2話
結論から言うと、蓮子の生配信は大成功を収めた。たった1回の配信で、チャンネル登録者数が5,000人に昇ったのだ。これには喜ぶ蓮子だったが、顔色は優れない。蓮子は疲れ切っていた。
林尾トンネルを清掃した後の帰り道、蓮子は幸運にもタクシーを見つけたので手を上げたが、蓮子の白装束姿を見た運転手は、女の霊が出たと恐怖し、念仏を唱えながら、猛スピードで過ぎ去ってしまった。
そして、1時間歩いてなんとか駅に着いた頃には、終電の時間はとうに過ぎていたので、ホテルに泊まろうと訪ねたが、ゴミの中身の日本人形やらが不気味だったので門前払いされた。
仕方なく、他に宿泊できるところを探して町を彷徨っていると、泊めてあげるよ、と下心丸出しの男に鬱陶しく絡まれた。
あまりにしつこかったので、蓮子は着いていくふりをして、男にゴミを持たせ、そのまま姿をくらませた。
そんなこんなで、結局蓮子はネカフェに泊まったのだが、その時すでに、夜中の1時を過ぎていた。
もう3日が過ぎるが、蓮子はこの時の疲れがまだ抜けず、誰も来ない事務所で、机にうつ伏せていた。
しかも、除霊配信以来、たまに人の輪郭が陽炎のようにボヤけて見えるようになっていた。
これは相当疲れが溜まっている。今日は仕事の予定もないし、もう事務所を閉めようか、なんて考えていた時だった。
「すみません…こちらが三峯霊能事務所で間違い無いでしょうか?」
ガラリと玄関扉が開かれ、OL風の女性がそこに立っていた。
蓮子は慌てて起き上がり、
「はい!間違いありません!何かご用件でしょうか!?」
と、元気よく尋ねると、女性はこくりと頷いた。
蓮子は、女性を丁寧に事務所のソファーに案内して、お茶を淹れた。
女性は、そのお茶をひと口飲んだ後、ゆっくりと話し始めた。
「あの…、除霊の配信観てました。今日は白装束ではないんですね。」
「あ、あの衣装は特別と言いますか、配信用と言いますか、流石に普段着ではないんです。」
蓮子はしどろもどろに答えた。
今日の蓮子は、黒を基調とした和服姿で、蓮の花の髪飾り、右腕にはミサンガを付けている。この服装こそ、蓮子にとってのスタンダードだ。
「配信を観ていた時から思っていたんですが、随分お若いですね。事務所を経営されているのに、20歳くらいに見えるわ。」
蓮子の心臓がどきりと鳴った。
「あはは…よく言われるんですよ。威厳がないですよね。」
蓮子は若いと舐められるかもしれないと考え、年齢については非公開にすると、今決めた。
「いえ、羨ましい限りです。」
そう言う女性は、厚化粧でイマイチ年齢が分かりづらかったが、蓮子には40歳くらいに見えた。しかし、派手なネイルと明るい茶髪が、その年齢には不釣り合いに感じた。
「それで、今日はどのようなご用件でいらっしゃったんでしょうか?……えっと、お名前は…」
「あ、申し遅れました。私、伊狩きららといいます。普段は不動産の会社で経理をしています。」
きららとは珍しい名前だ、やはり想像よりずっと若いのかもしれない、と蓮子は考えた。
きららは話を続ける。
「私の友達が、最近林尾トンネルに行って、その後頭痛に悩まされていたんですが、蓮子さんの配信の後、すっかり良くなったみたいなんです。」
「なるほど、私の除霊が効果を成したと言うことですね。」
絶対偶然だろ、と蓮子は心の中で突っ込みを入れた。
「はい。配信を観ていた時は、なんてデタラメな人なんだろうと思ってたんですが、こうして効果を見せつけられたら、信用できると確信して、今日事務所に訪れたんです。」
「分かりました。貴方は運がよかったですね。こうして、本物の霊能力者に出会えたのですから。」
蓮子は調子に乗っている。
「して、きららさんの霊障は何でしょうか?」
そう蓮子が訊ねると、きららの表情が重くなった。
「実は私も、最近とある心霊スポットに行ったんです。"釘堂神社"と言うところですが、ご存じですか?」
「ええ、もちろん知っています。有名ですから。」
釘堂神社、都内でも有数の心霊スポットだ。樹齢1,000年になる巨大な御神木があり、その木の3メートルから5メートルにかけて、大小様々な釘が大量に打ち込められている。このため、大昔、呪術が盛んに行われていた場所ではないかと噂されている。
「では、そこを訪れてから体調が優れないということでしょうか?」
「そうです。肩は重いし、眠っても嫌な夢を見るんです。心臓に杭を打ち込まれる、そんな夢を…」
きららは悪夢を思い出したのか、顔色が悪くなったように見えた。
「話は分かりました…大丈夫です。私にすべて任せてください。」
蓮子は静かに、そして堂々と言った。
「除霊は可能と言う事でしょうか?」
「もちろんです。私は一流の霊能力者。きららさんに憑いている怨霊を見事払って見せましょう。」
きららは蓮子の発言を受け、目に涙を溜めた。
これまで相当辛かったのだろう、きっと心霊スポットに行ったことに内心気にし過ぎて、気を滅入っているに違いない、と蓮子は憐れみ、いつも常連にしている方法で除霊する事に決めた。
「では、こちらに横になってください。」
蓮子は事務所に布団をひいて、きららを招いた。布団の四方には蝋燭が置かれている。
一応、事務所内は土足厳禁のため、衛生面は問題ない。だが、きららは困惑しているようだ。
「あの…これから一体何をするのですか?」
「何って、除霊ですよ。きららさんに憑いている怨霊を取り除きます。」
きららは怪訝な表情をしながらも、布団にうつ伏せになった。
「それでは、除霊を開始します。目を閉じてください。」
蓮子はそう言うと、部屋の電気を消して、蝋燭を灯した。
これから何が始まるのだろう、と一抹の不安を胸に抱きながら、きららは目を閉じた。
蝋燭からはいい匂いがする…ラベンダーかな、と少し気持ちが和らいできたところに、蓮子のしなやかな指がきららの腰に触れた。
と、次の瞬間!
「ぎゃあああああ!!いたい!いたいです!蓮子さん!!」
蓮子の細い指が、きららの腰に深く深く食い込んだ!
「耐えてください!怨霊がここに凝り固まっています!」
「怨霊って凝り固まるんですか!?」
「固まります!特にきららさんのようなデスクワークの方には怨霊が棲みつきやすいんです!」
そう言いながら、蓮子は食い込ませた指できららの筋肉を直接揉みしだいた!
「ああああああ!!耐えがたい!!辛過ぎます!蓮子さん!!」
「気を確かに!怨霊は間違いなく散り始めています!」
きららは絶叫し、布団のシーツを力一杯握りしめながら、除霊に耐え続けた。
そして、10分後、遂に蓮子の指が腰から離れた。
「はあはあ、除霊は終わったんですね…?」
息を絶え絶えにしながらも安堵した表情できららは訊ねたが、蓮子の指はそのまま背中へと向かった。
「除霊はまだ終わりません。これから背中、肩、首の順に続けます。」
その蓮子の無機質な言葉は、きららを深い深い絶望の淵に突き落とした…
「除霊は如何だったでしょうか?」
蓮子はにこやかに訊ねた。
「はい…永遠を感じさせる40分でしたが、身体は嘘のように軽くなりました…」
きららの声に覇気はなかったが、それとは裏腹に肌には赤みを帯びて、血の巡りが良くなったようだ。
「相当、怨霊が溜まっていましたね。一応、全て散らしましたが、また調子が悪くなったら来てください。今度は首、肩、背中、腰だけでなく、全身コースで除霊します。」
蓮子の言葉にきららの身の毛がよだった。あの除霊を全身に受けるなど、怨霊に憑かれるよりも辛いのではないか、ときららは思った。
しかし、身体の調子が良くなったのは事実。きららは目の前の若い霊能力者にお辞儀をした。
「ありがとうございます。これで今日からぐっすり寝ることができそうです。」
きららの言葉に、蓮子は嬉しそうに笑みを浮かべた。
なんと可憐なことか、人気が出るのも頷ける、ときららは心底そう感じた。
「それで、除霊の代金は幾らでしょうか?」
「あ、お手軽除霊コースなので、4,000円です。」
「え!それだけ!?」
きららは驚愕した。霊能力者へ除霊を頼んだのだ。場合によっては数十万円要求されることも覚悟していた。
「うちは悪徳な霊感商法ではありません。真っ当な価格で商売しています。」
蓮子は胸を張って嘘を言った。
きららが会計を済ませると、蓮子は玄関先で見送った。
すると、遠くの方で会釈するきららの輪郭が、ぼやけて見えた。
(またか…)
蓮子は、自分の方こそマッサージを受けた方がいいかもしれない、と自嘲的な笑みを浮かべ、今度こそ事務所を閉めた。