第44話 バスターミナル
夜の新宿バスターミナルは混んでいた。上高地行きのバスは午後11時すぎに新宿を出て、現地には早朝5時過ぎに着く。5月の連休を直前に控えているので、私たちのように遊びに行く人が多いようだ。待合室はかなりの面積だが、夜十時過ぎというのに多くの人がいるので広々とした印象ではない。バスを待つ人々は旅先での体験を期待する明るい表情が目立つ。もちろん私もその一人だ。
「ルドルフ、あそこの席があいたから、ママを座らせてよ。僕は乗り場とか確認してくるから」
「わかったパパ。ママ、行こ」
ルドルフに手を引かれて空いた席に座る。運よくとなりの席も空いて、二人で修二くんを待つ。
「みんなどこ行くのかな?」
ルドルフに聞かれて見回してみると、大きなディスプレーが目についた。
「ルドルフ、あれ」
と教えてあげると、ルドルフは背を伸ばしてディスプレーに表示された行き先を読み始めた。
「青森、金沢、大阪、あ、四国に行くのもあるんだね」
ルドルフは私と修二くんが研究に出ている間新発田先生のおうちにお世話になっているが、その新発田先生によるとルドルフはよく地図帳を眺めているそうだ。
「ルドルフはどこに行ってみたい?」
「う~ん、りんごなら青森、金沢はのどぐろ、四国ならうどんだね」
「ルドルフはくいしんぼだね」
「うん、ママの子だから」
するとルドルフのむこうに座っていたオバチャンが吹き出した。そのオバチャンはニコニコとして話しかけてきた。
「お二人はどこにいくんや」
とりあえず私が答える。
「はい、長野の上高地です」
「ああ、あこはええとこやな。おやきを食べながらきれいな山を見たな」
「そうですよね。私も二度行ったんですけど、そのたび食べちゃいますね」
「そうやろ、はい、あめちゃん」
と、私とルドルフに飴玉をくれた。
「あ、そろそろ時間や。楽しんできてな」
「ありがとうございます。お気をつけて」
そのオバチャンの姿が人ごみの間に見えなくなると、ルドルフが言った。
「ネリスの言葉と似てるけど、なんか違うね」
「そりゃそうよ、ネリスのはエセ関西弁だから」
「ハハハ、ほんとは千葉だもんね」
修二くんがレジ袋を手にぶら下げてもどってきた。
「やあおまたせ。バス乗り場はもう上高地行きを待っている人が居たよ」
「もう移動したほうがいいかな」
「う~ん、ちょっと風が寒かったから、まだいいんじゃない」
「そう、で、何買ってきたの」
修二くんはレジ袋の中を見せてくれた。水の入ったペットボトルが3本、ガム、のど飴、クッキー、それに菓子パンも入っている。
「バスの中でお腹がすいたらなって思ってね」
「そっか、途中のサービスエリア、あてにできないもんね」
私の言葉に、ルドルフが「?」という顔をしているので説明する。
「夜遅いからね、ほとんどの店、しまってるのよ。あとねこういうバスだと、トイレ行ってる間に時間なくなっちゃうこともあるんだよね。あくまでトイレ休憩だから」
「そっか、じゃ、ママの楽しみ、無いね」
「はははルドルフ、そういうほんとのことは、言っちゃだめだよ」
「修二くん!」
アホなことを言っている間に時間が迫ってきた。交代でトイレに行ってからバス乗り場に移動する。
バス乗り場は新宿駅の上、4階にあるから少し風を感じる。照明もされているがさすがに待合室よりは暗い。指定の乗り場にはすでに何人か先客がいて、皆大きめのリュックを持っている。服装もいかにもアウトドアな人だらけだ。もちろん唐沢家もそういう服装なのだが、ルドルフのレインウェアを買うとき若干揉めた。
「ママ、迷彩柄の雨具ってないの?」
「ルドルフ、雨具はピンチのときには絶対着るものだから、派手な色のほうがいいのよ」
「ぼくとしてはピンチの時ほど目立ちたくないんだけど」
「そういうピンチじゃなくってね、寒くて動けないとかね」
「まあパパとママは寒さも敵だろうけどね」
「そうなのよ、だからピンチのときはルドルフが助けを呼んでよね」
「うん、わかった」
そういうわけでルドルフの雨具は黄色になった。
バスがやってきた。バスの下側に荷物をのせてもらい、身軽になって指定の座席につく。3列シートの横一列が私たちの指定席だ。親子3人で恨みっこ無しのくじ引きをし、左の窓側がルドルフ、右の窓側が修二くんになった。私は景色の見えない真ん中だ。
「ふん、どうせ夜行だから景色なんて見えないし、真ん中のほうがあったかいもんね」
と私は二人に言っておいた。
「ママ、ぼくと席代わる?」
とルドルフは言ってくれたが、私としては朝一番の穂高の景色をルドルフに見せてあげたかったので遠慮した。
とくにトラブルもなくバスは出発した。暖房もよく効いていたので、ブランケット代わりにしたフリースジャケットの肌触りがよく、すぐに寝ることができた。




