散歩の約束
温めた方が美味しいからと、小鍋にミルクを注いで火に掛け、その間にロールパンを皿に乗せていきながら、ふと、マイロは思い出す。
五日ほど前に知り合いからハムを送られていた。届いたその日にワインと一緒にいくらか食べたが、まだ残っていたはずだと探し、すぐに見つけた。包丁で薄く切り分け、ロールパンに挟んでいく。
自分用と客用のカップを食器棚から取り出し、温めたミルクを注いでトレイに乗せる。ハムを挟んだロールパンの皿も一緒に乗せて、シルヴェストロの元に向かった。
「おや?」
ベッドに腰掛けて待つシルヴェストロの姿は、どこからどう見ても普通の人間になっていた。
「耳と尻尾はどうしたんだい?」
「引っ込めた」
ベッド脇のサイドテーブルにトレイを置き、マイロが訊ねれば、シルヴェストロはそう返答する。
「自由自在に出したり引っ込めたりできるものなのかい?」
「ああ。……産まれてから数年はできないが、成長と共にできるようになる。人目に出る時は耳や尻尾が出ないように、その……気にはしている、一応」
「説明ありがとう。ついでに訊きたいのだけど、産まれた時はどんな姿をしているのかな」
「……狼の姿だ。個体差はあるが、一歳を過ぎるまでは狼の姿で、ある日いきなり、半分人、半分狼の姿に変わる」
「ぽんっ! って感じで?」
「分からない。不思議と誰もその瞬間を見たことがないんだ。瞬きの間に変わっている」
「不思議だ」
マイロは急いでメモ帳を取り出し、今聞いたことを忘れないよう万年筆で書き記していく。その傍でシルヴェストロは、何の感情も浮かんでいない顔を静かにマイロへと向けていた。
そろそろ書き終わる頃になっても、マイロは手帳から顔を上げない。そのままの状態で、彼の弧の字を描いた口が動き出す。
「人狼同士でないと子供は作れないのかい?」
「そんなことはない。人狼と人間が番になることもある。彼らの間に子供が産まれて、祝ったことが何度もあった」
「……あのさ」
マイロは一度手を止めて、シルヴェストロと目を合わせるべく顔を上げた。
「ご近所付き合いをしているみたいだけど、人狼が集まって暮らしている所があるのかい?」
「村だ、俺はそこから来た」
「なるほど。近隣の村なり、他の人間との交流はあったのかい?」
「うちの村ではあった。たまに行商人や移動図書館が来ていた。他がどうしているかは知らない」
「移動図書館、いいね。意外と交流があるもんだね」
そこまで話した所で、マイロは再び手帳に視線を移して、文字を書き連ねていく。急いで書いているわりには、美しい文字だ。
「……そうだ、ミルクが冷めてしまうね。先に食べていてくれないか」
「すまない、頂こう」
書きながら、このまま質問を重ねていくか、一旦やめて食事をするべきか、迷うマイロだったが、書き終えたタイミングで控え目に腹が鳴り、食事をすることにした。
手帳と万年筆をそれぞれ仕舞っていき、顔を上げれば、シルヴェストロが黙々とロールパンを食べている所が目に入る。書き物をしていたマイロへの配慮か、それとも癖なのか、咀嚼音が聞こえてこない。
あまりじろじろ見るのも悪いからと、マイロは自分の食事に集中した。ミルクはまだ温かった。
特に会話もないままに、彼らの食事は終わる。洗い物は自分がと言ってくるシルヴェストロに、お客様なんだから座っていてよとマイロは言って、食器をキッチンに持っていき、洗っていく。
そうして戻ると、シルヴェストロは特に寝っ転がったりせず、ベッドに腰掛けたままでいた。
「楽にしていていいよ」
「さんざん寝たせいか、もう横になりたくはない」
「そう? 動きたいんだ」
「できれば」
マイロは頬に手を添えて、少し考えてから口を開く。
「ここら辺、散歩するかい?」
「いいのか?」
「観光名所でもある街だからね。目にも舌にも楽しい場所がいっぱいあるよ」
「期待しよう」
立ち上がったシルヴェストロと並んでみると、マイロよりも頭一つ分大きいようで、少し見上げることになった。
「悪いが、図々しいことを言ってもいいか?」
「お客様なんだから何でも言ってくれ」
「ここら辺で汗を流せる所はないか? 少し身体が気持ち悪くて」
「この部屋、狭いけど浴室があるから、好きに使ってくれよ。タオルは貸せるけれど、着替えはどうする?」
「俺の荷物はあるか? その中に入っている」
シルヴェストロを部屋に運ばせた際、一緒に彼の荷物も持ってきていた。手癖の悪い者はいなかったから、全て揃っているはず。
それでも念の為、彼に荷物を渡す際に、中を調べるようマイロは告げた。
シルヴェストロの荷物は大きな風呂敷に包まれており、彼はベッドの上で広げて、中身を調べていく。衣服に端の擦り切れた地図、掌ほどの小さな本など、けっこうな量だ。
「大丈夫だ、揃っている」
「良かった」
シルヴェストロは衣服を適当に掴むと、マイロを見つめてきた。風呂場に案内するべく、こっちだよとマイロが歩き出せば、後ろからついてきた。
二日眠っていたせいか、その足取りはゆっくりとしたもので、マイロも気持ち遅めに歩く。
そうして風呂場に着くと、簡単に説明をしていった。
「この石鹸を好きに使っていいよ。ストックあるから。あと、この蛇口をこうやって捻れば、上からあったかい水が流れてくるから、それで汗や泡を流してよ」
「分かった。何から何まで、すまない」
「気にしないでよ。その分お返しももらっているわけだし」
簡単に浴室の説明をすると、それじゃあゆっくりしてってと言い、マイロは浴室の扉を閉めた。