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第32話 実験棟へ

「どうぞ、めしあがれ」

 私は修二くんとルドルフの前に創作料理を出した。リゾットからヒントを得た料理で、ごはんとベーコン、エリンギ、ミックスビーンズをトマト煮にしてある。エリンギはマッシュルームでもいいだろうし、ミックスビーンズでなくてもミックスベジタブルとか冷凍の野菜ミックス(ブロッコリーとか人参とか)でもいいと思う。


 修二くんは慎重に、サラダを食べ始めた。

「うん、おいしいよ」

「そっちじゃなくて、こっちのトマト煮」

「う、うん」

「ルドルフもどうぞ」

 二人はおそるおそるという感じでスプーンに少量取り、口に含んだ。さすが親子で、その動作はシンクロしている。

「どう? おいしい?」

「うん、おいしいよ」

 修二くんは気を使う人だから、こういう評価は正確でないかもしれない。

「ルドルフ、どう?」

「うん、ちょっと薄味かもしれないけど、おいしいよ!」

「そ、そう?」

 私も少し食べた。まともな味だった。

「や、やった。修行の成果があった!」

 私はうれしくて、あっという間に全部食べきった。修二くんもルドルフも完食してくれた。

「ごちそうさま!」

 私は満足だった。

「杏、味見はしたの?」

「いや、あえてしてない」

「あ、そう。創作料理できることはわかったから、次は味見してくれればもっとおいしくなるよね」

「そうね、そうする」

 修二くんとルドルフは目を見合わせた。


「台所は片付けとくから、杏はお風呂入っといでよ」

「うんありがと、行ってくる」


「あれ、杏、お風呂早いね」

「うん、明日までにやらなきゃいけないことあるから」

「そうなんだ」

「修二くん、楽にしててよ」


 私は先程スーパーで購入した食塩を出し、キッチンスケールで37g計量した。食塩は室温程度の水ならば、水100gに対して最大37g程溶解するからである。次に計量カップで水を100ミリリットル入れ、先程の食塩を入れる。一生懸命2分ほど撹拌する。多少溶け残りがあるがいいだろう。

 次に紙コップに洗濯のりを3分の1位入れる。そこに先程の食塩水を入れ、割り箸で少しかき混ぜる。そしてその割り箸を引き上げると、洗濯のりが固まってついてきた。用意しておいたキッチンペーパーで水気をとりながら丸くまとめる。きれいにまんまるになった。


 これは今までSHELの一般公開でやった子供向けの実験教室のネタである。洗濯糊というのはポリビニルアルコール(PVA)という水溶性の高分子である。これに飽和食塩水を入れると塩析と呼ばれる現象がおこり、PVAが水から分離してでてくる。学校では大体高2から高3で勉強する内容だ。今まで私は3年にわたり1回も成功せず、聖女効果そのものだと言われていた。しかし今、眼の前に私手作りのスーパーボールが存在している。


 念の為おなじ手順をもう2回繰り返し、合計3回ともきれいに成功した。

「ワッハッハ」

 自然と笑いが出ていた。大学入学以来もう6年以上苦しめられた聖女効果が今、克服されたのである。これが笑わずにいられるか。


「ママどうしたの、ネリスみたいな笑い方しているよ」

「あ、ルドルフ、これ片付け時間かかるから、もう寝なさい」

「は~い」

 むこうで修二くんが不安そうな顔をしているのが見えた。


「明日から僕、実験だ」

「うん、知ってる。1次元ハイゼンベルグ磁性体だよね」

「うん、だからいそがしいから杏、ヤニックさんの件、頼むよ」

「わかったけど情報がないから、とりあえず打てる手はないのよね」

「そうだけど情報収集とか」

「わかった、明日いつもより早いのよね」

「うん」

「わかった、私も一緒にいく」

「うん、ルドルフは?」

「新発田先生のとこおねがいする」

「OK」


 唐澤家のいつもの寝室での会話をして、私は気持ちよく眠りについた。


 翌朝、いつもより早く起床した。修二くんの実験のためである。内容は1次元ハイゼンベルグ磁性体だ。私が理論研究で特殊な磁気励起を予想していて、それを実現しようとのぞみが色々と工夫してつくったサンプルである。だからこの実験は私の実験とも言えるしのぞみの実験とも言える。

 おそらくこの現象は、比熱や磁化率といった普通の実験ではほとんどわからない。中性子非弾性散乱実験ならば、私の予想する磁気励起がきれいに見える可能性がある。

 こういう研究は純粋に学問的興味で行われているので、近い将来に直接役に立つということは多分ない。しかし我々の持つ量子論が正しいことを示し、さらに量子論をどのように実際の自然現象にあてはめていくかの経験をつむことに大きな意義がある。


 新発田先生のところにルドルフを送っていったら、ルドルフは一言、

「ママ、無茶なことしないでよね」

と言った。私は、

「そんなことするわけないじゃない」

と返しておいた。


 修二くんを中性子実験施設で落とし、私は別棟の宮崎研に行く。東海村のSHELはとにかくスケールが大きく、移動がめんどくさい。昨日までいたサーキットよりも大変である。


 宮崎先生はまだ出勤されていなかった。宮崎先生は扶桑女子大で卒業研究を指導していただいた。私は2年間の札幌での研究は池田先生のご指導をいただいたので、なんか出戻りみたいな気分である。

 先生のデスクに「実験棟に行っています」とメモを残して、私は再び実験棟へと向かった。

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