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前編



 それは唐突に、突然に。

「エメラル・マリーシア。お前との婚約を破棄する!」

 ――なに?

 信じられない言葉に耳を疑った。

 今日は学園の卒業式。

 これから騎士になることが内定している者、貴族の一員として正式に迎えられることが決まっている者、国の政治に関わっていく者、これから自分の領地での働き方を学んでいく者、そんな彼らにとってもこれからのこの国を担っていく一歩目となる大切な場所。

 今年に限っていえば、卒業生一同に王太子、宰相の息子、騎士団長の息子、四大貴族の息子、他国からの留学で迎えられていた王族の血縁者。次代の国を背負うといっても過言ではない人間たちも含まれており、極めつけには世界を魔王から救うという大偉業に一役を買った聖女も卒業するということで、例年の比ではないほどにたくさんの関係者や賓客が足を運んでいる。

 そんな誰しもが期待と不安に胸を躍らせている中で、一目だけでも聖女さんを見ようとこの場に来ていた俺は目の前で繰り広げられる信じられない光景に目と耳を疑いっぱなしだった。

 宰相の息子、騎士団長の息子。彼らを代表するかのように王太子が先頭に立ち、聖女エメラルへの婚約破棄をまさかのこの大切な場で宣言しているのだから、この話を知らなかった誰しもがきっとそうなるだろう。現に先ほどまでは賑やかで華やかな声や音がこの場を包んでいたにも関わらず、今この場にあるのはただひたすらの静寂。誰しもが音を失っている。

「そして私、ロイド・ヴァンデル・マイクは新たにヴィヴィアン・ワネットを婚約者として迎えることをここに宣言する! ヴィヴィアン、こちらへ」

「はい!」

 ザワリと一瞬だけ音が生まれて、その隙間を縫うようにしておそらくは卒業生だろう女生徒が王太子の脇に身を寄せた。

 切れ目で女性をうっとりとさせるほどの甘いマスクをしているロイドの傍に、ぱっちりと開いた目、愛嬌を感じさせつつも美しさすら感じさせる神秘の美貌ともいえるヴィヴィアン。二人のブロンドが並ぶ姿はそれだけで眩しさを感じさせる……のは良いのだが、これは一体どういうことだ? 何が起こっているのか。

 残念ながら、俺は辺境でひたすらに魔物と戦う日々に明け暮れている身だ。貴族情勢を全く理解していない。だからついていけないのだろうかと周囲へと目を配るが、どうやら周囲も俺と大差ないようだ。

 となるとこの場のこの騒動は壇上で声をあげた彼らだけによるものかもしれない。 

 尚更、理解が追いつかず、たった今婚約破棄を言い渡されたエメラルさんへと視線を送る。

「……」

 本人は顔を俯かせ、服の裾を握りしめている。

「ふん、何も言い返さないということは貴様にも心当たりがあるということだな。ヴィヴィアンへの日々の悪事に」

「い、いいのロイド。エメラルさんはきっとロイドと仲良くなった私に嫉妬しただけなの」

「いや、だからこそここでエメラルにしっかり反省させなければいけないのさ。そうだろ、皆?」

 さわやかな笑顔で振り返ったロイドの言葉に、真っ先に答えたのは宰相殿の息子。

「全くもってその通りだ。聖女と呼ばれた身でありながら情けない。さっさと罪を認めてほしいものだ」

「と、いうことだ。エメラル! ヴィヴィアンへの悪事、日々の暴力、他の女生徒を巻き込んでの無視、その他数え上げればきりがない」

「……わ、私が? それを……ですか?」

 辺りを見回し、明らかに困惑した声を漏らすエメラルさんに対し、ロイド王子がこらえきれずに大きな声をあげる。

「その態度はなんだというのだ! 罪を問われているにも関わらずまるで何も知らないとでも言いたげなその態度……もう、我慢ならん! この場では穏便に済ませてやろうと思っていたが、もう一つの本当の罪をこの場で暴いてやろう!」

 既に穏便とはいえない空気を作り出しておきながらも、どうやらこれ以上の爆弾があるらしい。

「そうだな」

「もう、言ってしまえ」

 王子の後ろで控えていた彼らの声に気を良くしたのか、かすかに口角を上げて「この偽聖女めが!」

 彼の口から爆弾が放たれた。

「……」

 既に音を失っていたはずの空間から、まるで空気すらも底冷えするかのような一瞬の静寂。

 そして――

「エメラル殿が……偽者!?」

「ど、どいうことだ!?」

 ――ざわめき。

「勇者様や剣聖様と共に世界を救ったのがエメラル殿では?」

「ええ、私もそう思っていたのだけど」

「だが、ロイド様を見ろ、あれは何かを確信しているお顔だ」

 聞こえてくる喧噪がそのまま俺の疑問そのものだ。

 時折、様々な角度からこちらへと視線が投げかけられるが偶然だと思いたい。俺も何も知らないのだからこちらへと疑問を投げかけられても何も答えられない。

 だが、一つだけ断言させてもらえるとするならば一つ。

 エメラルさんは本物の聖女だ。

 それはこの世界では俺が一番知っているのだから間違いない。残念ながら彼女のことを知るもう一人は今はこの世界にはいないが。

 どうすればいいのかわからずに目を白黒とさせていると、王子は更なる爆弾を投下してきた。

「そして、私は真なる聖女ヴィヴィアンをここに宣言する!」

 ……よし。

 ここまで聞いて、一つだけわかった。

 理解ができないことを理解した。 

 思考を停止させよう。

 ざわめきが喧噪へと広がる様を体感しながらも、俺は初めて会うことが出来たエメラルさんの華奢な背中を見つめていた。





「この偽聖女めが!」

 そう言われてしまった時、心臓が止まる思いでした。

 ばれてしまった、そう思ったから。

 昔から得意なことが何一つなく、役立たずと罵られていた村娘。そんな私の人生に転機が訪れたのはもう13年も前のこと。

 当時7歳でしかなかった私のもとへとやってきた役人さんに「貴方が聖女か」と言われた時のこと。

 もちろん当時の私は断固として一度として肯定を示したことはなかったけれど、腕にあるその聖印が証拠です、と言われてほぼ強引に連れていかれることとなりました。

 絶対に聖女ではないのに、という恐れを抱きつつもこれで私の人生の何かが変わるかもしれないと思った私は翌日にはその甘さを知りました。 

 それからの日々は本当に地獄のような日々。

 最低限、聖女として恥ずかしくないように、と施されたお貴族様の教育。それが終われば聖女として一心不乱に祈りをささげる日々。 

 さて、聖女。

 それは伝説とも呼ばれる存在で、勇者様、剣聖様とともに魔族から人々を救う存在。

 さて、聖女と聞いて人々は一体聖女が具体的に何が出来る存在だと感じるでしょうか?

 ――傷を癒す?

 いいえ。

 ――命を蘇生させる?

 もちろん、いいえ。

 できることはただ一つ。

 魔の瘴気を抑え込む。

 たったのそれだけ。

 歴代の聖女様の中には傷を癒す力も使いこなす方もいたらしいのですが、特に私は歴代の聖女様の中でもずば抜けて才能がありませんでした。瘴気を抑え込むのに異常なほどの時間と魔力を消費し、使いこなすことができた光の魔法は瘴気を抑え込む術のみ。

 単なる村娘で人を瘴気から守ることはできても人を助けることのできない私だから、王宮でも扱いが良くなる、ということはなく、むしろ村にいた時よりも嫌がらせが多い分、辛い日々でした。

 村にいた時と変わらないような食事情や寝床の環境。教育係の皆様から受ける日々の暴力、聖女だからと婚約させられてしまった王子様に恋をしていた貴族様からの嫌がらせ。そしてなによりも瘴気を祓うために半日かけて酷使する体力と魔力。

 王宮から街へと出れば一代前の聖女様ならば傷を癒してくれたのにと聞こえてくる陰口。子供からは石を投げられてしまい、それを避けることもできずに傷を受けてしまうノロマな私。

 聖女様は人を守り、癒し、救う方。私の知る聖女様はそんな方。だから、こんな聖女がいるはずがない。

 ……私のような聖女がいるはずがありません。 

 勇者様と剣聖様が異世界から呼ばれてこられてからは更なる辛い日々でした。

 安息日がなくなってしまったから。

 今までは国を侵食する瘴気を抑え込むために魔力を消費していたのですが、それからは国を出て魔界へと飛び込むお二人が瘴気に侵されないように、より強固な光の魔法をかけ続けなければいけないからです。

 お二人がより深く魔界へと進むたびに瘴気は濃くなり、また戦闘を行い、強大な魔族や魔物と戦闘を繰り広げる度に遠い地で戦っているお二人へと光の魔法をかける日々。それと同時に国を瘴気からも守らなければいけません。もちろん、日々を生きるか死ぬかで戦っているお二人の方が辛い日々ということは理解していました。けれど、正直に言ってしまえば勇者様と剣聖様がハジメ様とソーマ様のお二人でなければきっと私はどこかで聖女でいることをあきらめてしまっていたはずです。

 ――いつもいつもありがとうございます、エメラルさん! 今日は面白い魔族と会ったんですよ?

 ――エメラルさん、いつもありがとう、それとすまない。俺たちがもっと強ければ君の負担を減らせるんだが。

 感謝や謝罪を想ってくれていることが毎日伝わっていたから。

 もちろん、私たちに念話の能力はありません。私の祈りを、光の魔法を感じ取ってくれているお二方が自発的にそう想ってくれていたことが祈りを通じて私へと流れ込んでいただけで、お二人はそう思っていることが私に筒抜けになっていることすらも知りません。だからこそ、お二人の純粋な優しさであることを示していて、お二人へとより強く光の魔法を祈り続けることが出来ました。

 ……だからこそ、私は理解していました。

 私が祈る理由はこの時既に王様やお貴族様、街の人々のためではなくお二人のためだと。

 ……だからこそ私は理解していました。

 私はきっと聖女失格なのだと。

「この偽聖女めが!」

 だから、これはきっと当然のことなのです。

 魔王が倒れ、魔界からの瘴気が徐々に減っていたはずなのに、ハジメ様がいなくなってしまってからまた祈りにかかる時間が増えてしまっていた私は徐々に聖女としての能力を失いつつあったのでしょう。

 それを感じた段階で王子様へと理解してもらう必要があったのに、それを伝えることが出来なかった私が聖女として至らないからでしかありません。何度か神官様にはお伝えしたのですが、それが王子様へと伝わっていなかったとしてもそれは直接王子様に謁見できなかった私が聖女失格だから仕方がありません。

「そして、私は真なる聖女ヴィヴィアンをここに宣言する!」

 その宣言で、私がは胸をなでおろしました。

 もう、聖女でいる必要はない。聖女でいようとする必要はないのだと、理解ができたからです。  

「……」

「言葉もない、か」

「え?……あ」

 安堵のあまり王子様のお言葉にお返しすることを忘れておりました。

「も、申し訳ございませんでした」

「それは偽聖女であることを認めるのだな?」

「……はい」

 私の同意で、周りの方々の声が大きくなる。

「忌まわしい。では平民のくせに聖女であることを笠に着て王宮へと出入りをしていたというの?」

「しかも、学園にまで通って」

「とんだ聖女様もいたもんだ」

「俺、そういやあの人が聖女の力を使っているところ見たことないな」

「私も」

 ガヤガヤとまるで王太子様の御前であることを忘れているかのような皆様の反応は、きっとそれだけ私の大きな罪を表しています。

「私が!」

 ふと、真なる聖女のヴィヴィアン様が声をあげられます。

「エメラルさんを引き継ぎます! 聖女としても、ロイドの婚約者としても、これからは私が皆さんと国を守っていきます! 私に任せてください!」

「ヴィヴィアン様!」

「よろしくお願いします!」

「頑張って!!」

 盛大な拍手がヴィヴィアン様を包み込んでいきます。皆さまが喜んでいるはずなのに、どこかうすら寒い風にすら感じてしまう私はやっぱり聖女としては失格なのでしょう。

 そっと自分の手のひらにある聖印をなでみると、まだ深く刻み込まれていることが感じられて、これも少しずつ消えていくのかと思うと少しだけ感慨深さを覚えてしまいます。

「まぁ、エメラルさんったら! まだその嘘の聖印に頼るつもりなの?」

「お前というやつは……本来なら貴様はここで死刑でもおかしくはない罪を犯しているのだぞ!?」

「っ」

 し、死罪? ……え……ぇ?

「何を驚いた顔をしている! 祈りのふりをして、ヴィヴィアンの手柄を横取りして、まるで自身が本当の聖女であるかのような待遇を受けていたのだ、当然だろう!」

 理解が追いつかず、それでも血の気が引いていくとはきっとこのことなのだと、感じてしまいます。

「だが表向きは貴様は英雄の1人だ。他国では一応貴様は聖女として名が通っていることだけを鑑みて、貴様を表立って罰することはせん。さっさとこの国から出ていくがよい! 貴様はこの国から追放だ!」

 死罪ではなく、追放。その言葉に少しだけホッとして、けれどそれ以上に虚しさが胸に浮かびました。


 確かに私は能力が不足していました。

「貴女は聖女なのです。これぐらいはやってもらわないと国が瘴気に侵されるのですよ!」

 日々の叱咤に耐え。

 ――それでも私は私なりに光魔法で必死に祈ってきました。誰一人として瘴気に侵されないように。誰一人として瘴気で不幸になる人間がいないように。

 なぜなら。


 たしかに私は教養も身分もありませんでした。

「村娘の分際でロイド様の婚約者だなんて、汚らわしい! 絶対に許さないから!」

 友達もできず。

「貴女は聖女、これからは様々な高貴な方にお会いするのです。そんな不作法で国に泥を塗る気ですか? これだから田舎娘は」

 嫌みを言われ。暴力を振るわれ。

 ――それでも私は私なりに努力をしてきました。寝る間を惜しみ、食事を作る時間も惜しみ。

 だって。


 

 私は誰かの笑顔が好きでした。

 私の祈りで誰かの笑顔を守っている、そう思えば辛い日々もどうにか乗り越えられた……勇者ハジメ様や剣聖ソーマ様が来られてからは少し揺らいでしまっていましたが。

 だから、魔王がいなくなった後も必死になって祈ってきた……つもりでした。

 けれど、私の祈りは意味がないものだったらしい。本当は真の聖女様が祈っていたから、だったらしい。

「ごめんなさい、エメラルさん。私、本当は今のままでも良かったんだけど……でも騙されたままの皆が可哀そうだって気づいて……それで」

 私はなんて滑稽で愚かな人間なのでしょうか。

 ――目が回る。

 私のこれまでの人生、すべてが嘘でした。

 ――少しずつ身体が浮遊感に包まれていく。

 努力は何の意味もありませんでした。

 ――いつの間にか身体が後ろに傾いて

 ただ辛いだけの日々だった。

 こんな私は本当にしん――

「――ちょっと待て」

 誰かに抱き留められた。

 そう気づくのに時間がかかりました。

「っ? ぅぇ?」

 まさか汚い私を抱き留める、そんな方がいるとは思っていなかったからです。

 誰だろう、と思って顔を上げるとそこにあったのはこの世界には滅多にいない黒い髪と黒い瞳。

 剣聖ソーマ様の顔があった。


 



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