5話
時刻は午後3時。蓮子と冬一は、先生に怒られに職員室に行く小学生のような面持ちで、林尾トンネルの前に来ていた。どんよりした空気を纏う2人とは裏腹に、空は清々しい青色だった。
「…臆してもしょうがない。行くぞ蓮子!」
「やっぱむり。冬一、私の代わりに謝ってきてよ」
「ふざけるなよ、自分が撒いた種だろ!」
蓮子はひどくこのトンネルに怯えていた。
「うう…前来た時と全然違うわ。こんなピリピリした空気感じなかったもの」
「この前はまだ霊感に目覚めていなかったもんな。こりゃ、祠の神は相当高い霊力を持ってるぜ」
「行きたくないなぁ。もしかしたら、お昼に食べたざるそばが、私の最後の晩餐になるかもしれないんでしょ?」
「大いにあり得るな」
「…やっぱり今度にしましょう。新田屋のカレーうどんを食べてからじゃないと、死んでも死に切れないわ」
「うだうだ抜かすな!いいから行くぞ!」
そう言うと、冬一は蓮子の服の袖を咥えて引っ張った。
こいつ、私には触れられるのかよ、と恨めしく思いながら蓮子は渋々トンネルの中に入っていった。
蓮子の除霊配信から4日経つが、トンネルの中はまだきれいなままだった。
「なんかお前の配信の時とはえらい違って、きれいに清掃されてるな」
「そりゃ、そうよ。配信の後、私が3時間もかけて掃除したんだから」
「え、そうなのか?」
冬一にとって、これは初耳だった。
「うん。その後、終バス逃すわ、ホテル追い払われるわで散々だったんだから」
蓮子はあの日のことを思い出して、うんざりした表情でそう答えた。
「何でまたそんなことしたんだ?」
「まあ配信したし、場所への感謝というか…でも、祟られることになるなんて思ってもみなかったわ」
この話を聞いて、冬一は違和感を感じ始めた。張り詰めた霊気は間違いなく、トンネルの中から発している。
しかし、蓮子はある種の供養を行なっていた。いくら除霊の内容がふざけていても、殺されかけるほど祟られるのだろうか…
「着いてしまったわね、祠の前に」
祠からは強い霊気を感じた。やはり、ここが張り詰めた空気の元凶らしい。
「ああ、ここからが本番だ。蓮子、鏡と蝋燭を出してくれ」
冬一にそう言われると、蓮子は鞄の中から、手鏡と蝋燭を4本取り出した。
「出したけど、これをどうするの?」
「祠の前で蝋燭を4本、四角に置いてくれ。手鏡が入るくらいのスペースを空けてな」
「りょーかい」
蓮子は言われたとおりに、蝋燭を並べた。
「そしたら、火をつければいい?」
「うん。その後は手鏡に霊力を込めて、蝋燭の間に置いてくれ」
蓮子は、うーんと手鏡に念を込めると、霊力が手鏡に移っていくのを感じた。
「これで出来てるかしら?」
「バッチリだ。これで、鏡から霊を映し出せる」
案外簡単なんだなぁ、と蓮子は思った。
「あとはちょっとした呪文を言うだけだ。おいらが言うから復唱してくれ」
「あいよ」
「じゃあいくぞ。…オンマラタラオンマラ、ホーリャントラントサントリホコン、ポポポラントーリントンカン、ササパーリョータランハラハラパー、パラパラチャーカナンリンタラタラ…」
「まてまてまてまてーー!!」
「なんだよ、まだ半分も言ってないぞ。」
蓮子の叫びに、冬一はキョトンとした顔をしている。
「長すぎんのよ!覚えてられるか!」
「えー、これくらいは霊媒師として記憶してもらわないと…」
「もっと区切れるでしょ!」
「これは一呼吸で言わないとダメなんだよ」
「………ああもう!スマホにメモるから最初から言って!」
蓮子はイライラしながら、冬一の話す不規則なワードを、一語一句スマホに打ち込んでいった。
「これで合ってる?」
蓮子はメモした内容を冬一に見せた。
「眩しくて見づらいなぁ」
「今後何も見えなくなりたくなければ、頑張って確認することね。」
「おっかねぇなぁ、分かったよ」
目を細めながら、冬一はスマホを確認した。
「…うん。間違ってなさそうだぞ」
「よし、じゃあ言うわよ…」
蓮子はこれから神様と相対して、自分はどうなってしまうか、と心臓をバクバクさせながらも、長い長い呪文を丁寧に読み上げた…が、
シーーン
トンネルの中に静寂が訪れた。まるで効果がないようだ。
「冬一くーん?これは一体どう言うことかしら?」
蓮子の額には青筋が浮かび上がっている。
「あ!大事なことを言い忘れてたぜ!呪文を読み上げる時は、『ここにおられます神よ、どうかお姿を表し下さい』的な気持ちを込めないといけなかったんだった!ごめんな!」
冬一は舌をぺろっと出してお茶目に謝ったが、逆効果だったようだ。
「いたいいたいいたい!アイアンクローやめて!」
「反省しなさい。私の心を弄んだことを」
「すいません!もうほんとに他にはないから、もう一度、呪文を読み上げてください!」
「本当にもうないでしょうね?次あったら、確実にあんたの頭蓋骨を破壊するわ」
そう言い、蓮子は冬一の頭部を離した。
「うう〜、式神使いの荒いやつだ…」
「こちとら真剣なのよ。あんたも自分の命が掛かってると思って真面目にやることね」
「おいら真面目にやってるぞ…」
痛てて、と頭をさする冬一を横目に、蓮子はもう一度、呪文を読み上げた。
すると、ふっと蝋燭の火が揺らぎ…
「我を呼び出すとは何様じゃ?小娘?」
蓮子たちの目の前に、トンネルを覆い尽くさんがばかりの巨大な、白い蛇が現れた!
「「あわわわわわわわわわわ」」
蓮子と冬一は大蛇を目の前にして固まっている。凄まじい霊圧だ。
「小娘…覚えておるぞ。四日前に、我の前でふざけた舞をしていたな。」
「あああああああの節は、ほほほほほんとうにもも申し訳ございませんでしたぁ!」
「謝罪の前に、先ずは名を名乗るのが礼儀ではないか?」
大蛇はピシャリと言い放つ。
「わ、私は清水蓮子と申します!隣にいる狐は式神の冬一です!」
「冬一です!この度は主がとんだ無礼を働き、申し訳ございませんでした!」
「ふむ…我は"宝林大蛇"である。この祠の神じゃ。なるほど…今日は謝罪に訪れたと」
「はいぃ!もう2度とあのような真似は致しません!」
「当然じゃな。まあ、我は寛大じゃ…許してやらんこともない」
その言葉に、蓮子と冬一は少し安堵の表情を浮かべた。
「お主の瞳、美しいな。ひとつ我に捧げれば、この間の無礼を許そうではないか」
「分かりました!今この狐の目をくり抜きます!」
「ちがう!宝林大蛇様は蓮子の目のことを言ったんだ!明らかにお前を指してただろ!」
「冬一の目って、つぶらで本当にきれいってずっと思ってたの。宝林大蛇様が欲しがるのも分かるわ」
「おい!話を無視するな!」
2人が互いの目を取り合わんと、取っ組み合ってると、大蛇の顔色が変わった。
「おい…我の前で喧嘩をするとはどういう了見か?やはり、許すわけにはいかぬか…」
そう言うと、大蛇から大量の霊力がぶわりと噴き出した!
「ひえええええええ」
蓮子は後退り、思わず冥来刀を構えてしまった。
「ほう…その刀で我に歯向かうか…それもいいだろう、賢明ではないがな」
「ばか!何構えてるんだ!それじゃ、戦う意思を示しているようなもんだ!」
蓮子もしまった、と後悔したが、もう遅い。
大蛇は長い尾で、瞬時に冥来刀を奪ってしまった!
「くく…頼みの綱はもう我の手中ぞ。さて、どうする?」
にたりと笑う大蛇の前に、蓮子と冬一は放心状態だ。
「なんだ、もう何もないのか?つまらぬ…では、2人まとめて食うとするかの」
蓮子と冬一の全身に緊張が走る!しかし、恐怖で全く動けなかった。
そのまま大蛇は顎を大きく開いて、思いきり2人に食いかかった!
(終わった…)
「…なーんちゃっての。驚いたかの?」
大蛇の顎は、そのまま蓮子と冬一の体をすり抜けた。
2人は無傷だ。
「あれ?蓮子、冬一?傷はついておらんだろう?返事をせんか」
大蛇の呼びかけに2人は答えない。
白目を剥いて気絶していたのだ。
「うむ…どうやら、やり過ぎてしまったか」
神の戯れに、蓮子と冬一の心は無傷では済まなかった。