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第1話「桜色の夢」

放課後の風景は、いつもどおりだった。グラウンドには運動部の声が響き、教室には補習や居残りの生徒がちらほら。だが、桜庭小春にとってはそんな日常もただの通過点でしかなかった。彼女の頭の中は、いつも「それ」のことでいっぱいだった。

「今日こそ、膝関節の稼働テストを終わらせる!」

小春は机の上のノートに書き込んだ設計図を勢いよく閉じ、荷物をまとめると教室を飛び出した。向かう先は、家の裏手にある父親の工房だ。機械エンジニアだった父が遺したその工房は、彼女にとって何よりも大切な場所。そこには無数の工具や部品が整然と並び、小春の夢を実現するための環境がすべて整っていた。

工房の扉を開けると、すぐに金属の匂いと油の香りが鼻を突いた。作業台には部品が山のように積まれ、奥には彼女が愛情を注いでいる搭乗型ロボット「サクラノヴァ」のフレームが鎮座している。その姿はまだ未完成だったが、機械好きの小春にとっては最高のパートナーだった。

「さて、今日の目標は右膝関節のモーター調整ね!」

小春はゴーグルを装着し、作業台から精密ドライバーを取り出すと、サクラノヴァの脚部に取り掛かった。小さな手が迷いなく動き、関節の稼働範囲を微調整していく。その横には、何度も失敗しては書き直された設計図が広がっている。

「うーん、やっぱり出力が足りないか……」

ノートに目を落としながら、小春は独り言を呟いた。右膝に組み込んだモーターは、試作品であるために思ったようなパフォーマンスを発揮していなかった。だが、失敗に慣れている彼女にとって、それはむしろ次の課題を見つけるためのステップに過ぎない。

その夜、小春は眠りも忘れて作業を続けていた。

「これでどうかな……」

彼女は新たに調整したモーターを取り付け、電源を入れた。ウィーンという駆動音とともに、サクラノヴァの右膝がスムーズに屈伸を始めた。その動きは今までにないほど滑らかだった。

「やった!やっと成功した!」

小春は歓声を上げた。だがその瞬間、疲労が一気に押し寄せ、彼女は工具箱の横に腰を下ろした。

「これで一歩前進……次は腕部の制御システムね……」

壁に掛けられた時計は、すでに午前2時を指していた。

翌朝、小春は眠そうな目をこすりながら学校に向かった。友人の青木美優が呆れたように言う。

「また夜更かししてたでしょ、小春ちゃん。今度は何作ってたの?」

「秘密。でも、すごいものだよ!」

小春は笑顔で答えたが、その背中には完成までの道のりの長さが重くのしかかっていた。それでも、彼女は一歩ずつ進むことを諦めなかった。彼女の夢、サクラノヴァは確かに形になりつつあったのだ。

「ねえ、小春。いつ寝るの? 昨日もほとんど寝てないでしょ?」

母親の心配する声が工房の扉越しに響いた。桜庭小春は工具を握った手を止め、ちらりと時計に目をやる。

午前2時過ぎ。

彼女は薄暗い工房の中央に設置された作業台に腰掛け、目の前に並んだ部品と向き合っていた。無数のボルトやスプリング、配線が広げられたテーブルの上には、全体像がまだ想像できない何かの部品が輝いている。

「もうちょっとだから! 完成したらちゃんと寝るからさ!」

そう答えつつも、小春の目は鋭い集中を保ったままだ。彼女の小柄な体にはおそらく普通の中学生には似合わないほど大きな情熱が宿っている。その情熱が今、夜更けの工房を熱くしていた。

小春の頭の中には、完成形が明確に浮かんでいる。3.5メートルの高さを誇る搭乗型ロボット、その名も「サクラノヴァ」。

小春はこのロボットを作り上げるために、ほぼすべての放課後と休日を費やしてきた。父親が遺した工房は、彼女にとって遊び場であり、学びの場でもある。父親もまた機械工作の天才であり、その影響を受けた小春は幼少期から工具を手にしていた。

しかし、これは単なる趣味ではなかった。

「絶対に完成させるんだから…」

小春はつぶやきながら、慎重に部品を組み立て始めた。目の前のそれは「アクチュエーター」と呼ばれるロボットの関節部分に必要な重要な部品だ。これが正確に動作しなければ、サクラノヴァの動きに支障が出る。

彼女の手つきは熟練職人のように正確だ。思春期の少女らしい可愛らしさが漂う顔からは想像もつかないほど、冷静で的確な動作だった。

「小春、朝ごはん…って、また工房で寝てるのね。」

工房の扉をそっと開けた母親は、小春が作業台に突っ伏して眠っているのを見て、ため息をついた。彼女のそばには、完成間近のアクチュエーターが置かれている。

小春の母親は彼女の情熱を理解していた。しかし、それでも体を壊してほしくないという親心もある。

「完成させるのはいいけど、ちゃんと寝てご飯も食べなさいよ。」

母親は作業台にそっとサンドイッチを置き、小春を起こさないように工房を後にした。

放課後、小春は学校から帰ると、制服のまま工房へ向かった。学校では授業の内容に集中しているようで、頭の中はロボットの設計図でいっぱいだった。

「次は外装の調整だね…。」

彼女は作業用ジャンプスーツに着替え、再び作業に没頭し始めた。

サクラノヴァの外装は、小春が大好きな桜色を基調としたデザインだ。彼女はその色に特別な意味を込めていた。桜は一瞬で散ってしまうけれど、その美しさは人々の記憶に残る。彼女もまた、そんなふうに何かを作り上げて、残したいと思っていた。

しかし、ただ美しいだけでは意味がない。実用性も兼ね備えたデザインでなければ、彼女の理想に届かない。小春は複数のCADソフトを駆使して、軽量かつ耐久性に優れた設計を何度も練り直していた。

「よし…これで前腕部のカバーは完成!」

小春は手に取った部品を仮組みしてみた。ピタリとハマる感触に、思わず顔がほころぶ。

「いい感じ! サクラノヴァがどんどん形になっていく…。」

彼女はその夜もまた、工房で作業を続けた。次に取り掛かるのは、ロボットの中核とも言えるコックピット部分だ。この部分の設計には特に時間をかけていた。

「私の特等席だからね。」

小春はコックピットの設計図を見つめながらつぶやいた。桜色の未来は、確実に彼女の手の中で形を成しつつあった。

翌朝、桜庭小春は目覚まし時計のベルに顔をしかめながら目を覚ました。昨夜も工房での作業に没頭しすぎて、結局ベッドに入ったのは午前3時を回ってからだった。目元には薄いクマができているが、小春にとってはそれも「進捗の証」だった。

「さて、今日も放課後が待ち遠しいな!」

学校の授業は小春にとって退屈そのものだった。理科や数学の授業は楽しいが、それ以外の時間は彼女の頭の中が完全にサクラノヴァのことで埋め尽くされていた。

「ねえ、小春ちゃん、また寝不足なんじゃない?」

隣の席の青木美優が心配そうに話しかけてきた。美優は小春の親友で、彼女のロボット制作への熱意を理解しつつも、少しだけ心配している。

「ちょっとだけね。でも、昨日はいい感じの成果があったんだ!サクラノヴァの右膝、ついに完璧に動くようになったの!」

小春は自慢げに言ったが、美優は困ったように笑った。

「うーん、すごいけど、ちゃんと休まないと倒れちゃうよ?」

「大丈夫だって!それに、あと少しで本当に完成しそうなんだから!」

授業が終わると、小春はほとんど走るようにして家に帰った。制服のまま工房に飛び込み、壁に掛けられた作業用ジャンプスーツに着替える。彼女の手には、既に今日の作業計画が書かれたノートが握られていた。

「さて、今日は腕部の制御システムに取り掛かるぞ!」

サクラノヴァの上半身は、まだフレームの状態のままだった。そのシルエットには、華奢ながらもどこか優美なラインが見て取れる。小春が意識して設計した「桜の花びら」をイメージしたデザインだった。

彼女はまず、腕部の骨格にあたるフレームを慎重に調整し始めた。クレーンを使い、重い金属パーツを正確な位置に取り付けていく。その動作は手慣れたもので、まるで職人のような集中力を見せていた。

「よし、次は関節のシリンダーを取り付けて……」

小春の指先は細かい部品を次々と取り付けていく。途中で何度も計測器を取り出し、動作範囲や耐荷重を確認。ミリ単位のズレも許さないそのこだわりが、彼女の作品に命を吹き込んでいた。

作業の途中、小春はふと古い工具箱に目を留めた。それは父が愛用していたもので、今では彼女が大切に使っているものだった。

「お父さんなら、今の私をどう思ってくれるかな……」

父は小春が幼い頃、ロボット工学の研究者として働いていた。しかし、突然の事故で亡くなり、残されたのはこの工房と工具箱、そして彼が遺した数々の設計図だった。小春がロボット制作を始めたのは、父の遺志を継ぎたいという思いがあったからだ。

工具箱をそっと開くと、中には使い古されたスパナやドライバーが整然と並んでいる。その一つを手に取り、彼女は小さく呟いた。

「お父さん、私、もう少しで完成するよ。ちゃんと見ててね。」

日が暮れる頃、サクラノヴァの全身フレームが組み上がった。小春は少し離れた位置からその姿を見上げる。桜色の仮塗装が施されたフレームは、夜の工房のライトに照らされて幻想的な光を放っていた。

「やっぱり、かっこいい……」

小春の胸に湧き上がるのは、達成感とこれからの期待感だった。だが、それと同時に、彼女は気づいていた。まだまだやるべきことが山積みであることを。

「次は動力系統の調整だね。バッテリー容量をもう少し上げられるはず……」

彼女はノートに次々とメモを取る。その姿は疲れを知らないかのようだった。

だが、小春が知らないところで、彼女の活動を注視している者たちがいた。街の外れにある高層ビル、その最上階の暗い部屋で、数名の男たちがモニターを見つめていた。

「確認しました。桜庭工房の娘、ロボットの制作を進めています。」

「なるほど。父親譲りの才能というわけか……。放っておくには惜しいな。」

彼らの背後には、「ナイト・オルド」の紋章が刻まれた旗が掲げられていた。

「だがまだ完成していないようだな。急ぐ必要はない。完成したその瞬間を見極めてから動く。」

男たちは不気味な笑みを浮かべながら、モニターに映る小春の工房を見つめ続けていた。


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