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第8話 暗い森 ‐藤嶋百合香‐

今回は百合香の百合香による百合香のためのエピソードです。


 わたしは暗いのが苦手だ。

 そして虫とか爬虫類とか両生類も苦手だ。

 更に言えば、幽霊とかお化けとか、そういった類の諸々も苦手だ。

 要するに、怖いものは全部苦手だ。

 だから、そういった諸々のヤツらがどこから出てくるのかわからない森の中なんて、好んで歩きたいとは思わない。

 わたしの遠足歴が二度のリタイアに終わっているのも、無関係ではないと思う。今年も、班編成が決まるまでは、正直言って及び腰だった。盛り上がる周囲を眺めながら、少し憂鬱な気分にすらなったものだ。

 でも、今から一週間前、ゴールデンウィークを明けて最初のロングホームルームで、わたしは気持ちを入れ替えた。

 何だかんだと頼りになる完児、要からの評判を聞いていた去年の準優勝者である二階堂くん、この二人がいるウチの班は間違いなく強いと思えた。

 そしてみどり、彼女の存在も大きい。

 彼女の前では、まだ醜態を見せていないのだ。

 無様なわたしを見せて、がっかりさせるワケにはいかない。

 だから、わたしは特訓を敢行した。

 生き物図鑑の爬虫類コーナーを開き、薬局のカエルを撫で、七不思議のスポットを昼休みに巡り、寝る時は電気を全部消した。

 七日間で六日泣いたけど、それでも諦めずに頑張った。

 そう、わたしはもう一週間前とは違う。

 陽光の届かない深い森に足を踏み入れたからって、取り乱すことはない。

「……おい、百合香」

「なななななななに?」

「お前な、怖いのはわからんでもないけど……」

「ちちちちっとも怖くなんくぁ!」

「いや、残像ができるほど震えてんのに、そんな主張されても説得力ねーから」

 完児も二階堂くんも、森に入ってから表情一つ変わっていない。

 わたしだけが何だか一人で怖がっているみたいだ。

「つーかさ、お前が怖がりだってのは知ってるけど、何がそんなに怖いんだ? 有名な白霧の森だって言うならまだしも、全然フツーの森じゃねーか」

「だって!」

 もー駄目、限界だ。

「その木の根元とかっ、湿ってるし陰も多いから、いかにもナメクジとか蛙がいそうでしょ。それとそっちの茂みっ、蛇とか蜥蜴とかげとか熊とか狼とか隠れてるに決まってるじゃない。あとあっちにぶら下がってる蔦もっ、絶対に誰かが自殺したに違いないよ!」

「いや、落ち着――」

「聞こえない聞こえなーい。あーあーあーあーあーあーあーあー、恨まないで憎まないで呪わないでーっ!」

「とにかく落ち着けって!」

 右の手首が包まれる。

 力強く、でも優しい心遣いが伝わってきた。ここに居るのはわたし一人じゃなくて、味方と呼べる相手が二人も居てくれることを、改めて実感する。

 まだ怖い。

 世界は暗く、あまりにも深く、わたしを狙っている。

 でも、少しだけ落ち着いた。

「……えと、ごめん」

「しっかりしてくれよ。もし今の百合香を海鳥ちゃんが見てたら、ぜってードン引きしてたぞ」

「あ、うん……」

 言葉は相変わらず憎たらしい。

 でも、右手首は温かかった。

「話には聞いていたけど、本当に怖がりなんだね」

 二階堂くんの表情は何というか、あまりにも曖昧なものだった。呆れているような困っているような同情されているような、感情を一つに絞りきれていないように映る。

 わたしがこんな顔をするとしたら、どんな時だろう。

 あぁ、バ完児がスカートめくりとかしているのを目撃した時とか、きっとこんな顔をしていたに違いない。

「……うわぁ」

 凹んだ。

「百合香、義高ならお前の醜態くらい知ってるんだから、今更落ち込むなよ」

「うるさいなっ」

 そもそも、半分はあんたのせいだ。

「とりあえず、この森の何が怖いの? 具体的な対象がハッキリすれば、対策のしようもあると思うんだけど」

「何って……まず幽霊とか、蛙とか蛇とか百足むかでとか……」

 指折り数えつつ、二階堂くんの質問に応じる。

「あー、無理無理」

 と、完児が強引に遮った。

「無理って何がよ?」

「怖い対象なんて数えるだけ無駄だっての。いくつあると思ってんだ」

「そんなことないよ。ちゃんと有限だもん!」

 宇宙にだって果てはある。それと一緒だ。

「だからー、ここは『怖いもの』じゃなくて『怖くないもの』を挙げた方が早いだろうがよ」

「怖くないもの?」

「人間、犬、猫、ホラ三つで終わったぞ」

 馬鹿にしてー。バ完児のくせに。

 ちなみに猫はちょっと苦手だけど、さすがに言えない。

「それだと対策の取りようがないって。とりあえず、今の状況の何が怖いのか、そのくらいはハッキリしないかな?」

「何が……」

 考えてみるけど、色々あり過ぎて明確な答えにならない。

 この雰囲気の中にわたしが居る、それ自体が怖かった。

「やっぱ、暗いことじゃね?」

 答えあぐねているわたしの代わりに、完児がさも当然という口ぶりで言い放つ。

 そんな単純なものじゃない、そう言おうと口を開きかけたものの、よくよく考えてみると外れてもいないような気がした。もしこの森がもっと明るければ、些細な暗がりや物陰など大して気にしていなかったように思う。

 実際、最初に通り抜けた林は明るかったから、怖いなんて一度も思わなかった。ちゃんと見えていれば、それだけでホッとできるのかもしれない。

「……間違ってない、かも」

 若干不本意ではなかったけど、認めざるを得ない事実に頷く。

「それは、何か原因があること? それとも、小さい頃から苦手?」

「えーと……」

「コイツの怖がりは生まれた時からだ。部屋の電気を消すだけで大騒ぎだったからな。小さい頃は、楽しくてワザと消したもんだ」

 左拳を腰で溜め、捻りを加えて完児の上顎を狙い打つ。

 確かな手応えを残して、馬鹿の笑顔が歪んで飛んだ。

「……いたた、いきなり何すんだよ、このヤロー!」

「え、何が?」

「あれだけ盛大にぶっ飛ばしといて、堂々ととぼけんなっ!」

「わたし、なにか、まちがったこと、したっ?」

「……いえ、何でもないっす」

 視線で黙らせる。

 わかればいいのよ、わかれば。

「じゃ、じゃあ幽霊とかは? 苦手になった記憶とかある?」

「幽霊……」

 そういえば、どうしてこんなに苦手になったんだろう。見えたなんてことは一度もないし、気付いたら怖くて怖くて仕方がなかったような気がする。

「それも生まれつきだろ。初めての肝試しなんて、コンニャクで大泣きしてたじゃねーか。あ、ちなみにアレ、オレの仕業だから」

 わたしは右腕をくの字に曲げたまま拳を固め、脚と背中を伸ばしつつ完児の下顎をかち上げた。見た目は地味だけど、全身の伸び上がる力を完璧に利用した無駄のない一撃だ。

 馬鹿は爽やかな笑顔のままバック宙で半回転してから、うつ伏せに落ちる。

「顎割れるわっ!」

 さすがに馬鹿だけあって復活は早い。普通の人間なら、脳震盪で数分は立てないところだ。

「無駄に丈夫ね」

「加害者の言う台詞かっ、それが!」

「かがいしゃ? だれが?」

「……いえ、何でもないっす」

 謝るくらいなら噛み付くな。

「あー……それじゃあ蛙とか蛇が苦手なのはどうかな?」

 何かしらの予感があるのか、今度の質問はダイレクトに完児へと向けられる。

「どうしてオレに聞くんだよ。言っとくけど、背中に入れたとか部屋に投げ入れたとか、そんなことしてねーぞ。そもそもだな、昔は一緒になって爆竹であそんどぅがはぁっ!」

 ゆうに三メートルは吹っ飛んだ完児は、背中から大木の幹に激突する。その衝撃で幹は揺れ、葉を鳴らし、鳥達が激しく鳴きながら飛び立っていった。

 わたしは右足と同時に突き出した右の拳を引っ込め、天を見上げる。体重と筋力が噛み合った見事な一撃に、身体が火照った。

 たくさんの枝葉に阻まれ、空は見えない。

 でも、わたしの心は奇妙なほど澄み渡っていた。

「……思い出した」

 そう、今ならハッキリと見える。

「あの馬鹿に無理矢理付き合わされて蛙が爆死してからよ、蛙とか蛇が怖くなったのは」

「うぉいっ! ドサクサに紛れてテキトーなウソを並べて……」

「てきとうな、うそ? どこが?」

「……いえ、何でもないっす」

 目を逸らすな、小心者。

「まぁ、大体の事情はわかったよ」

 二階堂くんは頷くと、こちらへ向き直る。

「つまり、こういうことだ。藤嶋さんが怖いと思っていることは全て杉浦が原因で、小さい頃のことだったから印象の奥底に刻まれているんだ」

「なるほどー」

「なるほどじゃねーよっ」

「ちがうとでも?」

「いえ、違いません。違わないから拳を固めるのはよそう。うん、それがいい」

 こちらが拍子抜けするようなヘタレっぷりだ。

 ウチのお父さんが見てたら居残り特訓決定だね。

「とりあえず、そういうことなら何とかなるよ」

「え?」

 思いもしなかった言葉に、思考が一瞬白く染まる。

 原因がわかったところで、怖いものに変わりはない。染み付いた感覚は、意識一つで変えられるほど簡単なものではないと思えた。

 ところが、二階堂くんの表情は晴れやかだ。

 この分厚い枝葉の向こうに見えるハズの青い空と同じくらいに。

「この際だから、怖いものは全部杉浦のせいにしたらいいよ。これから先、怖いなと思ったら杉浦が裏で糸を引いてると思うんだ。目の前に居たら即座に殴ればいいし、居なかったら次に会った時に殴ればいい」

「なるほどー」

「なるほどじゃねー!」

 そっかー。完児を殴れば怖くなくなるんだ。

 すっごく簡単だね。



 世界が明るく見える。

 ついさっきまで闇の底にでも突き落とされたように感じていた景色は、明確な輪郭を伴ってわたしの視界を形作っていた。すると今まで感じられなかった若葉の青い匂いや、葉っぱの擦れ合う囁き声が飛び込んでくる。

 何かが蠢いていた暗がりも、得体の知れない気配を隠していた茂みも、今は単なる背景の一つに過ぎない。

 わたしは目の前まで右の拳を持ち上げると、強く握ってからゆっくり開いた。

 もう震えはない。

「ありがとう、完児。もう大丈夫だよ」

「人を散々殴っておいて、大丈夫とか抜かすなっ!」

「何言ってんの。半分以上は避けてたじゃない」

「当たり前だっ。岩を砕いて木をなぎ倒すような一撃を何度も食らってたら、今頃死んどるわ!」

「大袈裟だなぁ、完児は」

 自然と笑顔がこぼれる。

 やっぱり、世界が明るく見えると心まで明るくなるのかもしれない。

「いや、全然大袈裟じゃないからねっ。本当に木が倒れてるんだからねっ。実際に明るくなってるんだからねっ」

「完児……」

 わたしは右手を差し出す。

「これからもヨロシクね」

「お断りだっ!」

 本当は、結構感謝してるんだよ。

 まぁ、自業自得だと思っていたりもするけどさ。

 でもこれで、もう怪しげな影なんて見えることは……。

 えっと、遠くで何かが動いたような。

 ううん、気のせいだよね。

 ホラ、もう一度見れば動くものなんて……。

「あ? 百合香、どうかしだばぁっ!」

「完児っ、何か、向こうで何か動いたよっ!」

「……いや、そういうことは正拳を突き出す前に言え」

「シッ、二人とも静かに。倒れた木の陰に隠れて」

 二階堂くんの指示が、どこか滑稽だった場の雰囲気を一変させる。わたしも完児も、まるで夢から覚めたかのように意識を取り戻す。

 遠足という現実に、わたし達は還った。

「どうしたんだ?」

 音量を落として、完児が聞く。

「誰か居る。多分、こっち側で仲間を探しているもう一組だ」

 そうだ。わたし達はみどりを探すために森へ入ったんだった。

 そして、もう一人同じように落ちたような跡が残されていたことを、わたし達は知っている。

「……向こうはこっちに気付いてないな」

 完児の推測は多分正しい。

 周囲に対して視線を配る様子は見られるけど、警戒しているような雰囲気じゃない。距離があるから声は聞こえないけど、何かを探しながら歩き回っている、という感じだ。

 とりあえずホッとする。

 影が見えた時はドキッとしたけど、相手が人間なら怖がることは何一つない。

「彼らを知ってる?」

 二階堂くんの質問に、私と完児は同時に頷いた。

 とはいえ、二階堂くんだって全く知らない筈はない。小学校中学校と、正味八年という時間を同じ校舎で過ごしてきたのだ。クラスは違っても見覚えくらいはある。

 もちろん、親しい相手ほど知らないのは言うまでもないけど。

「先頭を歩いてるのは河内だな。典型的なチンピラだ。弱い相手には強いけど、強い相手には逆らわない。オレはあまり好きじゃないね」

 まぁ、それってあんたと一緒だし。

「真ん中を歩いているのは広神さんね。親しくはないけど、陰口が多いって話は聞いたことあるよ。まぁ、委員会で話した印象だと別に普通の子だったけど」

 正直、合わないなと思ったことはある。

「えーと、後ろを歩いてる奴は……名前何だっけ?」

「白鳥君だ。去年、同じクラスだったよ」

「どんな奴だ?」

 という完児の質問に、二階堂くんは首を小さく横に振る。

「よく知らないな。印象としては、多数派に紛れるタイプだと思う」

「あー、確かに目立った印象はないな」

「地味というか、浮かない印象はあるね」

 わたしと完児の感想も、かなり似たり寄ったりというところからすると、白鳥くんという人物に対する分析は大きく外れてもいないのだろう。

 そうなると、実質的に班を動かしているのは河内くんか。

 あまり良くないかも。

「どうする? ちょっと遠いけど今の内に叩いとくか?」

 物騒な意見ではあったけど、わたしは完児の言葉に反対しなかった。もしも彼らが、わたし達よりも先にみどりを見付けてしまった場合、あまり良くない展開を迎えるような気がしたからだ。

 潰すとまでは言わないけど、わたし達がみどりを見付けるまで、どこかで大人しくしていてもらえるとありがたい。

「……いや、それは止めておこう」

 少し考えてから、二階堂くんは答える。

「だろうと思ったけど、海鳥ちゃんが危なくないか?」

 意外にも、完児はちゃんとわかっていた。

「この場でケリが付くなら、それも良いかもしれない。でも仮に逃げられた場合、彼らはむしろ躍起になって僕達の仲間を探そうとするだろう。こちらから仕掛ければ、先に見付けて欲しくないという事情も見え見えだしね」

 確かにそれも道理だ。

「少なくとも向こうに気付かれていないのなら、このままやり過ごした方がいいよ。そもそも、競合するのが彼らだけとも限らない。手間取って時間を無駄にすれば、次の班が来る可能性もあるしね」

「なるほどな。けど、どうやって探すんだ? 連中と同じようにウロウロと歩き回るのか?」

 わたしと完児の視線が二階堂くんの眉間に集中する。そこに刻まれた皺が、どういう訳かずいぶんと心強い。

「いや、まずは安田さんが落ちた場所に行ってみよう。一人で心細いだろうし、あまり動いていないかもしれない」

 まぁ、あの子が独りになった途端に強気の姿勢でウロウロするようには思えない。

 それに、確か方向音痴だったハズだ。

 目星を付けて歩くなんて無理だろうし、仮にそんなことをしても正解に行き着く可能性は低い。

「よし、決まりだな」

「そうね。早く合流しないと」

 完児が立ち上がるのを合図に、わたし達は行動を開始した。

 森に影はあり、茂みの奥を見通すことはできない。

 でも、心境の変化だろうか、それとも目が慣れてきたからだろうか。単なる暗い場所にしか思えなかった森が、たくさんの木漏れ日に溢れる優しい場所に見えた。

 これならば、もう怖くはない。

 今行くから待っててね、みどり。


当初の設定では、もう少し凛としたキャラだったハズなんですが、どこでどう間違ってしまったのでしょうか。

でも、元がハイクオリティなキャラが何でも先頭に立ってこなしたら、やっぱり個人的には興醒めです。

こういう感覚は人それぞれだと思いますけどね。

そんなワケで、藤嶋百合香は、これからもこんな感じです。

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