パソコンが欲しい
修士2年の晩夏、札幌が舞台です。
最近私は低次元反強磁性体について調べている。平面状に磁性を担う原子が並んでいて、その原子同士が力を及ぼし合っていろいろなことが起こる。ほとんどの磁気的性質はその平面内で説明できる。私としては、磁性を担う原子の一部を非磁性の原子で置き換えると性質がどう変わっていくかに興味がある。
というのは、磁性原子同士の力のやりとりが隣の原子だけで考えればいいのか(交換相互作用)、それとも更に向こうの原子まで考えなければいけないのか(超交換相互作用)を明らかにしたいのだ。
そう言う物質を作るのはのぞみに頼めばいい。測定は修二くんに頼めばいい。しかし頼むにしても、どういう現象が期待できるかある程度予測しておきたい。その予測は手計算でやるのはほぼ絶望的なのでコンピュータに頼ることになる。ただし手持ちのノートパソコンではとても無理で、研究室の仲間の話だとやっぱりデスクトップがいいらしい。大学にいる時は研究室のワークステーションとかいろいろあるので問題は無いのだが、問題は家だ。池田先生にきつく注意されているから夜遅くまで残ってやるのはまずい。家からだと大学の計算機にログインしてやればいいのだけれど、自分勝手に数値計算しているような問題ではパソコンの手軽さがありがたい。
最初に池田先生に相談してみた。
「先生、家でも研究できるようにパソコン買おうと思うんですけど、先生的におすすめとかありますか?」
「ん? 僕は家庭に仕事はなるべく持ち込まないので、せいぜい論文書くのにノートパソコン程度だね。ていうか、君たち若い人のほうが詳しいんじゃない?」
「え、じゃ、研究室のパソコンって、どうやって選んだんですか?」
「ああ、桑原くんとか川口くんに選んでもらってる。僕は予算いうだけ」
「なるほど」
まあ多少予想していたが、先生はあてにならなかった。
次にポスドクの桑原さんに相談してみた。
「あのさ、僕なんかよりもさ、岩田くんのほうが詳しいよ。彼なんか自分でパソコン組んでるらしいよ」
意外に身近に詳しい人がいた。それならば明くんに相談すればいいのだが、のぞみを通して頼むことにする。そうしないと後が怖い。早速のぞみに話してみようと腰を浮かしかけたが気がついた。私がうかつに実験系の研究室に近づくと嫌われる。だからスマホで「夕ご飯、一緒に食べよ」と送っておく。これだけで私が用があるのがわかってもらえるはずだ。しばらくして応諾の返事がきた。
夕食はいつもの学食だ。呼び出したのは私であるから早めに行っておく。
「やっほー」
いつもの挨拶でのぞみがやってきた。うまいこと明くんが後ろにくっついていて手を振っている。
私が挨拶を返すと、のぞみが聞いてきた。
「で、なんの用?」
「うん、私さ、家でも計算できるようにパソコン買おうかなっておもうんだけど、よくわからなくってね」
「あ、それで明くんか」
「そんならチョクに呼んでくれたらいいのに」
明くんはサラッと言ってくれるが私はのぞみに恨まれたくない。
「あのさ、人妻が友達の彼氏をよびつけるなんて、ちょっとね」
私が説明するとのぞみは、
「なんかその表現、イヤラシイ」
と言った。私はイヤラシイと言うかとにかく嫉妬が怖い。
「でしょ、やっぱこれはのぞみを通しておかないと」
「あはは、明くん、聖女様にいいの選んであげてよ」
「わかったけど聖女様、ご予算は」
「うん、20万くらい?」
これは父に相談してあった。
「ノート? デスクトップ?」
「デスクトップ」
「そっか、一応ね、おすすめはBTOかな」
「BTOって、何」
「Build to Orderの略で、要は注文してから作られるパソコンだね」
「何がいいの?」
「普通の大手メーカーに比べて安いし、自分にあわせて仕様を変えられることも多い」
「性能は?」
「大手とかわらないよ。あと保証も遜色ないね」
「ふーん、どんな感じ?」
明くんはスマホをいじっていくつか見せてくれた。
「うーん、なんかピンとこないね」
私は正直な感想を言った。すると横から覗き込んでいたのぞみが言った。
「かわいくない」
「?」
私も明くんも言葉を失った。のぞみは言葉を継いだ。
「だってさ、明くんのパソコン、なんか色々光ってるじゃん。こんなんじゃないよね」
のぞみが明くんの家のパソコンの状態を知っていることは追求しないでおこう。
「たとえばさ、白いのとかないの?」
「白?」
明くんはスマホをまたいじって別のパソコンを見せてくれた。
「これって白って言うよりベージュ? なんか病院にあるパソコンみたいな?」
のぞみの批評は私の言いたいことと同じだ。すると明くんは、
「じゃあこんなのならいいのかよ」
と言って見せてくれた画像は、白いパソコンで薄く青く光っていた。




