第24話 優勝に不幸 ‐仁志川則夫‐
最後のゲスト回です。
茂みを割って開けた視界に、二本の木刀が舞っている。二つの木刀が交差する一瞬を狙って切り上げた一太刀が、見事に伊東の手から木刀という名の牙を奪い去ったようだ。こちらから見て、あとタイミングが一瞬遅れていたら、逆に杉浦の枝が折られていただろう。
それくらいギリギリの勝負だったようだ。
あの伊東が驚きの表情を浮かべている。いつも飄々(ひょうひょう)とした優男があんな顔をするとは、露ほども思っていなかった。アイツも人間だったんだなと、当然のことを再認識する。
歓喜に沸く相手チームを見るこちらとしては、おそらく落胆か苦悶の表情を浮かべているべき局面なのだろう。だが俺を含め、どうやら騒ぎ立てるほど悔しがっている者はいないように見えた。まぁ、表情に出していないだけという可能性もあるが。
ちなみに俺個人は、実を言うと少しホッとしている。
「決まったか」
「うん、負けちゃったね」
真比留の表情に張りはないが、彼女もやはり安堵しているようだ。
「体調はいいのか?」
「あぁ、もど……出すもの出したらスッキリしたよ」
南条の問い掛けに笑顔で応じる。
さすがに本人を前に食べた料理を吐いたとは言えない。とはいえ、今まで料理らしい料理を食べさせて貰えなかった理由が今になってようやく氷解した。コイツが手料理を作るとか言い出したら、色々と警戒する必要がありそうだ。
「杉浦!」
大きな呼び掛けに反応して、呼ばれた本人ばかりか全員の視線が伊東に集中する。そんな中、大声の発進元である伊東は、突き立った木刀の内の長い方を引き抜くと、それを杉浦に向けて投げ渡した。
「わわっと!」
いきなりの手荒い贈り物を、慌てて受け取る杉浦。
「持っていけよ。増田と闘るなら、得物はあった方がいいだろ?」
「さんきゅ……って、何だこの木刀、えれー軽いな!」
「桐製の特別仕様だからな。そのくらいじゃないと、二刀流が鈍るんだよ。もっとも、一刀の時は軽すぎてブレる元になるから、むしろ使いづらい時もあるんだけどね。杉浦なら使いこなせるだろうし、転を使うなら軽い方が都合いいだろ?」
「お前みたいな上級者と一緒にすんな。まぁ、ありがたく預かっとくよ。けど、お前はいいのか?」
「小太刀一本あれば十分だよ。強敵はどちらも先行してるからね」
違いない。優勝候補二班を除けば、伊東に本気を出させる相手なんてまずいないだろう。
「そっか。悪ぃな」
笑顔を残し、A‐2の面々は慌しく走り去っていった。B‐7に遅れること30分、普通に歩いたとすれば絶望的な差になるだろう。だが間違いなく、何らかの足止めは食らっている筈だ。それが『遠足』であり、優勝の重みにも繋がっている。
「それにしても意外だね」
静かに見送る俺達の背後に立った金子先生が、ニヤニヤと何やら意味ありげな笑みを浮かべて立っていた。
「何がですか?」
「優勝候補のアンタ達が、まさか連敗するなんてさ」
「相手だってどちらも優勝候補です。別に不思議ってほどでもなかったでしょう」
「そう? 一つ目負けた時、やたらとショックを受けてたじゃない」
「それは……」
言いかけて、止める。
一つ目、すなわちB‐7との勝負は、こちらにとってあまりにも意外な展開だった。こちらがまともな種目を選択していたのに対し、向こうは全員が『ジャンケン』を選択していたからだ。実力で勝てるだけの力量を十分に持っていたのに、まともな勝負を避け、運で勝つことに徹底したのだ。
結果、こちらに有利な勝負はアッサリと放棄され、ジャンケンは全て負けた。偶然と言ってしまえばそれまでだけど、あまりの鮮やかな戦略に、唖然としてしまったというのが本音だった。もちろん、一度引き返したウチの班がいない間にチェックポイントへ到達していた彼らに、相談できるだけの時間的精神的な余裕があったからこそと言えるだろうが、それにしても完全に裏をかかれ、その潔さに呑まれてしまった。ジャンケンにことごとく全敗したのは、単なる偶然ではなかったように思う。
ただいずれにしても、それは言い訳に過ぎない。どんな形であれ、悔しかったことは事実だ。いや、悔しいというだけなら、今だって大して変わりはない。敗北を好む、あるいは純粋に楽しめるほど、俺は大人ではないのだから。
「……あのジャンケンって、誰が考えたのかな?」
素朴な疑問を、真比留が口にする。
「やはりお嬢じゃないのか?」
「いや、おそらく平岡だろう」
俺の見解を、南条がキッパリと否定した。彼女の言は基本的に疑うつもりはないが、だからこそその根拠が気になった。
「どうしてそう思う?」
「指示を徹底させていたのが彼だったからね。私の印象でも、あんな大胆な策に走る男だと思っていなかったんだけど、目算を誤ったのか、それとも遠足の最中に成長したのか……一応、後者かなと思ってはいるんだけどね」
なるほど、だとしたら俺の印象と食い違うのも理解できる。
「はいはいはい!」
パンパンと手を叩き、金子先生が俺達を黙らせた。
「分析なんて後にして、とにかくお茶にしないか?」
「そうは言いますけど、次の班が来るまでに対策を考えるくらいは――」
「だーかーらー、その相手がこないでしょーに」
「来ない?」
言われて、ようやく思い出す。
「忘れたの? 三区を突破した班がいた場合、こちらに連絡が入ることになっている。そして勝負が始まってから、未だに連絡は入っていない。すなわち――」
「相手はしばらく現れない」
「その通り!」
ニヤリと笑う先生に、俺達は苦笑するしかなかった。
勝負の場となった中心に折り畳みの椅子とテーブルを並べ、俺達は午後のティータイムを楽しむことにした。慌てたところで、もう一班来ないことには何も出来ない。となれば、リラックスしてのんびり待つのも立派な策だ。
どの道、優勝はもうない。狙うは完歩だけだから、急ぐ道理もなかった。
「それにしてもビックリしたよ。まさか伊東くんが剣術で負けるなんてね」
やや無遠慮にも思える真比留の言葉に、伊東は口元に笑みを浮かべる。負けたことを悔しく思っていない筈はないだろうが、本人の中でも納得の出来る勝負だったのだろう。少なくとも、その表情に後悔の色はない。
「驚くほどのことじゃないよ。アイツは天才だから」
「ずいぶん高く買っているんだな、杉浦のことを」
伊東は天才と呼ばれている。それはこの村では有名な話だし、本人が知らない筈もない。実際に当人がどう思っているのかに関しては不明な部分もあるが、それが世間一般の認識というものだ。
「小さい頃から、彼にだけは一度も満足な一撃を当てたことがない。こちらの動きは全て読まれているんじゃないかと、本気で思ったもんだよ」
「動きを読む、ねぇ。別れ際に言ってた『転』ってのが、そういうものなのか?」
まろばしという奥義だか技だかの名前は、どこかで聞いたことがある。ただ、それがいかなるものなのか、詳しくは知らなかった。
「いや、転というのは新陰流にある考え方の一つで、相手の動きに応じて動いた上で先制して勝つというモノだ。現代のわかりやすい例で言うと、ボクシングのカウンターが一番近いのかな。ただ転の場合、相手の力を利用して勝つという感じじゃなくて、先制した上で相手の戦力を奪うような浅い攻撃をして勝つことを基本としているから、少し違うね」
「なるほど、それで木刀を跳ね上げられた訳か」
相手を斬るためにではなく、最初から相手の戦力を奪うことが目的だったということか。
「新陰流って、柳生十兵衛とかの?」
さすがは有名人、剣術や剣道に興味のない真比留でも知っているか。
「そう、その新陰流だ。杉浦の一派は明治になってからこの村に越してきたらしいけど、新陰流の流れを色濃く織り込んでいると聞いたことがある」
「だから転が使える、ということか?」
「いや、そうじゃない」
南条の質問に、伊東が微笑みながら答える。
「転は奥義の根幹らしいけど、誰もが簡単に行き着けるワケじゃない。実際、同門の増田は転なんて使えないしね。むしろ杉浦が特殊なのさ。実際に戦って思ったけど、読まれているというよりも動かされている感じかな。アイツの構えたところにこちらが打ち合わせにいっているような、そんな気がしたよ」
それはもう、先読みというより予知に近い感覚のように思う。だが、そんな薄気味悪い感想を漏らす伊東の表情は、実に楽しそうに見えた。
「負けた割には、あまり悔しそうには見えないな」
「むしろ嬉しそうに見えるね」
女性陣も同様の感想を抱いたのだろう。南条と真比留の言葉には素直な感情が乗っている。それを非難と受け取ったのか、伊東は少しばかり困惑した表情で小さく頭を下げた。
「スマン。勝つつもりはもちろんあったんだが、それ以上に楽しんでしまった」
「別に構わないんじゃない? 誰もアンタの負けを責めちゃいないって。むしろそっちのラブラブカップルは、歓迎してるくらいじゃないの?」
そんな不適切発言を口にしながら、金子先生はニヤニヤしている。どうでも良いですけど、ラブラブカップルはやめて下さい。
「歓迎ってほどじゃないけど、内心でホッとしているのは事実だよ。俺と真比留は去年も優勝しているからね。南条と伊東には悪いかもしれないけど、優勝の可能性がなくなって、少なくとも俺は少しホッとしているんだ」
「ゴメンね、光」
俺の言葉をフォローするように、真比留が南条に手を合わせて謝る。だから、そういうことをするから夫婦とか言われるんだろうに。まぁ、俺はもちろん真比留も気にしていないようだから構わないんだけど。
「別に謝る必要はないさ。ただ、理由は聞いておきたいな。優勝には色々と特典があるばかりでなく、人生の成功すら約束されているというジンクスすら存在する。真偽はともかくとして、目指しておいて損はあるまい?」
「問題は『そこ』なんだよ」
そう、遠足の優勝には色々と逸話が付き纏う。特によく聞くのが、優勝者の成功例だ。基本的なジンクスとしては、遠足で優勝した者は一人の例外もなく人生において成功を掴んでいるとされていた。実際には毎年十二人の優勝者を出している訳で、その中にはパッとしない者も少なからず含まれていると思う。しかしそれでも成功者のジンクスが曇らずにいるのは、それだけ周囲に印象付けるだけのインパクトがあるからに他ならない。一つ例を挙げるなら、歴代の村長はほとんどが遠足の優勝者だ。現村長も例外ではない。
ただ、ジンクスというのは不思議なもので、落とし穴というものが往々にして含まれていたりする。
「そこってのは、どこなんだ?」
伊東が不思議そうに聞いてくる。彼自身が負けたということもあるだろうが、現状を嘆いている素振りは見られない。
「実はその優勝者のジンクスってヤツな、裏側にもう一つ隠れたジンクスがあるんだよ」
「裏?」
伊東は聞いたことがないらしい。もっとも、二回優勝する可能性がある人間なんて少数だから、知られていないのも無理はなかった。というより、俺もその辺りの話は偶然に聞かされたものだ。もし聞いていなかったなら、もっと悔しい気持ちを噛み締めていたことだろう。
「遠足で二度優勝したことのある人物というのは、歴代でも四人しかいないらしいんだが、少なくともその内三人は、あまり恵まれた人生を送っているとは言い難い」
「それはつまり、一度の優勝では成功するが、二度優勝すると不幸な人生になると、そういうことか?」
南条の的確な指摘に、俺は大きく頷いた。
もちろん、迷信と言ってしまえばそれまでのことだ。だが、三人が三人とも不幸な、少なくともそうとしか思えない状況に甘んじている事実は、とてつもなくインパクトの強い繋がりに思える。この噂を聞いて、優勝を目指さなくなった者も少なくないらしい。俺と真比留以外の優勝経験者六人が、いずれもスタート地点で『不参加組』に身を投じているのも、単なる偶然ではないだろう。
ちなみにその三人だが、一人目は事業失敗で自殺、二人目は大学に落ちて浪人したままニート、三人目はフラリと村を飛び出して旅に出たまま行方知れずという有様である。残る四人目、最後の一人の話は聞いていないが、その一人が成功しているという話も耳には入ってきていない。
「ただ、その三人はいずれも一年の時と三年の時に優勝している。つまり連覇じゃないんだ。最後の四人目がどうだったのか、少し気になるところではあるんだけど……」
「知ってるよ、四人目」
そんな発言に、場の視線が金子先生に集中する。
「ホントですか?」
気になって調べてみたから、その発言は驚きだった。
「だって同級生だったもの」
「そんな前から遠足ってやってたんですね」
おい真比留、その発言はマズくないか?
「よし沖田、お前には先生がかかっている結婚できない呪いをかけてやろう」
「嫌です!」
「冗談だ。連覇したのは、確か羽鳥さんといったな。あまり親しくはなかったんだが、二度の優勝、それも連覇ってことで、当時はかなりの注目を集めたもんさ。ちなみに女で、スラッとした感じの子だったな」
「それで、その羽鳥さんのその後は?」
気になるのはその部分だ。
「さぁ?」
役に立たない情報だった。
「結婚したらしいってことは聞いたけど、それ以降は知らないな。県外に出て行ったという話だから、相手の男と今でもそれなりの結婚生活をしているんじゃないのか?」
目立つほどの功績はないが、取り立てて不幸な情報が入ってきている訳でもないということか。平凡な結婚生活、今のところ俺が憧れるようなものではないが、それはそれで満足の出来る結果だとしても、否定する気はない。
あるいは、連覇をすることでジンクスから逃れられたのだろうか。
いや、どの道今の俺達にとってはどうでも良いことだ。
「ねぇねぇノリちゃん、もう一袋開けてもいい?」
「ノリちゃんはやめろ……というか、さすがに食べすぎじゃないのか? 太るぞ?」
「女の子に太るとか禁句だってば!」
楽しそうな真比留が、明るく笑っている。優勝という目標が消えてしまったとは思えないほど、今という状況は明るく、穏やかなものに思えた。
これで良かったのだろうか。
わからない。だけど、これもまた良いのかもしれない。
素直にそう思える自分が、少し滑稽だった。
次回から最終区に入ります。
ゴールまでもう少し、長い長い一日ももう少しです。