さよならはいらない
仕事帰りに、傷を負って倒れていた男を保護した苺。
とりあえず自分の部屋に連れて帰り、行く当てのない男とルームシェアする事にする。
(日常/恋愛/ハッピーエンド/シリアス/甘/現代)
---------
興味を持って下さってありがとうございます。少しでも読んで下さった方の心に残れば嬉しいです。
「お前…、そこにいられると邪魔だ」
それが数ヶ月前、初めて聞いたシンの言葉だった。
シンの第一印象は【恐い】だった。
初めて会った夜は雨が降っていて視界が悪く、車の免許を取得したばかりの苺は、車の中で外の様子を窺っていた。
(こんな夜に残業になるなんて…、雨が降る前に帰りたかったなぁ…)
苺はしばらく呆然と、雨を掻き分けるワイパーを見つめていた。
本来なら、今日は残業の予定は無く、定時で帰れはずだった。
自分勝手な上司が、自分の残した仕事を押し付けて帰りさえしなければ、定時で帰れていたのだ。
(運が悪い…)
だが運が悪い。と嘆いていても、雨が止む訳もなく、苺は溜め息をつくと車のエンジンをかける。
ドルルッと小気味良い音を立てたエンジンを確認し、駐車場から車を出そうと車を発進させた時だった。
ドサッと何かが落ちる様な、倒れる様な音が聞こえる。
(…え…、私いま…何かぶつけた…?)
苺は焦って車を飛び降り、自分の車の周りを確認するが、特に変わった様子はない。
(…今の音は…?)
苺が音の正体を求めて辺りを見回すと、自分の車から少し離れた場所に金髪の男が倒れていた。
(大変…!!)
苺は急いで駆け寄り、大丈夫か。と声を掛けるが、男の第一声は…
「お前…、そこにいられると邪魔だ」
「…へ?」
男は苺にそれだけ言うと、ゆっくりと立ち上がった。
だが、立ち上がったもののフラフラとし、とても歩ける状態ではない。
片手で顔を覆う様にして頭を押さえている。
長い前髪が顔のほとんどを隠し、表情は分からないが、暗いながらも真っ青なのが分かる。
「頭…痛いの?」
「お前…、まだいたのか?俺に構うな。…ッ…」
男は悪態を吐きながら、心配する苺の肩を押し返し、無理に歩き出す。
苺は見ていられないと、無理矢理男の腕を掴むと、自分の肩に掛けた。
「何を…」
男は苺の肩に掛けられた腕を引くが、苺はその腕をしっかりと掴み離さない。
「余計な事をするな」
「そんな事を言ったってダメ。私は良い人だから、困ってる人を見過ごせないのよ」
打ち解け様と軽い冗談を言うが、まったく愚にも付かない。
「ね…、とりあえず病院…」
「病院は駄目だ…、いいから、俺の事を放って…帰……」
途中で途切れた言葉を不思議に思い、男の顔を覗き込むが、男は意識を失っていた。
「病院は駄目だ」と言う言葉に、苺は仕方なく男を自分のマンションへ運び込んだ。
(以外に重かった…、細く見えてもさすがは男の人ね)
苺は男を自分の部屋のソファへ寝かせると、自分は仕事用のデスクに備え付けられたパイプイスに腰掛ける。
(この部屋に男の人を入れたの初めて…)
そんな事を考えながら、ぼうっと男を見ていると、黒い服のせいで気がつかなかったが、服のあちこちに血が滲んでいるのが分かった。
(……何…コイツ…、ヤバい系?)
苺は、病院や警察に電話を…とスマホを手に取るが、少し考え込むと、スマホをデスクに戻した。
男に近付き、無言で顔に掛かった邪魔そうな髪を払ってやると、金髪なのは染めているのではなく、外国人のようだ。
長い睫毛と高く形の良い鼻、薄めの唇に白い肌。
北欧系だろうか。
(……綺麗な顔。私と、そんなに歳も変わらなそうに見えるけど…)
苺は男を寝かせたソファの脇にしゃがみ込む。
(何をしてる人なんだろう…。やっぱり裏社会の人かなぁ…)
苺はいつの間にか、この正体不明の男が気になる様になっていた。
男の頬に触れてみるが、目を覚ます気配はない。
触れた頬にも擦り傷があり、綺麗な顔を精悍な印象に見せていた。
(…あ…、傷の手当てしなきゃ…!)
思い出した様に立ち上がると、救急箱を出して来る。
男の服の前を開けて、体を見ると、あちこちに傷がある。
一番目に付いたのは脇腹にある深い傷だった。
ハンカチを当ててあるが、血は止まっておらず、ハンカチからも血が染み出して来ている。
苺は救急箱を開けると、男を起こさない様に、簡単な処置だけを済ませた。
(…私も寝ようかな…)
救急箱を片付けるとベッドに横になる。
(明日は…)
ベッドに横になると、溜息を吐きながら天井を見上げた。
(…仕事休みだし、明日考えよ)
明日の事は明日考えれば良い。と苺は目を閉じた。
翌朝は前日と打って変わって、気持ちの良い晴れだった。
余り眠れなかった苺は、まだ明るくなったばかりの時間から起き出すとキッチンへと向かった。
キッチンに行く途中でリビングに寄り、ソファを見るが、男は相変わらず死んだ様に眠っている。
(当然と言えば、当然か…)
用がある訳でもなく、無理に起こしても仕方ない。
自然と起きるまで眠らせておこうと、苺はその場を後にした。
男が目を覚ますと、辺りには良い匂いが立ち込めていた。
「……」
自分の体を見て、手当てされている事、綺麗に拭かれている事に気付くと、男は頭を抱えた。
(…あいつか。お節介な女だな…)
男は少し体を動かし、傷の具合を探る。
思ったより少ない痛みに満足すると、苺が朝食を作っているのであろうキッチンへと足を向けた。
キッチンへ行くと、苺が簡単に朝食を済ませようと、目玉焼きにサラダやスープ等をテーブルに並べていた。
男はキッチンの入口に寄り掛かり、腕を組むとしばらく苺の様子を伺う。
しばらく忘れていた温かな光景を見ている様だった。
見た記憶なんてないのに、幼い頃の幸せな時間を思い出す様な錯覚に陥る。
男が無言でキッチンを動き回る苺を見ていると、コーヒーの良い香りがしてくる。
…が、焦げた匂いも同時に漂って来る。
見ると、フライパンから煙が上がっている。
「…おい、何か焼いてるんじゃないのか」
男が思わず苺に声を掛けると、苺は「あぁ!!しまった…、ホットケーキが!」と急いで火を止める。
火を止めた後、フライパンに乗せられた焦げたホットケーキを見て、溜め息をついた。
「やぁだ、もっと早く言えばいいのに…」
苺はそう言うと男を振り返り、おはよう。と声を掛けた。
「……」
「…コーヒー飲むでしょう?朝食、貴方の分も作ったから、座って。…焦げたホットケーキだけどね」
照れた様に笑う苺を見ると男は薄く笑い、言われた様にイスに座る。
(……笑った…!!)
人間なのだから笑う事もあるだろう。
だが、妙に嬉しい気持ちになる。
苺は次々と食べ物が並べられて行くテーブルを黙って見ている男に、コーヒーを差し出した。
「砂糖は?ミルクいる?」
「このままでいい」
男は目の前に出されたコーヒーを受け取ると、少し迷ってから口をつける。
「…とりあえず」
苺は言い難そうに男に名前を聞く。
すると男は、「シン」とだけ、短く名乗った。
答えてくれないと思っていたのに、シンはあっさりと名前を名乗ると、反対に苺に聞き返す。
「…何故、助けた?放っておけと言ったはずだぞ」
「そ・の・前・に!!…私の名前を聞いてくれないの?」
苺はシンの質問を無視すると重ねて問掛ける。
「…名前は」
シンは仕方ない…、と言った様に苺に名前を聞く。
「私は苺。よろしくね、シン」
「…よろしくも何も、今日ここを出て行ったら、もう会う事はないだろう」
シンは自分で言った言葉に、何故か胸が痛くなるのが分かった。
(…?…)
「…ね、シン。朝食冷めるよ?食べないの?」
「……」
目でどうぞ?と朝食を促す苺に、シンはバツが悪そうな顔をしつつも、ホットケーキに手をつけた。
怪我が治るまで居てもいい。と言う苺の言葉に甘え、しばらくルームシェアさせて貰う事にしたシンは、徐々に苺と話をする様になった。
最初の頃の様に、突き放す様な態度を取らなくなったシンに対し、悪い人ではない。と苺も少しずつ心を開く。
一緒に暮らす様になり、数ヶ月が過ぎる頃になると、シンは何処かに電話を掛ける様になった。
色々と話をしてくれる様になったシンが話さない事なのだから…と、苺から電話の内容を聞く事はなかったが、不安な気持ちが苺を支配しているのも事実だった。
「ただいま」
苺が仕事を終えて自宅に戻ると、シンの話し声が聞こえる。
苺は(また電話かな…)と思いながら、リビングへ向かうと、ドアの向こうから聞きたくない。と願っていたシンの言葉が聞こえる。
「…やるしかないな。明日決行だ。今夜の内にそっちに戻る」
(……)
今夜の内にそっちに戻る。
そう聞こえた気がする。
いや、実際そう言ったのだろう。
ドクンドクンと心臓が高鳴る。
怪我もほとんど治った今、引き止める理由も権利もない。
(今夜…帰る…)
その夜、苺はほとんど会話をせずに自室に籠っていた。
顔を見れば、ここを出る。と言われそうでシンの顔が見れない。
する事もなく、部屋でぼうっとしているとドアがノックされた。
「…苺、いるのか?どうした、帰るなり部屋に籠って」
心配そうなシンの声が、ドアを挟んで聞こえる。
苺は黙ったまま何も言えなかった。
しばらく黙っていると、先に沈黙を破ったのはシンだった。
シンは「入るぞ」と一声かけると、返事を待たずに部屋に入って来る。
ゆっくりとドアを閉めると、苺の座っているベッドまでやって来た。
「どうし…」
苺はシンが声を掛けようと肩に手を置いた瞬間、反射的にメロに抱き付いた。
「……ッ!?おい…」
離せ。と言おうとしたシンは、苺が泣いている事に気付き、優しく両肩に手を置いた。
「…泣いてるのか?」
シンはそう言って苺の肩を押し、自分から離すとまっすぐに顔を見る。
「…電話…、ごめ…聞いちゃった…。聞くつもりが…あった…訳じゃ…」
嗚咽混りに苺がそう言うと、シンはハッと顔を強張らせた。
「…聞いたのか。今夜…帰ると…」
「…うん…」
「何を泣く?元々…赤の他人だ。お人好しのお前が心配して、部屋を貸してくれていただけだろう」
「分から…ない。でも、シンがいなくなるのが堪えられない…、辛いし、悲しいし、寂しい」
苺の言葉に、シンは苺を抱き締めたい欲求に駆られるが、必死に自分を押さえる。
「…そ…」
シンが何かを言おうとすると、苺は再びシンの首に抱き付いた。
このまま何もかも忘れて、苺と一緒にいられたら…。
このまま本能のままに、苺を抱いてしまえれば…。
どれだけ良いだろう。
どれだけ幸せだろう。
メロは欲望のままに苺を押し倒してしまいたい衝動を堪えると、ゆっくりと諭す様に話し掛ける。
「そんな顔をするな。生涯の別れじゃない。いつかまた…会える」
会いに来る。
そう断言出来なかった。
シンは泣いてる苺の額に、優しく触れるだけのキスをする。
「…愛してる」
そう呟くと今度は深く深くキスをする。
唇を離し、角度を変え、何度も何度も繰り返しキスをする。
苺は止まらない涙を流しながら、ただ自分を抱き締めるシンの体温だけを感じていた。
その夜、泣き疲れて寝てしまった苺が目を覚ますと、シンの姿はなかった。
「シ…ン…」
泣いても仕方ない、もうシンは行ってしまったのだから。
何とか自分を納得させ、苺はまた込み上げて来る涙を堪えると、立ち上がりキッチンへ向かう。
すると、キッチンに入った苺は、テーブルに置かれているメモが目に付いた。
駆け寄ると、そのメモを手に取る。
So Long!Good-By.
I Love You
一度はLong Good-By(永遠のさよなら)も考えたのだろう。
シンの書き殴った様な文字は、SoとI Love Youが後から書き加えられた様だった。
「シン…」
大丈夫。
きっとすぐ、また会える。
その時は、怖くて聞けなかったシンの事を聞こう。
だから「さよなら」はいらない。
…ね?シン。
最後まで読んで下さってありがとうございました。
作品を気に入って頂けましたら、ブクマや広告の下にある感想やなど頂けましたら次回作への励みになります。