2年ぶりの引っ越し
私の修士論文は1月半ばには決着がついた。主査の池田先生、副査の榊原先生と網浜先生からはOKが出たのでもう安心だ。
内容としては2次元性の高い、仮想の反強磁性体をえらんだ。低温で小さな磁石の役割をする原子がきれいにたがいちがいに並んでいる状況を想定し、それに少しエネルギーを与える。すると原子たちのいち部が集団で磁気的に違う状態になる。その集団を一つの粒子ととらえ、その粒子の運動、粒子同士の力のやりとりを理論的に調べた。
始めは、超電導研究の片手間にはじめたのが、修士論文は結局こっちになってしまった。さらに関連した実験を榊原先生と修二くんにたのんで東海村で実験してもらったので、修士論文にそのデータを入れた。
つまるところ高温超伝導は、私の北海道時代ではその秘密を現してはくれなかった。もしかしたら一生の仕事になるかもしれない。なにせ超電導は、始めに実験的に発見されたのが1911年、理論的に解明されたのが1957年、46年かかっている。高温超伝導が見つかったのが1985年、もう40年ほどたつがまだ完全には解明されていないのだ。
私としてはこれから東海村で3年間、実験の人たちと協力しながらチャレンジしていく予定だ。
修士論文を提出してしまえばもう、とっとと札幌をひきはらって修二くんのいる東海村へ引っ越してしまいたいところだが、そうはいかない。修論の発表会もあれば、学位記授与式(卒業式)もある。極論すれば2月中に引っ越してしまい、必要なときだけ札幌にもどればいいかとも考えた。現実問題として修二くんがそうだからである。すると真美ちゃんに真剣に怒られた。曰く、
「聖女様は男に走って友情をすてた」
心外である。
真美ちゃんなんか就職先は千葉だ。私は茨城。隣の県ではないか。会おうと思えばいつでも会える。
一方しみじみとしていたのはのぞみで、
「いよいよみんな、バラバラだね」
と宣う。要するにのぞみは北海道、優花は川崎で、仲の良かった仲間が日本中に散らばっていく。
「まあ、本来なら2年前、扶桑を卒業したときにそうだったはずなんだけどね」
とも言っていた。その通りだと思う。
そう言うわけで私の引っ越しは学位記授与式のあとになった。修二くんにその辺の事情を説明したら、あっさり納得してくれたというより、普通そうだろうという雰囲気だった。
「ていうよりさ、僕も学位記授与式出るんだよ。僕、杏の部屋に泊めてもらおうと思ってたんだけど」
「あ」
翌日そのやりとりをのぞみに話したら、
「ばっかじゃないの」
と言われた。
修論のかたがついたところで、次の課題は引っ越しである。学位記授与式のすぐあとに引っ越しするしかない。問題はその少し前が春の学会である。オンライン開催だからまだいいけれど、引越し作業はあんまりできない。修二くんは東海村でなく札幌で学会に参加し、引越し作業を手伝ってくれることになっている。
2月始めの日曜日、私は少しは片付けをしようと大学にもいかず、もちろん東海村へも行かずに自室に居た。いらないものから片付けようと室内を見回すと、たった2年の間に持ち物が結構増えていた。
まず書籍。夜遅くまで大学で勉強することは安全上禁止されているので、家で勉強するときやっぱり教科書が欲しい。院に進学してから高額な専門書をいくつか買った。これは最後の最後まで荷造りできない。
同じ理由でデスクトップパソコンも勉強机も処分しがたい。
食器棚には食器が溢れている。初期の女子会では使い捨ての紙皿とかが主力だった。でもそれは不経済だし、そもそも可愛くない。女子会は3人だから食器が3人分もある。しかも卒業ぎりぎりまで女子会は繰り返しやりそうだから、食器やら調理器具などもまだ処分できない。むしろ頻度が増えそうだ。
食器は気に入っているものだけ持って行くつもりだ。ホットプレートもまだまだ使いそうだ。
台所系はほぼ諦めた。それではと、夏物衣類を片付けよう。
夏物、夏物と思ったら、夏物はとても少なかった。夏用のパジャマと日焼け対策の薄い上着とか、とにかく体積が少ない。冬物も3パターンくらいに絞ればある程度荷造りはできるが、それで二月近く頑張れる気がしない。
結局荷造りが全く進まず、窓の外の雪を見ていたら日曜の日は暮れた。
月曜日の昼食、学食で私は真美ちゃんをつかまえた。真美ちゃんも卒業次第札幌を離れるからだ。
「真美ちゃん、荷造り始めた?」
「ん? 全然。実験忙しくてそれどころじゃないよ」
「あれ、修論は?」
「そっちは大丈夫だけど、最後の学会があるからね」
「そっか」
真美ちゃんは就職して物理から一旦離れる。だから最後の学会は良い発表をしたいのだろう。
「ま、うちは狭いから、大した荷物ないし、いざとなったらカサドンに手伝ってもらうから」
「え、男子に手伝ってもらうの? 恥ずかしくない?」
「う~ん、見られて恥ずかしいの、もう無い」
あ~そこまで進んでいるのか。それはよかった。
「聖女様だって、修二くんに今更見られて困るもの、ないでしょ」
「う~ん、まあ、ないかな。夫婦だし」
「じゃあ修二くんに手伝ってもらえばいいじゃん、学位記授与式には帰ってくるんでしょ」
「うん、まあね。だけどさ、結構荷物多くなっちゃっててさ」
「そうなの?」
「そうだよ、大量に女子会用の道具があるんだよ」
「そっか、食器とか調理器具とか、充実してるもんね」
「2年も経ってないんだけどね。だれか次にそのまま入ってくれないかな?」
「ははは~、のぞみは?」
「のぞみはだめだよ、明くんとこ転がり込んでるじゃん」
「そうだった」
そんな気楽な会話をしていたら「あの~」と後ろから話しかけられた。一瞬のぞみかと思ったら、小原玲子ちゃんだった。




