第9話 迷う決意 ‐杉浦完児‐
噂というのは、対象となる本人が居ない場所でするものです。
この作品は変則的な一人称という形式を採用していますが、このような話を作るためには、とても都合が良いですね。
何もない。
予想はしていたけど、海鳥ちゃんは本当に普通の子なんだろう。
崖沿いに森を歩いてきたオレ達は、わりと簡単に落下ポイントを見付けることが出来た。
早速とばかりに散開して探してみたけど、海鳥ちゃん本人はもちろん、どこへ向かったのかがわかるような目印や痕跡も見付からなかった。
「そっちはどうだ?」
オレの問い掛けに、百合香は力なく首を横に振る。
「どこ行ったんだか」
迷ったり仲間とはぐれた時、その場から離れずに隠れているのが基本だ。もちろん、それは状況にもよるし、動かなくちゃならない時もある。
例えばそう……誰かに襲われた時とか。
「足跡は追えないね。でも……」
義高は言葉を切り、俯いて何やら考え込む。
いや、そこは考えるまでもないだろ。二人しかいない人間が鉢合わずに同じ場所を通るなんて、あまりにも不自然だ。
「誰かが一緒だったことは間違いねーだろ」
「まだ一緒とは限らないでしょ。単に足跡を見付けて追っただけかもしれない」
「そうだとしても同じことだ。少なくとも片方は相手の存在に気付いてる」
あまり悪い方向に考えたくないという百合香の気持ちはわからなくもない。オレだって、このままリタイアなどという結末を迎えるのはゴメンだ。
だけど、ここは素直に認めるべきだろう。
落ちたのが義高や百合香だったなら、信じて待つのも必要だと思うが、残念ながら落ちたのは海鳥ちゃんだ。彼女に過剰な期待をするのは、むしろ気の毒だと思うぞ。
「で、これからどうする?」
表情にスッキリ感のない二人を見つつ、オレは問う。
「どうするって、とりあえず探すしかないでしょ」
「まずは見付けないことには何とも……」
いつもは決断力のある二人が、らしくもなく曖昧な返答をよこす。それだけ迷いがあるってことだ。
とはいえ、確かに今のオレ達にできることはそれしかない。海鳥ちゃんのリタイアが確定したのならともかく、そうでないのなら希望的観測を追うべきだろうと思う。
ただ、それだって明確な覚悟があればこそだ。
「とにかく、手分けしてみどりを探しましょ」
「時間を決めて、しばらくしたら戻ってくるようにした方がいいね。とりあえず十分くらいが――」
「ちょっと待った」
義高の発言を遮り、オレが場を制する。
「何よ完児、時間ないでしょ」
百合香は明らかに焦っている。
いつもは冷静な義高も、どこか浮ついて見えた。
そうだ。海鳥ちゃんが一緒でなければ、オレ達は優勝することができない。でも、彼女が一緒に居て優勝することの難しさを、オレ達は考えていただろうか。
彼女一人に振り回されて、この先本当にゴールまで辿り着けるんだろうか。
わからない。少なくとも、自信は持てない。
だからこそ、オレは問う。
「海鳥ちゃんがいない今だからこそ、ハッキリさせといた方がいいんじゃねーのか?」
オレはゴメンだ。
これだけの面子を揃えて、簡単に諦めるなんて。
「優勝を目指して突き進むのか、完歩だけを前提に歩いていくのか、その辺のところをさ」
二人が戸惑い、固まる。
景色が止まり、その色が鮮明に映る。
上空で囀る鳥の声だけが、やけにうるさかった。
止まったようにすら見える時間を動かしたのは百合香だった。
「……そう言うあんたこそどうなの?」
そう来たか。
まぁ、こちらにも思うところがあったからこその質問だ。オレの考えを口にすることに抵抗はない。
「そうだな。始まる前は優勝だの何だのと言ってはいたけど、正直言って優勝できるなんて思ってなかったよ。完歩だって怪しいもんだと思ってた」
あまりにアッサリ話し始めて、二人は少し驚いているようだった。
「実際、一昨年は十位で去年はリタイア、相当な運に恵まれなきゃ優勝なんて無理だろってのが本音だったよ」
「じゃあ、完児は完歩狙いってことでいいのね?」
「ついさっきまではな」
そう、今までのオレは、遠足というイベントで勝つために最も必要な要素は運だと思ってた。
運がないから優勝できなかった。
運がないからリタイアした。
ずっと、そう思ってたんだ。
「さっきまでって、今は違うの?」
「違うね。オレ達が協力して義高を守れば、きっと勝てる」
海鳥ちゃんが落ちたことを罠だと言った時、オレは確信した。
コイツの見えているものが、明らかにオレ達とは違っているんだということに。
一見すると大して急ぐでもなく、ただのほほんと完歩を目指しているように見える義高だけど、コイツの目はいつだってオレ達よりもずっと先を見ているんだ。
ただ、自分の足元を守るには武力が足りない。
「オレは勝ちたいね。それが出来るだけの材料が揃っているんだ。これこそが運だと思わないか?」
二人はやや俯き、そのまま黙る。
簡単に頷きはしないだろうと思っていた。
むしろ、否定されなかったことに驚くほどだ。
きっと、心のどこかで思っていたんだろうと思う。この班はバランスが取れている。本気で前進すれば、優勝だって夢物語なんかじゃない。
ただ、だからこそ問題だった。
「けど、そのためにはどうしても海鳥ちゃんの存在が障害になる」
「障害なんかじゃ!」
百合香が過敏に反応する。
「まぁ聞けって。オレは別に海鳥ちゃんが弱いからとか、ドン臭いからとか、天然だからとか、そんな理由で言ってるんじゃない。何より問題だと思うのは、海鳥ちゃんに遠足を歩く覚悟がないってことだ」
「覚悟って、そんな大袈裟な」
「優勝を目指すにしても完歩を目指すにしても、参加するには覚悟がいるイベントだと思うぞ。そうじゃない奴は、スタート地点から動かないだろ。実際、もしも海鳥ちゃんがオレ達と一緒じゃなくて、そういう班の一員だったとしたら、歩かないことを渋ったと思うか?」
また場が沈黙する。
この二人がわかっていないハズはない。
遠足でゴールするためには、確かに体力も知力も運も必要だ。だけど仮にそれらが不足していてもゴールすることはできるし、そんな奴は珍しくない。
ただ、唯一例外なく持っていたものを挙げるとするなら、それは『意欲』以外にないだろう。
「オレだって、海鳥ちゃんに無理難題を注文するつもりはねーよ。けどせめて足を引っ張らないくらいの……いや、足を引っ張ってでもゴールしようという程度の『やる気』は持って欲しいと思う」
問題は、それが他人にフォローのしようがない、本人の努力にしか頼れないものだってことだ。
「だからとりあえず、海鳥ちゃんと合流したら本心を聞いてみるつもりだ。遠足に対する思いを、な」
頼めば彼女のことだ。嫌だとは言わないだろう。表面上だけでも、オレ達のペースに合わせてくれるかもしれない。
でもきっと、それじゃ駄目だ。
無理をしても、どこかでボロが出る。またこうして一人はぐれた時に、もういいやって気分になる。
そんなんで遠足が終わるなんて、後味が悪いにも程がある。
だったら、最初から優勝を除外して彼女のペースに合わせた方がマシだろう。
「てところが、オレの本音かな。言っとくけど、おやつを頬張りながらのんびり歩くってのも嫌いじゃないからな。あくまでこの面子ならって話だ」
正直言って、熱いのは性に合わない。
そんなオレの『照れ』がわかったのか、百合香は柔らかい笑顔で吹き出した。
「わたしは正直、班が決まった時に『いける』って思ったな」
百合香の言葉は、意外と言えば意外だった。
言うまでもなく怖がりの百合香は、スペックはともかくとして遠足自体に消極的だと思っていたからだ。ただ、海鳥ちゃんと違って地力がある分、引っ張りやすい相手だと思ってはいたけど。
「最初から優勝できると思ってたのか?」
「優勝とまでは思ってなかったけど、いいとこまでは行くと思ってたよ。去年一昨年と散々だったから、最後の遠足くらいはって思ってたし」
そうそう、コイツはゴールしたことがないんだった。
「海鳥ちゃんがいても、そう思えたのか?」
「確かにみどりは頼りないところがあるよ。でも、くじ引きなんだから凄い人ばかりが集まるなんてないと思ってたし、みどり一人くらいならフォローできるかなって思ってたの」
確かに、C組の仁志川班やお嬢達は、何かイカサマでもしたんじゃないかって思うような編成だからな。むしろ向こうの方が異常だ。
もちろん、オレだって面子が決まった時に期待しなかったワケじゃない。ただ、完璧な面子でもない限りは、実力での優勝なんてできないだろうと思っていただけだ。
「でもね、ちょっと甘かったかもしれない」
百合香の雰囲気がしぼむ。
「こんな風にならないようにしないといけないって思ってたことに、アッサリなっちゃったからね。やっぱり無理かもって思ったりもするんだ」
「やけに諦めがいいな」
真面目な優等生らしからぬ淡白ぶりだ。
「仕方ないよ。もし仮に落ちたのがわたしだったとしたら、絶対にその場でリタイアしてたと思うもの。そんなんでみどりを責められるハズがないし、この先も色々な罠があるかと思うと、やっぱり不安だから」
なるほど、百合香は自分がフォローする立場だと思ってたのに、フォローするどころか逆に足を引っ張るかもしれないと考えているワケか。
「けど、優勝する気はあるんだろ?」
「そりゃあ、出来るならしてみたいけど……」
その想いがある分だけ、ずっとマシだ。
少なくとも、オレにはそう思える。
「ならいいじゃん。とりあえず今は海鳥ちゃんのことだ。彼女と合流できたとして、それからどうするつもりだ?」
「どうするって……今までとあまり変わらないよ。みどりだって班の一員なんだから、他の三人がそうだからって強引に引っ張るのも違うと思うし、それに……」
言いよどんで地面を見詰め、しばらく考えてから改めて口を開く。
「あの子には、まだ見えてないんだと思う。遠足っていうものが」
「……どういう意味だ?」
「何て言うかな、わたしは特にそうなんだけど、明確な目標とか結論が見えてくると、力が入るタイプなの。今のみどりは、自分がどうして山道を歩いているのかさえ、わかっていないような気がする。だからそれが自分の中でハッキリとした意味を持って、ゴールっていう目標がしっかりと見えてくれば、自然に意識は変わると思うの」
「あー、うん、何となくわかった」
「特にみどりって、ふわふわしてるって言うか、ちょっとダラダラしてるところがあるけど、コレっていう目標が見えると突っ走っちゃうところがあると思うんだ」
「そうなのか?」
さすがにそんな風には見えなかった。
「遠足に対してそうなるかどうかはわからないけど、かなり夢中になりやすいタイプなのは間違いないと思うよ。だから、具体的にゴールが見えてきたり、優勝できるかもしれないって状況になったら、きっと頑張れる子だと思うの。だから、そこまで何とかフォローできればって、思ってたんだけどね」
そう言って浮かべる笑顔は、どこか淋しげだ。
あるいは海鳥ちゃんよりも、百合香の方が問題なんじゃないか。
オレは初めて、そんなことを思った。
「で、義高はどう思ってるんだ?」
ここまで発言はほとんどない。それどころか、オレ達の話を聞いていたのかどうかすら疑問に思うほど、義高は無表情のままだった。
「……僕は、安田さんに任せるよ」
ホント、どいつもこいつもらしくない。
コイツが他人に流されるような奴じゃないことくらい、オレにはわかっている。そういう発言が出てくるってことは、何か都合の悪い本音でもあるってことだ。
「海鳥ちゃんがリタイアしたいって言ったら、素直にリタイアすんのか?」
「そう言うなら、仕方ないかな」
「ウソ言うな。この中で一番ゴールすることをリアルに考えているのは、間違いなく義高だろーが」
「僕は別に、完歩がしたい訳じゃない。目の前にある問題を一つ一つ片付けていくことが、楽しいと感じているだけだ。完歩は、その結果に過ぎない」
「わかった……」
オレは質問を変えることにする。
「なら、海鳥ちゃんが何も自分の意見を口にしなかった時、お前はどうするんだ?」
「そんなの、おかしくないか?」
「仮定の話だ。いいから答えろって」
正面から見据え、返事を促す。
オレの聞きたいことが何なのか、コイツがわかっていないハズはない。ただ、良くも悪くも客観的にしか考えられない奴だから、必要のないところでまで自制しちまうんだ。
「……優勝は目指さない。完歩はする。それが本音だよ」
「つまるところ、その本音は海鳥ちゃんの意思一つで簡単に曲がるワケだ」
「あくまで前提の話だ。安田さんの意見が違えば、その時点で修正するさ。それはもちろん、杉浦や藤嶋さんの意見であっても変わらないよ」
「まぁ、そう難しく考えるなって」
そう、結論は出ている。
いや、出ていないことがわかったと言うべきか。
「まずはお姫様を探そうぜ。結論はそれからだ」
ここにいる全員が、海鳥ちゃんの意思を尊重しようとしている。
その思いを共有できたことは、何より収穫だった。
仲間と一緒にゴールを目指す、口に出すのは簡単なことだ。だけど、全員が同じゴールを目指すことは、そんなに簡単なことじゃない。オレにとって簡単なことが他人には難しくて、その他人にとって簡単なことがオレには難解なことも少なくない。
それでも同じゴールを目指すってことは、苦手な道が目の前に続いていたとしても、踏み出す覚悟が必要だと思う。
彼女にそれがあるだろうか。
いや、オレにそれがあるだろうか。
わからないが、とりあえず信じてみよう。
その道が、ゴールへと繋がる道となることを。
なんて、ホントにどいつもこいつもらしくねーな。
特にオレが。
何ということでしょう。
完児以外に陰口を言う人がいないなんて(笑)
まぁ、陰口ばかりの小説なんてゴメンですがね。