第40話 白い思い出
バタバタしているうちにあっという間にクリスマスイブが近づいてきた。菅野先生から厳命された資料の送付は地獄だった。参加者が3桁に行きそうになった。
まず、SHELの中性子ユーザーの参加者が多かった。当日他の分光器で実験中のユーザーはいいのだが、それまでの日程で実験を終了したユーザーが噂を聞きつけエントリーしてきた人が結構いる。その人達は日本中にちらばっていて、いちいちセミナーの資料にSHELと大学院大学のパンフレットを入れなければならない。普通学校のパンフレットは学校案内と募集要項の2冊セットであり、大学院大学もそうだからそれだけでもそれなりの厚みになる。SHELのほうは、一般向け研究所のパンフレット、就職希望者向けのパンフレットの2冊セットだ。セミナーの資料とあわせて封筒に入れると厚みが15ミリメートルほどになっていた(ノギスで測った)。
そして中性子ユーザー以外で、扶桑女子大・国立女子大・柏の帝国大・物理学校・札幌国立大からそれぞれ十名を超える参加者があった。こちらは上記のパンフレットに加えてSHELの物質系の実験施設のパンフも入れる。
最初私はこのパンフ類の袋詰めを私の居室でやる気でいた。しかし人数が増えてしまって、居室にはとても収まらない量になってきた。ブーブー言ってたら宮崎先生が榊原先生に話を通してくれて、実験施設の会議室で行うことになった。これは大変に助かり、修二くんだけでなく実験棟にいたビジターの院生たちも手伝ってくれた。そのおかげでパンフ類の袋詰めはすぐに終わったのだが封はできなかった。
京都のとある先生の原稿が遅れたからである。
この先生は私達とは別の分光器のリーダーで、月に一度はSHELに来て実験している。専門はゴムである。ゴムもまた固体でも液体でもない物質である。今回のセミナーのテーマはガラスであるが、金元先生はゴムを研究している。私達磁性屋が主に扱う物質周期構造は周期構造をとっているが、ガラスもゴムもランダム構造である。そしてゴムは温度を下げるとガラス化する。
ゴムと言ったら普通、伸び縮みするいわゆる「弾性」を考えると思う。しかしゴムの「弾性」というのは高校の物理で教わる「弾性」とは全然違う。高校の「弾性」は「フックの法則」と言って、バネにかかる力とバネの伸びが比例する。数学的にも扱いやすいし、その数学的手法は粒子の生成・消滅の表現にも使われていて、我々物理屋には馴染みが深い。しかしゴムにかかる力と伸びは比例しない。たとえば引き伸ばされた金属の弾性は、規則的に並んだ原子が整然とした原子のもともとの位置に戻ろうとするものである。ころがゴムでは、力がかかっていないときは分子はぐちゃぐちゃに曲がっている。引き伸ばされると分子は直線に近づく。ゴムの弾性は「エントロピー弾性」と言って、ぐちゃぐちゃの状態にもどろうとすることで起こる。自分で勉強してもそれくらいのことはわかっていた。
京都の金元先生は十二月初め実験のときにセミナー用資料を持ってきてくれていた。金元先生は私達のチョッパー分光器ではなく、実験ホールの中性子源の向こう側の小角散乱実験装置の人である。日頃あまりお付き合いのない私は、榊原先生に紹介してもらって今回のセミナーの演者として金元先生に声をかけていた。ちょうどその頃私は福岡の近江先生から高圧下の実験について検討中で、原稿をちゃんとみていなかった。実験が終わって金元先生が京都へ帰られた後、漸く私は原稿を読ませてもらった。先生は大急ぎだったのだが金元先生のところのD1(つまり同期)の川崎くんはまだ東海村に残っていた。データ処理と片付けのためである。川崎くんは私と同じくロールケージの組まれた車に乗っていて、ときどき話したことがあった。たまに競技に出ているらしい。
「川崎くん、今度のセミナーの金元先生の予稿読ませてもらったんだけどね……」
「どうしたん、聖女様」
「あのね、ゴムについての物理はいいのよ、物理は。だけど小角散乱で実験する必然性がこの予稿ではあんまり触れられていない気がするのよね」
「ええ? ゴムみたいに空間スケールの大きい物質は小角散乱の独壇場やないですか」
「そうなんだけど、今回の出席者、ゴムどころか中性子も初心者がけっこういるのよ」
「そうなんや」
「うん、当初の出席予定者は中性子のユーザーを中心としていたんだけど、いつの間にか出席者が増えちゃって……」
「ほーん」
私は出席予定者のリストを川崎くんに見せた。
「それにしてもうまいこと、男女比がほぼ1対1やね。なんか楽しみになってきたな」
「あのね、志穂ちゃんに言うわよ」
「あ、やめて」
志穂ちゃんとは京都にいる川崎くんの彼女である。一度もお会いしたことはないけれど、勝手にちゃんづけしている。
「とにかく京都にもどったら、金元先生に言っとくよ」
「うん、よろしくね」
川崎くんはところどころボコボコになった愛車に乗って、京都に帰っていった。
一週間ほどして金元先生から電話がかかってきた。
「聖女様、あの原稿、差し替えるからちょっと待って」
「先生、生意気なこと申し上げてすみません」
「いやいや、大丈夫大丈夫。それよりこの話、さっき川崎くんから聞いたんだよ」
「え、そうなんですか?」
「ああ、彼ね、そっちから戻ってしばらく、風邪で寝込んでね」
「そうなんですか、元気そうでしたけど」
「志穂さん幼稚園の先生やってるだろう。帰ったら寝込んでて、看病してたらうつされたらしい」
「あーなるほど。それより彼、同棲してるんですか?」
「そうだよ。君のせいだよ」
「へ?」
「東海村で君たちの話聞いて、辛抱できなくなったらしい。もうすぐ入籍する予定だよ」
「はあ、なんかすみません」
「ははは、ま、とにかく原稿、もうちょっとだけ待って」
「はい、了解しました」
家へ帰って修二くんにその話をした。
「セミナーの資料、金元先生のが遅れるって」
「そうなんだ。じゃあさ、他の原稿だけホチキス止めしちゃおうよ。それで袋詰めしてさ、金元先生の原稿だけ後から入れて出そう」
「そうだね、発送のデッドライン、業者さんに聞いとく」
「そうか、場所によっては一日じゃつかないか」
「うん、多分」
「じゃ、いよいよ袋づめ、急がないといけないな」
「だね」
その夜私が修二くんの胸にくっついているとき、修二くんが聞いてきた。
「そう言えばなんで金元先生の原稿遅れてるの?」
「この前の実験のときに川崎くんには言ったんだけどね、川崎くん京都で志穂ちゃんから風邪うつされたんだって。それで寝込んで報告遅れたらしい」
修二くんも川崎くんと志穂ちゃんの関係は知っている。
「そっか。そう言えば僕達も札幌で寝込んだことあったね」
「うん、あった。修二くんが倒れて、私も熱出た」
それはM1の正月、付き合い始めて間もない頃である。私と付き合い始めてバタバタしていた修二くんは実験が遅れ、年末も実験、元日だけ東京にもどって唐澤家・神崎家に挨拶、正月2日3日も実験だった。札幌の吹雪が、白い世界が脳裏に蘇る。あの中を二人で歩いてサンプル交換に実験室に通った。大切な思い出である。そして正月明けに修二くんが大学で発熱、大学の保健管理センター(通称ホケカン)で診察してもらい、そのまま家で寝込んだのだ。私も少し遅れて発熱、二人で修二くんのおうちで寝込んでしまった。
「あれ、大変だったね」
「のぞみと真美ちゃんには感謝だわ」
「川崎くん、大丈夫かね」
「どうだろ、ま、だれかいるんじゃない」
「うん」
今夜ルドルフは榊原先生のおうちでお泊りしている。だから私はもういちど、修二くんにしがみついた。




