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信じるものは

作者: 末畠ふゆ

この話はフィクションです。実際の人物や職業には全く関係ございませんので、ご理解の上、お読みください。




「神は常にあなたの側におられます。喜び、悲しみ、様々な感情があなたを取り巻くでしょう。ですが、あなたの信じる道を進んでください。神は共におられます」

「シスター、ありがとうございます」


 教会の懺悔室に相談に訪れた女性は、来訪時に見せていた暗い顔から少しばかり明るい表情に変わっていた。悩みを聞いてもらったこと、神の存在を示唆されたことで安堵感を得られたのであろう。


「いえ、これもわたしの務めです。また、何かありましたらお声掛けください」


 シスターは穏やかな表情で女性を見送った。






「神ねぇ………」


 懺悔室に小さな声が響く。残っているのは先ほどのシスターだ。女性に向けていた温かく柔らかい表情はどこへいったのか、冷めた表情をして遠くを見ている。足を組み、頬杖をついたその姿は、日頃のシスターとしての彼女しか知らないものが見たら、幻覚だと思うだろう。それほどに差があった。


「神様がいたら救われる、ってのが本当なら全員不満なんてないだろうよ」


 粗野な言葉遣いは無理やり使っている様子はなく、むしろ先ほどの丁寧な物言いよりも彼女に馴染んでいる。こちらの方が彼女の本来の姿なのだろう。



「信じる信じないは自由ですが、せめてその格好の時は神の使いでいてくださいね」



 懺悔室に新たな人物が入室してきた。この教会の神父であり、責任者だ。つまり彼女の上司である。彼女の本来の姿を当たり前に受け止めていることから、彼には本来の姿を見せているのだろう。彼女の言動に苦笑しながらも「仕方がないですねぇ」と半ば諦めているようだ。


「はいはい、すいません」

「はい、は1回ですよ、シスター・セレン」


 セレンの口調や表情から、反省の意思が全くないのは誰が見ても一目瞭然だ。神父は日頃のやりとりなのであろう、特に気にした様子もなく言葉を返している。



「そろそろ休憩の時間なのでね、交代に来ました」

「シスター・ミレイは?」

「彼女にはお使いを頼んでいましてね。戻るまでわたしが代理です」


 本来の当番であるシスターが来ないので出られなかったのだが、そういった理由があったのか。早く伝えてくれれば良いものを。


「シスター・セレンは相談対応中でしたでしょう? 中に急に入っていくなんて不躾なことはしませんよ」


 考えが顔に出ていたようで、あっさりと神父に返されてしまう。思わずむすっとした表情になってしまうが、せっかくの休憩をこんなことで浪費したくはない。



「じゃ、3時間くらい経ったら戻るんで。あとはよろしく」

「2時間です。勝手に延長しないように」

「交代遅くなったんで、せっかくの休憩が減りました。その詫び分ですよ」



 神父の声もなんのその、持論を展開してさっさと懺悔室を後にする。懺悔室に残された神父は「全く誰に似たんだか」と1人苦笑した。






 セレンは食事を済ませると、一度シスターの装いを脱ぎ捨て、ラフなシャツにズボンといった青年のような装いに着替えた。そのまま教会の裏口から出ると、近くにある丘を登っていく。少しすると人気のない小さなスペースがあり、そこにあるベンチに腰を下ろすと、ポケットからタバコを取り出して火をつける。

 ゆっくりと煙を吸い込み、吐き出す。青空に向かってタバコの煙が広がり消えていった。


「はぁー………神様とかアホくさ」


 神父が聞いたら、また小言の一つや二つ、三つや四つ飛んでこようかという言葉が溢れる。




 セレンは神を信じていない。

 ではなぜ、シスターなどしているのか。これは単純な話で、教会の神父に拾われたからだ。

 セレンは孤児だった。親の顔は知らず、育ての親も知らない。一番古い記憶は自らの足で歩き、食べ物を探し、簡単な身の回りのことは出来ている自分だ。正確な年齢はわからない。神父に拾われた時に『おそらく10歳くらい』と言われた。あれから15年経っているので、一応25歳ということで通っている。

 なぜあの場所にいたのか、自分は誰なのか、そんな疑問を持ったこともあったが、すぐさま忘れた。自分が生きていく環境は、そんなことを考えている余裕はなかった。その日の食事にありつくことが日々の重要事項だった。もちろん簡単なことでは無いため、2、3日食事が出来ないこともザラにあった。時には盗みを働くこともあった。上手くいく時もあれば、バレて痛い目を見ることもあった。同じ町に長くい続けることもできず、流浪の民として彷徨った。


 そんな時、偶然出会ったのだ。神父に。


 出会いは最悪で、神父の財布を狙って見事に捕まった。警備隊に突き出すか、自分の言うことを一つ聞くか、という二択を迫られた。言うことを聞くだけなら、と神父の話を聞く方にした当時の自分を殴ってやりたい。



 神父が出した条件は、自分の元でシスターとして暮らすこと、だった。

 「いやぁ、人手が足りなくて困ってたんですよ〜」なんて笑いながら、自分の手を強引に引いて教会に戻ると、近くにいたシスターにセレンを預け、風呂に入れるように指示した。シスターは最初驚いた表情で固まっていたが、すぐに気を取り直し「じゃあ、いきましょうか」なんて言って風呂場に向かった。そこで丁寧に、いや痛いほどに体や髪を洗われた。川で水浴びをした記憶はあっても、風呂に入った記憶はない。暖かい湯で体を洗われることに違和感しかなく、ひたすらパニックだった。しかし、シスターは動じた様子もなく、手際よくセレンを洗っていく。ようやく風呂から上がる時には、セレンの気力は尽きており、そのままベッドに寝かされた。こんな柔らかい寝床なんて経験がない。けれど疲れはピークに達していて、スッと眠りについた。


 起きてからは怒涛の日々だった。まずは生活に慣れつつ、教会のことを知っていった。そのあとは勉強だ。基本的知識について、手の空いているシスターが代わる代わる教師となった。勉強の面は、自分の記憶にはなかったが、知っている知識が多かった。その分、楽でもあった。

 一番苦戦したのが言葉遣いだった。荒っぽい言葉遣いではシスターとしてはNGらしく、とにかく丁寧な物言いに直された。笑顔を張り付けながら丁寧な言葉で話す、自分は役者にでもなったのかと思うほどに別人を生きている気分だった。その分、日常では普段の言葉で話しても誰からも注意はされなかったので、そこでバランスを取っていたんだろう。当時はそれどころではなかったが。


 教会で暮らし始めて2年経った頃から、人前に出てシスター見習いとして過ごすようになった。その頃には、シスターの服装の時であれば丁寧いな物言いに慣れてきたというのもあり、対人関係を築くという目的で街の人々と触れ合った。

 18歳でシスターになった。もう柔らかい笑顔も丁寧な言葉遣いもお手のもので、自由自在に切り替えができるようになっていた。



 そういえば、『セレン』という名前をくれたのも神父だった。孤児の時は、誰も名前を呼ばないし、特に必要と感じる場面もなかった。神父に会った時に初めて名前を聞かれたのだ。


『あなたの名前は?』


『……知らない』


 そんなこと聞かれたこともなかった。答えられないことが、こんなに歯痒いと感じたこともなかった。優しくされることにも慣れなくて、どうしたらいいのかわからなかった。

 教会にやってきて数日経った時、神父がこう言ったのだ。



『名前が無いと、やはり不便ですね。たくさんの人の中で、あなただけに言葉を向けても届かない』

『……そんな日、来ない』

『そんなことはありませんよ。今も私はあなたの名前を呼びたいですし、『あなた』という呼び方は他人行儀で嫌ですしね』


 元から他人なのに何を言っているのか。セレンには理解ができないが、神父は1人で「うん、それがいい」と納得している。



『あなたの名前は「セレン」です。数々ある神話の中の一つに出てくる月の女神の名前です』

『セレン……』

『セレンからは穏やかな空気を感じます。そして光を。名は体を表すと言いますし、ピッタリですね』







「何が何を表すんだよ……」


 自分は穏やかでもなければ、光り輝く存在でもない。それは当時もだ。一体何を持ってそう感じたのだろうか。一度聞いたこともあるが、「言葉の通りですよ」といつもの笑みで躱されてしまった。

 思い出に浸っていると、いつの間にかタバコも短くなっていた。こんなんでも、1日1本と決めているのだ。なんだか吸った気はしないが、まぁこんな日もあるだろう。


 重い腰を上げ、教会に向かってゆっくりと歩を進める。戻る頃に2時間くらい経っているだろう。神父には3時間と言ったが、教会周りはそんなに娯楽もないので3時間の休憩を潰すのは至難の業だ。少し遅れはするが、2時間で戻ろう。




 教会に戻ってシスター服に着替えると、笑顔の仮面を被り人前に出る。夕方近くになってくると、子ども達が遊びにくる。物語を読み聞かせたり、一緒に歌を歌ったり、時にはお菓子を配るというのも教会の日常だ。子どもとの触れ合いは、なんだかんだ楽しい。中には生意気なことを言っている子もいるが、当時の自分に比べたら可愛いものだ。どうとでも言いくるめられる。




 子ども達が帰ると、教会の通常会館は終わる。あとは懺悔室に当直のシスターが入離、必要があれば対応する形だ。セレンは日勤であったため、今日はこれで終わりである。

 再びシスター服からラフな装いに着替え、夕食にありつく。隅の席で1人で黙々と食べていると、急に影が出来た。見上げると神父が立ってる。


「ご一緒してもいいですか?」

「ダメって言ったって勝手に座るでしょ」

「じゃあ、お言葉に甘えて」


 会話になってない会話をしながら、神父はセレンの向かいに腰を下ろす。「いやぁ、今日の夕食も美味しそうですねぇ」なんて言いながら、綺麗な仕草でシチューに口をつけている。

 セレンは、ふと日中に考えたことを改めて聞いてみたいと思った。話す機会はそれなりにあるが、自分自身が聞こうと思うことが無かったのだ。


「あの…さ…」

「なんですか?」


 改まって話そうとすると、言葉が上手く出てこない。そんなセレンを気にした様子もなく、神父は穏やかに続きを促す。


「なんで……拾ったの……」

「可愛い子猫が道端で助けを求めてニャーニャー鳴いていたら、誰だって拾っちゃいますよ」


 言葉足らずの質問も、神父にはちゃんと伝わっていた。「子猫……」と思わず呟いて、自問自答してしまったが、どう考えても自分はそんな可愛らしいものではないと思う。


「目、悪いんじゃないの?」

「そうなんですよ、眼鏡をかけないと視界がボヤけてしまって。でも、日中は着けていますし、セレンと会った時も眼鏡はしていたでしょ?」


 「ね?」と笑顔で自信満々に返してくる。本当に食えないおっさんだ、と思う。何を言ってもセレンのことなどお見通しとばかりに、笑顔で受け止める。わざと怒らせようとしたこともあったが、逆に揶揄われてしまう。それでセレンが腹を立てていて、ハッと本来の目的に気付くいうのがお決まりの流れだ。

 何を言えばいいのかと考えあぐねていると、代わりに神父が話し始めた。



「セレンと会った場所がどこだったか、覚えていますか?」

「え? いや……」

「花屋だったんですよ。ちょうど花を買おうとしていてね、その時に会いました」


 財布をスろうとしていたので、そんな素敵な出会いではない。改めて突きつけられているようで、気まずい思いになる。


「セレンをシスターに預けたあと、わたしは墓参りに行っていました」

「あ…奥さん?……」

「そうです。丁度、月命日だったもので」


 そんな日に最悪な出会いをしてしまったのか。ますます自己嫌悪に陥る。

 当時の自分からは想像できないが、教会での生活はセレンを変えた。人の温かみを知り、愛情を知った。本人にそんな自覚はないのだが、それでも考えに変化が起きているのは事実で、当時からセレンを知っている神父やシスターはその変化を喜ばしく思っている。



 セレンの様子を見守りながら、神父は話を進めた。


「妻が亡くなったのは、もう20年も前です。病気でした。不治の病ってやつですね。医師を探して、最適な治療を受けられるように必死でした。最初、妻は治療に対して否定的でした。お金が掛かるからって。残りの時間をわたしと穏やかに過ごしたい、なんて響きのいい言葉を言ってくれましたっけ………でも、ある日、治療に対して前向きになってくれたんです。妻の気持ちも向いたことで、わたしも今まで以上に探しました。けれど、病はそんな我々を嘲笑うかのように妻を連れて行った」



 穏やかだけれど悲しい声音で神父は語る。まるで昨日のことのように。


「当時、すでにわたしは神父として過ごしていました。今と同様に神の存在を人々に伝え、心の救済のお手伝いをさせて頂いていた。……けれど、妻が亡くなった時、わたしは神を罵倒した」



 日頃、セレンが神を信じない発言をする度に宥めるような声掛けしている人物とは思えない言葉だ。何より、この神父に限ってそんな思いを抱いていたことに驚きが隠せない。


「人間、あまりの悲しみが襲ってくると、心の奥底が透けて見えると言いますが、まさに当時のわたしがそうだったんでしょうね。神を信じていると言いながらも、自分の都合の悪い状況になると悪く言う。全くもって我儘です。だからでしょうか?……あとから、妻が妊娠していたことがわかったんです」


「あか…ちゃん…」


「ええ、お腹の中にいたんです。だから治療に前向きになったようですね……きっと、わたしに過度の期待を持たせないようにとの配慮だったんでしょう。だからわたしは、2人の大事な人を一度に失いました」



 セレンは、なんと言葉を返していいのかわからない。いつも穏やかに微笑んで、時に飄々とセレンに向き合う神父からは窺い知れない過去を聞かされている。慰めればいいのか、励ませばいいのか。そもそも、自分を拾った理由を尋ねたはずだが、こんなことになるなら聞かなければよかった。




 沈黙が2人の間に流れる。食堂は他にも人がいるはずなのに、不思議と耳には神父の声以外入ってこない。



「夢を見たんです」



 沈黙を破るように、再度神父が話し始めた。夢? 急に話が飛んで、頭がついていかない。


「妻が白い光を抱えて立っていました。手を伸ばしても届かなくて、声を出そうにも出せなくて……周囲は明るいのに、まるで地獄のようでした。夢の中くらい、話させてくれてもいいのに、と。その時に、妻からの声が聞こえたんです。『あなたとの子どもよ、セレンって言うの』とね」


「……セレン」



 神父が自分につけた名前だ。月の女神の名前。


「セレンに会ったのは、夢を見てすぐでした。なんと言い表していいのかわからないのですが、妻からの贈りものだと感じました」

「全然……似てないのに?」

「ええ。年齢も違う、わたし達2人にも似ていない。それでもです」



 神父は、穏やかで慈しむような表情でセレンを見る。いつものセレンであれば、恥ずかしさや気まずさから逸らしてしまう視線を、今日は逸さなかった。


「名前はね、願いなんですよ」

「願い……」

「そう、親の勝手なね。産むのも親の勝手です。だけれど、育てるのは親の義務で、子どもの権利です。わたしはセレンを勝手に拾って、勝手に名付けた。そして勝手に育てようと思った。だからね、セレンは権利を持っているんですよ」


 そんな権利、聞いたことがない。なんて身勝手な言い分で、セレンにとって都合がいいんだろう。



「セレン……穏やかで光り輝く月の女神。わたしにとって、わたし達夫婦にとってセレンは慈しむべき大事な子なんですよ」



 「そんな大事な子を、ほっとくわけないでしょ」と笑いながら言う神父の顔が、どんどんボヤけていく。頬に水がつく。手にも、服にも。

 セレンはいつの間にかボロボロと涙をこぼしていた。神父からの愛情を感じていなかったわけではない。でも、拾ったことを後悔していたら、いまさら要らないと言われたらと思うと、怖くて確かめられなかった。



 「おやおや、泣き虫になっちゃいました?」なんて揶揄う声に、今は何も言えない。笑顔を絶やさず、ハンカチで涙を拭ってくれる。それでも涙は止まらない。近くを通った古株のシスターも、「あらあら」と言いながら肩を抱きしめてくれた。





 神は信じていない。


 でも、自分へ向けられる愛情というものは………信じてもいいのかもしれない。




神様がいないとは言わないけれど、信仰は自由だと思ってます。

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