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第41話 予約

 2月の日曜日の夕方、私はパソコンの画面の前で固まっていた。3月の学会の準備で行き詰まっているわけではない。今修二くんのやっている中性子散乱実験でトラブルが起きているわけではない。画面には今度の4月末に行く上高地行きのバスの予約画面がうつっている。


 この1年、私と修二くんは博士後期課程の1年目として忙しく過ごしてきた。まあ夏には北海道、秋にはサーキットキャンプと行楽がゼロだったわけではない。学位をめざす院生としてはむしろ遊んでいたほうかもしれない。

 そして来年度の中性子散乱実験施設の予定は、ゴールデンウィークなど存在していなかった。普通にビームが出ている。私もめでたくチョッパー分光器の運営チームに加わっていたから、ゴールデンウィークも実験に参加する気でいた。大学の4年の頃からゴールデンウィークといえば研究室を占領して好き勝手に勉強してきた。先生も先輩も休んでいるから何か指示されることはないからだ。さすがに新婚だった一昨年は修二くんのご両親と一緒に北海道旅行をしたけれど、前回のゴールデンウィークはSHELの図書館にこもっていた。


 ところがである。一週間前、私は新発田先生の奥様しほさんに注意された。

「聖女様、連休はちゃんと休まないとだめよ」

「はい、大丈夫です。交代で休みとりますから」

 私としては何日か実験に参加、何日かは休みとして理論研究に没頭する気でいた。

「あのね、そういうことじゃないのよ。ルドルフくん」

「あ」

「あのねぇ、ちゃんと休みをとって、ちゃんと遊びに連れていきなさい。ルドルフくんにとってはそれも大事な勉強なんだから」

「そ、そうですね。検討します」


 その夜私は修二くんとルドルフに聞いてみた。

「あのさ、5月の連休だけどさ、どっか行こうよ」

 それを聞いた我が家の男どもは驚愕していた。

「杏、実験あるよね」

「ママ、休みなんでしょ? 勉強しないの?」

 失礼だなとも思ったが、ふたりとも私をよくわかっているとも言える。

「あのね、しほさんに言われたのよ。ルドルフを遊びに連れてくのも、大事な勉強だって」

「なんだ、そういうことか」

 ふたりともホッとした表情になった。ちょっと腹がたった。とにかく話をつづける。

「それでさ、ふたりとも、どこか行きたいとこある?」

「「う~ん」」

 二人とも腕を組んで考え始めた。まったく同じポーズで、さすが親子である。


 しばらくして修二くんは言った。

「僕としては、杏といっしょならどこでも楽しいからね。ルドルフ、どっか行きたいとこある?」

 1年前の私なら感激して修二くんに熱烈ハグしてしまうところだが、もうだまされない。これはいいアイデアが浮かばず、ルドルフに丸投げしているだけである。

「う~ん、北海道は夏に行ったしね」

 ルドルフはそう言う。宿はのぞみのところか玲子ちゃんのところかどうにでもなるが、このタイミングで飛行機がとれるか不安である。

 すると修二くんは、

「じいじのとこ行くか? それで夢の国に行くのもいいかもね」

と言う。じいじとは、修二くんのお父様、つまり実家に連れていくということだ。うちの両親、とくに父は何かと理由をつけて東海村に来ているからそれもいいかもしれない。近いうちに水戸の梅祭りを見に来ると言っていた。

「ぼく、あんまりテーマパーク、興味ないんだよね」

 アウトドア派のルドルフはあまり乗り気でないようだ。でも唐沢家の嫁として一言言っておく。

「でもルドルフ、じいじ・ばあばには会いたいでしょ」

「うん、会いに行く」

 ルドルフは目をキラキラさせているから、これはきまりだろう。ところが修二くんはまだ納得しなかった。

「東京行くだけでいいかな? あっち行っても買い物くらいしかすること無いぞ」

 これを聞いたルドルフは、

「じゃ、じいじのとこに行って、そのあと僕、上高地行きたい。パパ、ママ、上高地、好きでしょ」

と言った。


 そういうわけで唐沢家のゴールデンウィークは、まず東京の唐沢家で1泊、そのあと新宿発の夜行バスで上高地へ行くことになった。そして週明けにそれをしほさんに報告したら、しほさんはお嬢さんたちにそれをバラしてしまったらしく、まほちゃん・みほちゃんも上高地に行くことになった。引率は新発田先生、ついでに榊原先生のお嬢さんあかねちゃんも行くことになった。新発田先生とまほちゃん・みほちゃん・あかねちゃんは列車とタクシーで上高地入り、合流する作戦だ。


 上高地の宿泊は、バンガローを借りた。子供も多いし新発田先生は脳梗塞の後遺症で杖をついているからキャンプは無理と判断した。定員が8名、ひとり分空いていることを山好きの宮崎先生に話したら、

「なら、僕、泊めてもらっていいかい? どっか山を登ってから合流するよ」

ということになった。


 話は冒頭にもどる。


 なぜ私が上高地行きのバスの予約画面で固まっているかと言うと、バスは3列シートと4列シートの2種類があるからだ。


 大学4年のときに上高地に行ったときは、普通の観光バスだった。シートは横に4列並んでいる。利用したことがある人はおわかりかと思うが、それなりに窮屈である。だから横3列のバスがあって、ちょっと料金が高くなってしまうのだがかなり快適なはずだ。そして今目の前の画面では、3列シートのほうが残席がわずかとなっている。


 べつにお金が惜しい訳では無い。


 4列シートの場合、2人+1人となる。その場合、私か修二くんかルドルフがひとり別れて座ることになる。私がひとり別の場合、単純にさみしい。修二くんはやさしいからルドルフのとなりをゆずってくれるだろうが、それも申し訳ない。夏の北海道旅行ではルドルフが別の席になったが、また今度も一人にするわけにはいかない。ルドルフがかわいそうだし、夜行バスの予定だから隣の人に気を使わせてしまうかもしれない。

 だからといって3列シートにしてしまうと、3人バラバラ確定である。単純にイヤである。


「ママ、いいかげん決めなよ」

 ルドルフが私の横で呆れたように言った。

「う~ん」

 私はもう何回繰り返したかわからない、上記の決断できない理由をルドルフに説明した。

「もういいよ、わかったよ。パパ帰ってきちゃうよ」

 修二くんは今日も分光器のサポートのため時間は短いがSHELに行っている。出かけに「帰るまでに決めといてよ」と言われていた。

「う~ん」


「ママ、ぼく決めるよ。3列」

「え? いいの?」

「4列だとだれかが別でしょ。こんなに悩むなら、全員別でいいよ。だって寝ていくんでしょ」

「そうだけど」

「僕ひとりでも大丈夫だよ。とにかく3列」


 ルドルフは私からマウスをとりあげ、「予約」のボタンを押した。

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