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中編



 背中から倒れ込もうとする彼女を抱き留めていたのは、ほぼ反射だった。

 怒り。

 この未熟な感情を、どうやら俺は抑え込むことが出来ないようだ。

 剣聖と呼ばれ、魔王を倒し、この平和な世界では決して漏らすまいと心がけていた感情がこぼれる。

 これだけの悪行を目にして流石に傍観を決め込めるほどに俺はできた人間ではなかった。

「……剣聖殿か。今のを見ても彼女を助けるとは……お優しい」

「まぁ田舎剣士の頭では理解できていない可能性もあるがな」

「剣聖殿も、所詮は……と、いったところか」

「……でも、それよりもロイドに待てなんて失礼よ」

 順番に王子、宰相の息子、騎士団長の息子、真の聖女という名を騙る偽の聖女。

「あんたも王子を呼び捨てで十分に失礼に感じるが」

「彼女は聖女で婚約者。だから良いのだ、剣聖殿」

「……そうか。まぁ、それはどうでも良い……さすがにそろそろ状況が理解できたため、口を出させてもらう」

「ふん、なんだ自分へと毎日光魔法をかけてくれていた人間がそこの女ではないことに気づいて今更怒りでも湧いてきたのか?」

 横から口を開く騎士団長殿の息子。

 ……あ゛?

「黙れ青二才。騎士団長殿の息子風情が、せめて一端の騎士になってから口を開け」

「なっ、貴様! 異世界の平民の分際でその口の――」

「――まぁ、待てアッシュ。一応は剣聖殿。たとえヴィヴィアンによる強力な光魔法で魔王と対等に戦える能力を得ただけの男でも、功績は功績。一応彼には貴族として不作法は無礼としては扱わないという褒美も認められているのだから、そう目くじらを立てるな」

「っ……そう、でした」

 事実の中で、一つだけ随分とふざけたことを言っているが、それはどうでもいい。大事なのは今ここで倒れている彼女を助けることだ。

「おい、誰か彼女を――」

 そう言おうとして周囲を見回した瞬間に、俺の開いた口はそのまま宙に浮くこととなった。

「今、真の聖女様の力でやっと魔王を倒したって」

「ってことはさぁ、勇者や剣聖って本当は大したことないんじゃ?」

「そういうことだろ? だって聖女の真贋にも気づいてないんじゃ……なんだ結局手柄だけ取ったってこと?」

「ショックー、あこがれてたのに」

「あっ、だからすぐに田舎で騎士やるって言いだしたのか」

「あぁ、素の力がばれて恥をかく前にってことか」

 次々と放たれる言葉の暴力。

 さっきまでエメラルが受けていた口撃を、今度は俺が受ける番になったらしい。

「そ、ソーマ……様っ?」

 エメラルの戸惑いの声。

 ――あぁ、これはもうダメだ。

 彼女はこんな状況でも怒らない。

 これが当たり前だと思っているからだ。こんな不当な扱いを受けても、それが当然と考えているからだ。これが普通で彼女にとって起こりうる日常でしかないからだ。

 毎日、血反吐を吐きながら俺やハジメを祈り、国民を祈り、彼女の普通の生活を奪ってやっと手に入れた国民の平和が、国民にとっては当たり前だったらしい。

「大丈夫、君は……大丈夫」

「いえ、あの……でも」

 どこかアタフタとしている彼女が可愛らしく、こんな状況にも関わらず怒りを忘れる。それどころか笑みが抑えきれずに言葉を発してしまう。

「大丈夫」

「っ……はい」

 顔を真っ赤に染めて小さく頷く彼女は可愛く、そしてやはり美しい。

「後は、俺がやる」

 彼女をゆっくりと俺の後ろに立たせてから彼女にだけ聞こえる声で伝えた。俺の小声に何かを察してくれたのか、無言で頷いてくれる気配が背中越しに伝わる。

 彼女はこんなにも聡明で、それなのにこんなにも臆病だ。

 彼女が聖女として国や俺と勇者を守り、だから俺と勇者は魔王を倒すことが出来たわけで、つまり彼女は真の英雄だ。それにも関わらず彼女は今不当な扱いを受けて周囲から白い目で見られている。

 もう、十分だ。

 ……もう十分だった。

「王太子よ、エメラル殿が追放ということであるならば、もういいだろう」

「……もういい、とは?」

「彼女が国外追放というのならば俺もまた他国へと赴こう」

 俺としては当然のことを言っただけなのだが「そんなっ!?」と後ろにいる彼女から小さな悲鳴が。

「なっ」

「剣聖殿が国を出る?」

「そんな馬鹿な!?」

「いや、待て。まさか自分の実力がばれるのが嫌で逃げようと?」

「だが偽聖女を連れて行くのはなぜだ?」

「そんなこと、彼女とグルになっていたからだろう」

「なるほど」

 勝手な解釈をしてくれる。

 そもそも薄かったこの国への興味がどんどんなくなっていく。

「……まさか二人は恋仲なのか?」

「いやしかし偽聖女は王太子の婚約者だったはず」

「だが剣聖殿は王都にはいないはずだ」

「ならば何故?」

「ううむ」

 聞こえてくる周囲の喧騒に背中越しにいる彼女の不安が伝わってくる。彼女の力をもってすれば、こんなにもどうでもいい彼らの言動など一笑に付してしまえば済む話だというのに。彼女が謙虚なのか、それともそれほどにひどい扱いを受けて自尊心がおられてしまっているのか。おそらくは両方だろう。前者は彼女の美点だが後者に関しては不快でしかない。

「いけません、ソーマ様まで一緒に国外に出てしまうなんて、そんな」

 背中から聞こえてくる心配そうな声を出来るだけ安心させたくて出来る限りの柔らかい声を意識して返事をする。

「大丈夫。そもそも俺は一人で僻地に暮らしていただけです。ほとんど国外のような場所なので自分としては全く気になりません」

「そ、そう……なのですか?」

「もちろん。それに俺がこの国にいるのは国に仕えているからじゃない。陛下に個人的に仕えているからです。だから国外に出ても問題なしです」

「け、けれど……そんな……この場の勢いで。それに陛下にもう仕えることが出来なくなるのでは?」

「陛下には会おうと思えばいつでも会えるルートがあるんでそれも大丈夫です……それと、これは勇者の言葉を借りるのですが」

 まだまだ喧騒が収まらないため、一旦彼女の方へと顔を向ける。

 彼女の目線が俺の上腕付近のため、必然的に俺を見上げるその表情がまたグッとくるものがあるが、そこは気にしないことにしておく。

「時には勢いも大事、です」

「……」

 この言葉があまりも安直だったせいだろうか。彼女が驚いたような顔で口をぱくぱくとさせた後、それから「ふふ」と小さく微笑んだ。

「素敵な言葉です」

「だから――」

 ――安心してください。

 という言葉を伝えようとしたところで、王太子がやっと反応した。

「なぜ君が一緒になって出ていく必要がある?」

「俺にとって聖女はエメラル・マリーシア殿。ただ一人だ」

「あなたは馬鹿ですか? ですからその聖女がそこの女ではなくそこのヴィヴィアン嬢だと言ったでしょう。あなたが真の剣聖ならばそれぐらいわかるはずだ!」

 横から急に会話に入ってきたのは宰相の息子。

「……もう一度だけ言おう。俺にとって聖女はエメラル・マリーシア殿だ。そこでお前らに囲まれて突っ立ってる女じゃない」

「……愚かな」

「へっ、剣を振るだけしか能がないんだろうぜ」

 今にも舌打ちをしそうな宰相の息子に小さな声で話す騎士団長殿の息子……さっきアッシュと呼ばれていたな。

 ……イライラする。 

 これだけの豪華で広い会場で失禁したり、気を失う人間が続出する光景は見たくないから我慢するが、早く彼女を連れて出ていかなければ本当に殺気でもばらまいてしまいそうだ。

 もう……いいか。

 そもそも別にこいつらの許可はいらない。形式的になんとなくで発言をしただけだ。

 もうどうせ会話にならないだろうし、無視しして行ってしまおうと思った時だった。

「わ、私は!」

 偽聖女……ヴィヴィアン・ワネットが前に出てきた。

「瘴気を抑えること以外にも傷をいやすことが出来ます!」

「……へぇ」

 思わず声が漏れた。

 瘴気を抑え、傷をいやす。かなりの光魔法の使い手だろう。パッと見たところ魔力量も豊富にある。稀有な存在であることには間違いない。

「だからロイド達は私を見つけてくれたんです。だからあなたももう真実を見てください!」

「……なるほど。つまりお前らはやはり馬鹿なんだな」

「なっ! いくら剣聖殿といえどその言動はいささか失礼では!?」

 王太子が気色ばんだ発言。それ自体は正論だろう。礼を尽くす必要がないことはすなわち失礼な発言をしても良いということではない。

 だが、うんざりだった。

「今回の騒動の起こりとなったエメラルさんからそこの女への証拠すら提示しない一方的な発言」

「ヴィヴィアンが嘘をつくはずがないでしょう。それに証人だって多数いました」

「証拠って言ったんだ」

「証拠としうるだけの人数が証人になってくれています。そんなもの必要ありません」

「……」

 話が通じない。

 これだけ大々的な舞台で一方的に責めておいて証拠なしというのはちょっともう理解が出来ない。

 ただ甚振りたいだけだろう。

「……エメラルさんが偽でそこの女が真だという証拠すら提示しない」

「ヴィヴィアンは光魔法だけでなく癒しの魔法までをも使いこなせる。それで十分だろう」

「証拠だと言っているのだが」

「ヴィヴィアンの実力を見ればわかります」

「……」

 やはり、話が通じない、

「魔王討伐の旅の時、聖女エメラルさんの祈りの声が俺や勇者ハジメに届いていた。まさしく彼女の声だった」

「それは初耳ですが……どうせそこの女が偽装の魔法でも使っていたのでしょう」

「考えればわかるだろうが、これだから田舎剣士はダメなんだ」

 つまり、こいつらに会話は通じないということが理解できた。

「……あー、もういい。会話する価値もない」

 この状況も。

「もう許せねぇ! さっきから何様だ! おい衛兵! こいつを捕らえろ! 侮辱罪だ!」

「そうですね、僕たちに対してはともかく、ロイドやヴィヴィアンに対しての暴言は看過できません」

 目の前の女の魔力量程度では国中の瘴気を抑えることが出来ないと気付くことも出来ないぼんくらにも。

「そ、ソーマ様。こんな偽聖女の私のせいで……そんな」

「大丈夫大丈夫」

 また背中で身を縮こませたエメラルさんにまた小さく呟く。

「あなたの祈りの声……毎日俺たちに届いてました。だからあなたですよ、間違いなく」

「っ」

「この国を救った本当の英雄はあなた。俺もハジメもあなたがいなければ魔王の討伐など為せなかった。あなたが真の聖女だ。英雄だ。誰からも愛されるべき人間だ」

「……は、い」

 また俯いてしまった彼女の背中に庇いつつ、この会話をしている間に俺を囲んだ衛兵たちへと目を向けた。

 俺に武器を向けて、俺から視線を送られても全く怯みもしないということはこの舞踏会の衛兵には俺を知っている人間はいないようだが、じりじりと俺への距離を詰めていることから剣聖という称号に警戒でもしているのだろう。すぐには襲ってこない様子から王太子へと声をかける。

「これに反抗したらどうなる?」

「当然、重罪になる」

「そんなこともわからないのですか?」

「所詮は田舎騎士ってことだ!」

 王太子に続いて、宰相の息子と騎士の息子が俺を馬鹿にした顔でいる。たかだが十人程度が俺を囲んでいる程度でなぜそんな顔が出来るのか。

「……一つ聞きたいのだが。今から国を出る俺にその罪は意味があるのか? なんなら国外追放にしてくれても構わないが」

「……」

 至極当然のことを伝えると、王太子が黙り込んだ。

 そこで気づく。

「くく……はは……ははははは! 傑作だ! 俺を国外追放にするとパパに怒られるって!? 聖女追放なんて大それたことをやっておきながら!? どうせ今回も勝手にやっているくせに! ははははは! 愉快だ! 愉快すぎる! 頭が悪いだけでなくまさかの根性なし! 大馬鹿か根性なしかのどっちかにしてくれ! 大馬鹿根性なしって……あっははは! 腹がよじれる! ははははははは!」

 この世界に召喚される前ですら滅多にないほどに面白くて腹を抱えて笑っていると「きっさま!」という声と共に剣撃が頭上に降りてきた。

「おいおい」

 エメラルさんをそっと左腕で胸に抱えて一歩下がる。剣先が俺の鼻先を通り過ぎてそのまま地面へと突き刺さった。

「国辱だ! 殺してやる!」

「アッシュが暴走していますが……正論でもあります。王太子であるあなたを直接的な言葉で侮辱。しかもそれは偽物の英雄。偽の英雄たちはもはや国にとって害をなす存在でしかありません。偽の剣聖も聖女もこの場で始末してしまっても宜しいですか?」

「……そうだな。この国の明るい未来のため、ここで死んでもらおう。アッシュ! 衛兵とともに国賊ソーマを始末せよ!」

「任せろ!」

 どうやら本気で笑いすぎたようだ。

 流石に反省。

「エメラルさん、すいません。笑いすぎてあなたまで犯罪者になってしまいました」

「……い、いえ……構いま、せん」

 本当に申し訳なくて頭を下げようとしたのだが彼女の肩がプルプルと震えていることで気づいた。

「エメラルさん……笑ってますね?」

「ご、ごめ……で、でも……王太子に……大……馬鹿根性なしって……」

 先ほどまでとは違って随分と余裕のある態度だ。しかも今にも襲ってきそうな衛兵がいるという先ほどまでよりも切羽詰まった状況で。もしかしたら今の俺の正直な感想でどこか振り切れたのかもしれない。

「怖くないですか?」

「はい、ソーマ様が抱えてくださっていますので」

「……っ」

 くっ、さすが聖女様。

 今日一番の攻撃力のある笑顔とセリフ。ついでに感触。

「さて、俺に剣を向けたからには……わかっているな?」

「こちらのセリフだ! 偽聖女ごと叩ききってやる!」

 騎士団長殿の息子が切りかかってくると同時に背後から衛兵が槍を突きだしてきた。

「やれやれ」

 あまりにも遅い動きだ。

 エメラルさんに衝撃がいかないように、そっと動きながら息子へと掌底を水月に叩き込む。体をくの字に折った騎士団長の息子の後ろに回り込み、その背中を蹴った。

「アッシュ様!?」

 槍が突き刺さりそうになったため慌てて槍を引く衛兵に合わせて懐へと潜り込んで手刀を両膝に叩き込む。ひざの骨が折れたせいで崩れ落ちていく衛兵の肩を踏み台に、衛兵の囲いから空中へと抜け出してから残り8人の衛兵へと手刀を一振り。

 外につながる大扉前に着地すると同時に8人の衛兵が吹き飛んで壁に激突した。

「……」

 立つ者はいない。

 全員が話すことをやめた。

 誰も血を出していない、随分と優しい暴力だがそれすらも見慣れていないのだろう。真の聖女だと言い張る偽聖女も顔を青くさせて王太子へと抱きついている。これから血反吐が出るほどに辛いことになるだろうに、大丈夫だろうか。

 彼女の働き次第では本当にこの国は亡ぶことになる……とはいえ彼女が光の魔力をもつことに違いはないだろうし、亡ぶまではいかないだろう。

 エメラルさんに全く負担がないように動くにはこれくらい優しく丁寧を心がけることが必要だった。

 本音を言えばもう少し痛めつけたい気もするが、それ以上にさっさとここから離れたいという気持ちの方が強い。

 それでも、一言だけ。

「王太子よ」

「……っ」

 顔を青くさせて俺へと顔を向ける。俺が剣聖という事実を今になって感じているのだろうか。あの程度なら俺でなくとも出来るだろうに。

「俺とエメラルさんは国を出る。エメラルさんが偽というなら俺も偽だ。それが真実で構わない。俺たちはこの国に関わらずに生きていくからもう俺たちには関わるな。それと――」

 自然とエメラルさんを抱えている左腕に力が入ったことでエメラルさんも頷いてくれたことが感触で伝わる。少し嬉しくなるが今は真面目な言葉の時だ。出来るだけ表情を変えないことを意識しなければならない。

「――エメラルさんがいないこの国はこれから大変なことになるだろうが、そこの女も他国の教皇くらいの力はある。魔物が増え、交通の便が悪くなって穀物の量や質が下がる程度だろう。まぁ……頑張れ。あと国王には怒られろ」

「なっ」

「えっ」

 王太子と偽聖女が声を漏らした。それと同時にまた周囲がざわついた。

「え、教皇様ぐらいの力?」

「まさか、本当に聖女様ではなく?」

「そんなことがあるのか? 王太子様はあれだけ堂々と宣言されていたではないか」

「だが剣聖殿があれだけ具体的なことを――」

「――そもそもあの剣聖殿は偽なのだろう」

「そ、そうだ。偽剣聖の言葉に惑わされてはいけないぞ」

「しかし今の動きは」

 色めきだっている彼らはどうでもいい。

「さぁ、エメラルさん……行こうか」

「はい」

 もう俺たちを止める声はなかった。





 私が夜の空にいるということを加味しても夜風がこんなにも気持ち良いと感じたことはこれが初めてです。

 夜の空……といっても私が飛べるはずがありません。

 私が夜の空と表現したのは――

「居心地は大丈夫ですか?」

「はい、とても気持ちよいです」

 私が落ちないように背後から私の腰へと腕を回してくださっているソーマ様の声が耳元から聞こえてくることに頬が熱くなることを感じるのですが、そこは出来るだけ意識しないようにします。

「まさか天馬に乗れる日が来るなんて、嘘みたいです」

「……天馬で来て正解でした」

 ――そう、今私が夜空にいる理由はなんとあの伝説でしか聞いたことのない天馬に乗っているから。

 ――本当に夢みたい。

 そんな言葉を、私は飲み込みました。

 王子様が白馬に乗ってやってくるという、病弱だった母が昔に聞かせてくれたおとぎ話みたいで胸が高鳴って、涼しい夜風が本当に丁度良く感じられます。眼下に広がる漆黒の世界は少し怖いけれど、私がまたがっている白馬と私を抱えてくださっているソーマ様の声で、それ以上の安心を抱くことが出来ています。

「夜の空はこんなにも気持ちの良いものだったのですね」

「……エメラルさん、天を見上げてください」

「天……ですか?」

 天馬に乗った時から足元しか見ていなかったから確かには上は見ていませんでした。言われるがままに上を見上げて「わぁ」

 思わず声を漏らしてしまいました。

 夜空に輝く小さな光の粒、粒、粒。

 ちいさな光の絨毯が私の頭上に広がっていたから。

「……綺麗」

 すごく、綺麗。

 今まで空を見上げるときは泣かないために涙をこらえるためでしかなかったせいで気づきませんでした。いえ、もしかしたら王都からでは見れないのでしょうか。実際のところはわかりませんが、とにかく初めて見た天の絨毯に目を離せなくなりました。

「エメラルさん」

「はい」

 天の絨毯から目を離さずに返事をしてしまいます。失礼だとは思いつつも本当に綺麗で一瞬ですら目を移したくなくて。

「この空が……あなたが瘴気を浄化してきた結果です」

「!?」

 役立たず。

 穀潰し。

 そして、最後には偽聖女。

 そんなことを言われ続けた私を肯定する初めての言葉。

「そう……なのですか?」

「もちろん」

 私を抱えてくださっている腕に少し力が入ったようで少しだけ締め付ける力が強くなりました。けれど、それもなぜか心地よくて。

「長い間、本当にお疲れさまでした。今俺も含めてこの世界に生命があるのはあなたのおかげです」

 ああ。

「……っ。私なんてただ祈ってばかりでお二人に比べたらっ――」

 ――何もしていません。

 そうやって言葉を続けることが出来ませんでした。何かがつっかえてしまったから。

 きっと私が聖女でなければきっともっとたくさんの人が怪我をせずにすんでいました。

 確かに私が聖女でなければもっとたくさんの人の命を救えていたでしょう。

 私が聖女でなければ――

 ――それ以上は……やめなさい。

 考えてはいけない感情がよぎり、聖女としての教育を受けてきた私がそれを止めます。

 けれど、けれど……けれど!

 私だって! 

 私も!

 私なりに!

「――本当にあなたが聖女でよかった」

「っ!」

 あああ。

「あなたが毎日俺たちを祈ってくれたから、俺たちは生きることが出来た」

 褒められた。

 世界を救った英雄に。

 私が祈っていた剣聖様に。

「は……い」

 こらえてきたものが壊れた。

 そうよ、私だって――

「本当にありがとうございました」

「………い」

 ――頑張ってきた。

 声がかすれた。

 初めてだった。

 初めて誰かに褒められた。

 祈りが無駄じゃないと言われた。

 もう、我慢していたものが壊れたことにすら気づかなかった。

「もう一度言います。長い間、聖女としての使命、本当にお疲れさまでした。そして、ありがとうございました。今日からあなたは自由です」

「うう……うわあああああん!」

 夜空に広がる満天の絨毯と剣聖様の腕と天馬の背中が、私の声を優しく包んでくれていた。



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