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第34話 シグナル

 修二くんに促され、私はチョッパー分光器をコントロールするコンピュータの前に座らされた。

「杏、ログインして」

「うん」

 私はIDとパスワードを入力する。

「うん、じゃあ実験開始して」

「え、まだ走らせてなかったの?」

「そうだよ、冷凍機しかけて実験ホールからでてきたところで杏に出くわしたんだから」

「そ、そうか、ごめん」

 私のごめんは、状況がわかっていなかったことにではなく、貴重なマシンタイムの一部を失ったことに対してである。

「とりあえず十分間スキャンしてみよう、いいですよね、榊原先生」

「あ、ああ、過去の経験からすると、十分もあれば例の効果、はっきりするよな」


 モニター上には、サンプルから反射してきた中性子のシグナルがポツポツと写り始めていた。


 モニターに映されるグラフは、横軸がサンプルから散乱されてくる中性子の方向、縦軸は中性子がサンプルとやりとりしたエネルギーを表している。その方向とエネルギーに応じた散乱中性子線の強度がグラフの色で表される。私の予想では、グラフは波のような形になるはずだった。もし例の効果が実験に影響を及ぼしてしまうと、グラフは波状にならずノイズだらけになってしまうはずだ。


 モニター上に中性子線のシグナルがまだランダムになっているように見える。期待と絶望が私の心で渦巻く。


 手を握られた。

「大丈夫だよ、杏」

 横を見ると修二くんがモニターを目を眇めるようにしながら見ている。

「そうなの? 私はまだノイズしか見えないんだけど」

「最初はそうさ、だけど中性子やりたいんだったら、この状態でデータがとれ始めているかわからないと」

「そうなの?」

「そうだよ、なにか機材に問題があってデータがとれないんだったら、早く対策しないといけないしね」

「そういうもんですか、先生」

「ああ、修二くんの言う通りだな」

「はあ」

「データ、形になりはじめてるよ」

「そうなの、修二くん」

「うん、いい感じだね」


 何分間か全員無言でモニターを見つめていた。そして私にもモニター上にまともなデータがが現れてきているのがわかるようになってきた。

「唐澤くん」

「はい、先生」

「このスキャン、止める必要ないよ、このままやろう」

「そうですね」

「聖女様」

「はい」

「よかったな、でも宮崎先生、ほったらかしになっているんじゃない?」

「あ、そうですね」

 時刻はもう十時近い。私は研究室にもどろうかと、腰を浮かせかけた。

「お、神崎君、いたいた」

 旧姓で私を呼ぶその声は宮崎先生だった。

「あ、宮崎先生、おはようございます」

「おはよう、なんかさわぎを起こしたみたいだね」

「す、すみません、私……」

 ここで修二くんが割り込んだ。

「宮崎先生、杏はどうやら実験できるようになったみたいなんです」

「ほう」


「杏」

 修二くんは今度は私の方に向かって言った。

「宮崎先生には僕達の事情、ちゃんと話しといたほうがいいと思う」

 すると榊原先生は、

「それは僕が話そう、夜に新発田先生のところにでもおじゃまするか」

とおっしゃる。宮崎先生は、

「なんか複雑な事情がありそうだね、ま、ルドルフくんのことも絡んでいるんだろう」

と言い、さらに、

「午前中はぼくもこちらにお邪魔しよう。データがとれつつあるところなんて、僕達はめったに見れないから」

とも仰った。


 三十分もすると、データはいい感じの状態になってきた。最新のデータと自分の理論的予測をひとつのグラフにPC上にまとめてみる。それを後ろから眺めていた榊原先生が、

「それ、プリントアウトしてよ、人数分」

と言った。指示通り複合機(コピー機)にジョブを送り、でてきたグラフを実験関係者に配って回る。新鮮な体験だった。


 午前中はそうして実験をして過ごした。途中で分光器に液体窒素を汲み足すのも手伝わせてもらった。


 昼食は研究所内の職員食堂でとった。とくにおいしいわけでもないが量が多いのと、おじさんたちのパワフルな雰囲気が好きだった。定食をもらってテーブルに行く。そういえばスマホを全然チェックしていなかったので見ると、札幌にヤニックさんが現れたそうだ。修二くんにそののぞみからのメッセージを見せる。ノルトラントから戻ってきて最大の心配事があっさりと解決してしまった。のぞみには近いうちに札幌に行くとメッセージしておいた。


「神崎さん、なんかやらかしたらしいね」

 振り返るとSHELの所長菅野先生だった。

「なんでご存知なんですか?」

「何いってんの、君、有名人だよ。聖女様の噂を聞かない日はないよ」

 修二くんが視線をそらした。

「修二くん、うわさ流してんの?」

「いや、親衛隊だと思うよ」

 菅野先生がスマホを見せてきた。随分前にしっかり親衛隊の隊員になっていた。


 親衛隊とは別に私の護衛を務める部隊ではない。私が札幌へ移った際、明くんがSNSではじめたもので、最初は私からかくれて私の噂話、私にバレてからは物理の情報交換の場として機能している。なお類似のものとしてのぞみんファンクラブは札幌の物理科の連絡、まみちゃんずはいつの間にか卒業生の交流の場になってきた。


 菅野先生も私達のテーブルに同席した。

「今親衛隊、何人いるの?」

 これには私が答えておく。

「4けた行っちゃいましたね。もう今や知らない人だらけです」

「ふ~ん、じゃあ大変なことになっているね」

「まあ流石に発言するのは、リアルに交流がある人だけですけどね」

「ははは、しかしその調子だと、そのうち規模が学会を超えちゃうかもしれないな」

「何言ってるんですか、学会員は今15000人くらいじゃなかったですか」

「いやいや、親衛隊は結成して3年目だろう、指数関数的に人数増えるんじゃない?」

「そうですかね、基本的に私の行動範囲内にとどまると思うんですけど」

「ははは、甘いよ。榊原先生、どうせ聖女様はビジターといっしょにご飯に行って、実験内容に片っ端から首を突っ込んでいるんだろう」

 SHELは共同利用を前提とする実験施設だから、常に外部から実験に研究者が訪れている。私は理論だからふつうだったらビジターと交流がないのだけれど、修二くんのおかげでビジターの人ともお話する機会が多い。修二くんはビジターの人と昼食・夕食を摂ることが多く、私はそれについていく。大抵の研究者はご自身の研究内容を話したがるから、耳学問はどんどん増えている。

「こないだの学会は忙しかったみたいだけど、君、本当はいろんなセッション出たかったんでしょう」

「はい」

「出たら出たで質問しまくるだろうから、すぐに顔が売れるよ」

「はあ」


 ノルトラントとこちらの世界の行き来にはブラックホールが絡んでいる。だから次の学会までにはもう少し勉強して、そっち関係のセッションにも出たいと考えていたが、それについても黙っておいた。修二くんの視線は、私の考えていることを見抜いていることを示している。


 午後は実験室を離れ、本業の理論研究にもどった。それでも実験の様子が気になり、数値計算でシミュレーションしなおしたりしていた。

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