。二人で話していると後ろでビニールカーテンを開ける音が聞こえ、作業をぴたりと止めた。エルンストは背筋を伸ばして襟を正し、ネクタイを両手で締め直し振り向く。
「さあ、始めようか。時間旅行へ――」
「エルンスト・S・ノーバート、並びにジョー・ハーマン。来てもらおう」
二人を取り囲んだのは黒いスーツと真黒なサングラスをかけた筋骨隆々の大男、そして銃を構えた警備ロボットだった。一瞬のうちに両腕を後ろで固く拘束される。
「この人達です。独占研究の策謀員は」
奥でジェイクが指を差し、跳ねながら顔を見せた。
「シズカには君を見かけたらエンジンオイルをぶっかけるシステムを追加しておくからな」
エルンストは抵抗せずにジェイクを見た。
ビルの前に停められた曇りガラスのドローンに押し込まれ、合衆国工科大の研究棟の一室に連れていかれた。視界が遮られ何も見えない。換気扇の低く不気味な音が体に染み込む。自分の荒い息遣いが顔の周りに留まり、嫌なほど耳に入ってくる。しばらくすると誰かが部屋に入ってき、顔に被された黒い袋を乱暴に取られると強い光に照らされ目に力が入る。横を向くとハーマンも一メートルほど横に居ることが分かった。大男がハーマンの袋も乱暴に取った。呼びかけようとするが口に取り付けられたマスクが皮膚にくっつき上手く声が出ない。
「二人のマスクも」
男がそう言うと大男がマスクの端に指輪を近付けるとマスクは顎の下にしまわれ、やっと上手く息ができるようになった。
「エルンスト、老けたか?」それどころじゃないと言うがハーマンは状況を理解できていない。すると男が背広の上のボタンを留め、腕時計を見た後、何かを押さえ込んでいるような表情でこちらを向いた。
「学会ぶりだな。あの学会での発表で何か企んでいるとは思ったよ、しかしこんな早く尻尾を捕まえられるとは。あの研究員にはディナーをプレゼントしなければ」
「この裏切り者が。資本家の犬め」唾を吐きたかったが、口が乾ききっていた。
「酷いな裏切り者はお前だろ……あの旅行、いまでも思い出すよ」
「クソっ。ハーマン、ハーマン。お前記憶どうにか出来ないのか」
「久しぶりだな……どういう状況なんだこれ? まさかいや違うよな。お前がワシの記憶抜き取ったんじゃないよな……」
ハーマンは目の前の男に話しかける。
「噂には聞いてたが、ここまでとはな。ハーマン、大学時代からの親友だろう? あんなことしないさ。だがいまは無理にでも抜き取りたいほど知りたいことがある。あの研究員が私のところに来た時は耳を疑ったよ。まさかもう最終段階だなんてな。追い抜かれては私の名に傷がつく」
男は左手の腕に取り付けられたディスプレイに文字を打ち込むと腕のカバーが開き、中から注射器を取り出しハーマンの頭を無理やり傾けさせ首筋に注射針を押し付けた。ハーマンは息を荒くし、恐怖で目を血走らせ拘束された手足を必死に動かした。
「やめろっ、やめてくれ……レオ」
「親友のよしみだ。押し入った時に外部ハードウェアはもう抑えた。そのパスワードを吐くか、エルンストお前の口からタイムトラベル実験の話をするか決めろ。決めなくてもこいつの回路を焼き切って取り出すだけ。簡単な質問だ。そうだろう?」
刻々と流れる時間には何人もなす術なく、重力任せに顔を伝う汗が床に落ちる。彼らは過去となってしまった、ただ友情だけがあったあの日を胸にしまい込み、いまを生き抜いていた。
五日前。ジェイクのガールフレンドは帰宅した彼の手を握る。
「あなたは、夢を見続けてる。手が届かないと勝手に決めつけるくせにずっと憧れて、それに縛られてるの。今日何があったのかは無理に聞かない。でも一つだけ、私は手でもなんでも貸してあげられる。でも失敗しても自分でなんとかして。甘えるのはいいけど自分に自信が無い人は助けたくならないわ」
彼女はそう言って頬を両手で包み込んだ。この瞳に見つめられては、全てを受け入れてしまう。それから忘れ物を鞄にしまい仕事に戻る彼女を見送り、この数日でメモした事を部屋いっぱいに広げた。無謀で危険。だが可能性はある、それに何より自分自身がそれを成功させたいと思っている。
――移動間に時間が生じる。重力の発生源が空間の歪みである信憑性の高い証拠を見つけたのはトーワだぞ。大体、移動とはどこまでを指す? 人が止まっていても時間は流れるだろう、惑星や太陽系が動いているから時間が発生してるとでも言いたいのか。はたまたそれは次元自体が移動しているとでも。そこで理論の「万物は運動している」に繋がるのか。しかしここに書かれている移動の幾何学的なモデルが現実とリンクする証拠なんてないのに……まるで本当に物理的に証明されているような書かれ方だ。それにワープが時間を超越し物体を移動させるものならその移動にも時間が発生し結局ワープが不可能になるのか? 時間の正体は何だ。この論文、観測的時間解釈の乖離性と復元力は観測力理論や特殊相対性理論と似ているが違うのは量子ひも理論に基づいた観測の力で引き起こされる事象。なぜこの論文は世に出なかったんだ。失敗に終わったといえ、公表されているワープ実験の中で最初に成し遂げた国のワープについての論文なんだぞ。もしこれが相似時空学と組み合わされば、いやダメか。並行世界の存在を示唆する数式が根本から違う。考えれば考えるほど分からなくなるな。本当に教授の言う通り、やってみないと分からないかもしれない。もう随分と前からお二人は計画していたらしいが、ラスベガスでの事件で実験はぶっつけ本番になる。実験は光子に重力を付与し電子データを圧縮した原子を光子の周りに公転させる。原子は公転により光子の前へ出た瞬間に人工的なタキオンとなり、過去へ飛ぶはず……まるで地球と月のような関係、だから『地球越境(Beyond the earth)実験』。さすがフィロンツ、アーレントを産んだ二十年代の天才達と肩を並べた人達と言われるだけある。タキオン生成となれば……もう一人の天才を利用させてもらうしかない。僕はやはり、夢を見たい。ノーバート教授……僕はあなたの背中に憧れてこの道に入った。この機を逃すと、僕は必ず後悔するはずです。
何日か考え抜いた後、地球越境実験に参加しようと決意したジェイクは、重力付与装置を使うための計画をハーマンに送った。
〈ノーバート教授の連絡先を知らないのでハーマンさんに伝えておきます。僕はいまからお二人を裏切ります。最後の準備を整えておいてください〉
工科大研究棟最上階。
「アルカ教授。タキオン生成でタイムトラベルをしようとしている輩がいます」
「君は……まあいい。どうせノーバート教授だろ? 落ちぶれ共が成功する訳がない。世界最高位の頭脳が集まっても未だに完成には程遠いのだからな」
レオナルド・アルカは目も見ず聞き流す。しかしジェイクは確信していた。この部屋に自分を通した時点でかなり焦っていて下っ端研究員に内心を探られぬよう取り繕っているがここに足を踏み込んだ時点でこちらの勝ちであると。
「いえ、それがもう最終段階に入っています。この僕が聞いて、かなり現実的な実験内容であると」
「この僕……? 君、所属は」
ようやっとこちらを向くと葉巻に火を点け、こちらの顔に向かい吐きつける。
「素粒子物理学のサカタ研究室所属の研究員です」
「ほう……優秀じゃないか。すまなかったね。この地位にもなると私ではなく肩書と話す人間が多くてな」
レオナルド・アルカは子供の頃から世界に通用するような大物になりたいと思っていた。小さい頃に見せられた車型のタイムマシンで過去や未来に行く大昔の映画を見て、科学者になることに決めたが、現実は夢見たようには上手くいかない。成し遂げる人間は自分とはほど遠く、欲が無い人間が評価された。しかし彼はずっと疑問があった。多くの人に称賛され、もてはやされたくないのか。フィロンツ、アーレントは表舞台に出たがらない人間で彼はそれが評価される人間なのだと思った。自分が持っている欲ではダメなのかと。自分は多くの人の目に憧れの人物として映りたい。それがいつの日か権力に逆らわず、その権力の一部を担うことで自分を保つようになった。これが良い事だとは一度も思った事は無かった。彼はタイムマシン開発チームの最高位に就き、日々企業と連携し研究を行っていた。しかしながら現在、彼は数年前からタキオン生成の研究が上手くいかず、人生最大の壁にぶつかっていた。見切りをつけられた企業は少なくなく、資本家達がタイムマシン開発ではなく地球上でも使える完璧な短距離ワープ技術の開発に舵を切り始めている事も彼の焦燥感を煽る一つであった。そこで図らずも目の前に現れた希望の光を見過ごす手はなかったが、名もなき学者の卵の話を聞いて彼は眼の色を変える。彼は人生を賭けている研究、最先端の研究を行っている自分がかつての旧友に先を越されそうになっていたからである。彼はいままでの人生の中でも一番と言える怒りの中にいた。
――クソ。こんなことになるとは。ジェイク、ジェイクっ、早く、早くしろ。
レオナルドがハーマンの首筋に針を差し、親指を押し込もうとしたその時、扉が勢いよく開き、警備ロボットが入ってきた。
「ん、どうした。おい、私に銃を向けるな」
「すみません。警備ロボットはドローンに乗れないんですね」
ジェイクはハーマンのビルで、部屋に残された警備ロボットをハッキングし一緒にやってきた。
「どういうことだ。ジ……ジェイク?」
「レオ、君は裏切られたんだよ。名前すら覚えて無いんだ。当然の仕打ちだな」
警備ロボットにレオナルドと黒づくめの大男は拘束された。大男は見かけによらず小心者で必死に命乞いをしてきた。命を奪うつもりは無いと伝えると、安堵し、ずれたサングラスの奥から優しそうな瞳が見えた。
「エルンスト……長い物には巻かれておけ。お前ぐらいだ歯向かってるのは。だから国を追い出されたんだろ。だがフローが死んだ時、お前の背中は最高に格好良かった。俺はもう随分と前から権力に跪いて、それを自分の力だって勘違いしてた。そんな俺でもここから自分を取り戻したいと思った。でもな……あの宙難事故の真相聞かされてもう諦めた」
腕を後ろで縛られ、乱れた髪のレオナルドはエルンストに詰め寄る。
「だから剥き出しの正義で権力に抗うお前にずっと憧れてた。この国に来てくれると思って内心高鳴ってたんだ。どうやって弁明するか、分かってくれるか昔の話が出来るか俺を否定しないでくれるのか。ずっと考えてた。なのにっ、この裏切り者が」
睨みあうエルンストとレオナルドに張り詰めた空気が流れる。
「ワープ技術を完成させるのは裏切りじゃないのか? マシンのための技術ならいいさ。でも違うだろ。完成させてどうする、戦争だろ? どの口が裏切り者だなんて――」
レオナルドはエルンストの言葉を遮った。
「違う。俺も分かってるさ資本家達がどう考えてるかなんて。だからお前の話を聞いたんだろ。面白い考え方だった。あの論文のタケヤマ教授とも話してみたい。学会でのお前は俺が憧れたお前そのものだったよ。なのになんで理論を自分のものにしようとだなんてしてる。そんなのは絶対に止めなければならない」
ジェイクの計画に賛同したハーマンは、ジェイクが突入した後、自分の首に接続するよう、記憶データをコピーしたメモリを渡していた。少し前に正気に戻ったハーマンは予想していた展開とは全く違う現状に戸惑うが、言い争う二人を見て学生時代、ちょっとしたすれ違いで喧嘩していた様子を思い出した。しかしあの頃とは剣幕がまるで違う。息を整えてから、間に入ろうとタイミングを伺っていたその時、ジェイクが口を開いた。
「宙難事故の真相って何ですか」捻り出したような小さな声に二人は気付かない。ハーマンの手を振りほどき間に割って入る。
「アルカ教授、宙難事故について何か知ってるんですか。あのオリンピック号宙難事故について」
交錯する意思と乱れる現状。その場の誰もが理解が追いついていない部屋で止まりかけの換気扇が、外から逆流するかすかな風で再び回り始めた。
前章で作成した空間域グラフは二次元的なものであり、時間変数tは線でしか捉えられない為、本章では三次元的に捉え、これを3D空間域グラフと定義し、その中で浮かび上がる時間変数tの複雑な変動の可能性を研究していく。これは空間域グラフを複素数空間と捉え、多層的な構造を持たせ拡張する作業を行う行為であり、この3D空間に於ける時間変数tの座標を取る時空方程式を定義する。また一般相対性理論に於ける光円錐、擬ユークリッド空間と比較しながら光と時空が及ぼす未来の可能性と過去の収束を研究する。
――タイムマシン学タイムトラベル理論『Ⅳ 3D空間域グラフ』