第23話 一騎討ちに転 ‐杉浦完児‐
色々あった(笑)四区も、ここがクライマックスです。
終盤の山、どうぞご堪能ください。
「ご……めんね……私、もう……戦えな……い」
声が途切れる。浅く何度も繰り返される呼吸が、場の雰囲気を緊迫させていく。彼女を支え、抱える手に力が入り、その拍子に奥歯がギリリと鈍い音を上げた。
彼女は負けた。
敗北したのだ、このオレに。
「沖田さん、そういう演技は結構傷付くんでやめてください」
「いいじゃない。杉浦君のイケズ」
伊東の腕にスッポリと納まっていた沖田さんが、ひょいと上半身を起こして抗議してくる。本来なら仁志川が抱き止めてやるべき局面なのだろうが、アイツは才女対決の直後から森に入ったっきり戻ってこない。
くそー、伊藤の立場がオレだったらなー。
筋肉質の百合香と違って、フワフワのポワポワな彼女の感触を堪能できたものを。
「ば・か・ん・じ!」
「いだだだだだだっ!」
不意に左耳を掴まれ、容赦なく引っ張られる。一体何が気に入らないのか、ヤツの声は怒りに満ちていた。大体何だよ。何の役にも立たずに敗れ去った負け犬のくせに、態度が大きいぞ。
「む?」
「いだだだっ、いてーって!」
百合香は心でも読んでいるのか、更に耳を強く引っ張る。
「悪かった。というか何が悪いのかよくわかんねーけど、とにかく謝るから耳を離せ!」
「もう変なこと考えちゃ駄目だからね」
「くそー……」
距離をとって耳を擦る。やっぱりコイツは化け物だ。絶対にオレの心を読みやがった。
「それにしても、予想よりアッサリと勝負がついちゃったね?」
義高の言い分はもっともだ。正直、百合香が敗れてオレが沖田さんと戦わなければならないという事実に気付いた時、肝を冷やしたのは間違いなくこちらだったハズだ。
「まぁ、沖田は同時に二つ以上のことをこなすことが苦手だからな。一つ一つは上手くとも、万能という訳ではないのさ。短時間での料理などというものは、そういった作業の典型だしな」
「なるほど」
南条の言い分に義高が納得顔で頷いている。
いや、そんな細かい分析とかいらないから。たたいてかぶってジャンケンポンに負けただけだからね。まぁ、あんなに弱いとはさすがに思っていなかったけど。
もしも海鳥ちゃんみたいに小テストの勝負とかだったりしたら、負けていたのは確実にこっちだっただろうから、まだまだ流れを失ったワケじゃないんだろう。やはり、あの時無理して百合香の料理を食べていなくて良かったぜ。
「さて、そろそろ最終決戦を始めるよ?」
カネちゃんが促し、伊東の目の色が変わる。向こうの大将は天才剣士だ。できるなら、そっち系での勝負は避けたい。
「さてと……」
「伊東くん、私の仇を取ってね!」
とほー、沖田さんに仇呼ばわりされた。とはいえ、仕方がないといえば仕方がない。今のオレと沖田さんは敵同士、お互いに求めながらも敵味方に分かれて争うだなんて、萌え……じゃなくて燃えるシチュエーションじゃねーか。
「杉浦」
「あん?」
先生の前に歩み出たオレの右隣から、こんな状況でもいつもの冷静さを全く失わない伊東の声が飛んでくる。一方のオレは内心のドキドキを悟られないよう気を付けながら、ぶっきらぼうに返すのがやっとだ。
「剣術で勝負できるといいな」
「お断りだっ」
「そうか。それは残念」
くそー、余裕かましやがって。
とはいえ、オレがコイツに勝っている部分て何だろう。勉強は無理だ。それ以外の知識でも、海鳥ちゃんがやってたネタ系でもなければ勝ち目はないだろう。格闘技は空手なら……いや、コイツは絶対に無手の技も習得している。空手だからって無条件に有利とは限らない。かといって、それ以外の運動でも確実に勝てるモノは少ないだろう。むしろ不利なモノならいくらでも思い付く気がする。
いずれにしろ、この一戦に班の命運が懸かっている。勝った方が生き残り、負けた方は脱落する。それは疑いようのない事実だろう。どんな形であれ、どんな勝負であれ、捨てたり投げたりするワケにはいかなかった。
さて、勝負の方法は何になることやら。
「最終決戦の勝負法は……じゃん」
カネちゃんは最後のくじを引き、それを広げる。
「剣術!」
くあっ、きやがった。
奥歯を噛み締めて視線を横へスライドさせると、伊東は嬉しそうに、心底嬉しそうに笑っていた。それは何というか、自信があるとか牽制しているとか、そういう感じじゃない。
まるで、心待ちにしていた恋人が現れたかのようにすら見えて、驚いてしまう。ただ不思議と、嫌な感じはしなかった。それどころか、気付けばオレも笑っていた。
何だコレ。自分でもちょっと気味が悪ぃぞ。
小枝を払い、強く握って何度か振る。
うん、重さはこんなもんだろ。木刀に比べて長さは劣るけど、スピードが落ちるよりはいい。
「杉浦良いのか? 木刀を使わなくて」
「うん、これでいい」
カネちゃんの確認に、迷いなく頷きを返す。
選択できる勝負に必要な道具は、全てこの場にそろっている。つまり、剣術勝負に必要な木刀も用意されていた。だがオレは、それを使わずに枯れ枝を選んだ。理由は幾つかあるが、相手が伊東だってことが何より大きい。
「じゃあ、二人とも向き合って」
小さい頃から、伊東は天才と呼ばれていた。伊東家も武門三家の一つだが、百合香やお嬢と違い、コイツは分家の人間であり、立場はオレと大して変わらない。小さい頃から道場に出入りしている門前の小僧でしかなかった。そんなコイツと初めて会ったのは、忘れもしない小一の夏、オヤジの出稽古に付き合わされて伊東家を訪れた時だった。
すでに高学年と打ち合っていたヤツを見て、オレは相当に驚いたことを今でも憶えている。
そしてあの頃からだ。自分の剣術に自信がなくなり、逃げるようになったのは。
小三になる頃、藤嶋流に放り込まれていなかったなら、そのまま格闘技そのものをやめていたかもしれない。藤嶋流は厳しかったし、だからこそそこから逃れるために剣術の稽古を言い訳に使った。嫌な逃げ道が互いにできあがったことで、結果的にどちらも続けるハメになったワケだ。
くそぅ、何だか騙されたような気がしてきた!
「それでは、始め!」
が、そんなオレの思惑などとはもちろん無関係に、カネちゃんが勝負開始を宣告する。オレ達は互いに一礼をして、同時に獲物を構えた。オレはオーソドックスな中段構え、一方の伊東は胸の前で斜めに構える独特の構えをする。
いつ見ても、コイツの雰囲気は嫌なものだ。
本来、伊東家の流派は攻撃的なスタイルだ。一撃必殺を信条とする返しの太刀を認めない流派と聞いている。そんな中でコイツは技を身につけ、同時に自分のスタイルを見つけ、しかも天才と称されているのだ。
まぁ、多少のやっかみや異端児を笑うような裏側の事情はあるのかもしれない。ただそれでも、認められていることだけは間違いなかった。
一方のウチは二の太刀三の太刀を計算に入れた、どちらかというと受身の剣術だ。真剣から竹刀になり、格闘技から競技へと変わることで台頭してきた流派だと言われている。実際、真剣勝負でまともに勝った記録がほとんどないと、オヤジは笑いながら話していたものだ。
だが、今は真剣ではないし、更に剣道とも違う。
ルールは一本勝負だが、その『一本』とは相手に負けを認めさせることを指す。面でも胴でも小手でもない。むろん、そんな一撃が綺麗に入ったら、その時点で決まりだとは思うが。
「……行くよ?」
律儀に宣言をして、伊東がジリッと間を詰める。
ヤベ、かなり緊張してきた。落ち着け、コイツは確かに強いが、それでも単純なスピードでは百合香に劣る。アイツの拳より遅ければ、対処は不可能じゃないハズだ。
とはいえ、剣術での試合は久しぶりだから、勘が戻るまでは無理をすることはできない。調子が戻るまでにやられたら……まぁその時は素直に謝って許してもらうことにしよう。沖田さんに不覚を取ったっていうなら袋も覚悟だが、相手が伊東なら、しかも剣術勝負なら、それほど強くは責められないだろう。
たぶん。
「あっ」
背後から響く百合香の声を合図にしたように、伊東が動く。実際にはコイツの動きを察知したからこその声だろうが、相変わらず規格外な女だ。
伊東らしい綺麗な太刀筋、しかしコイツらしくもない素直な袈裟切りだ。まるで弾いてくれと言っているかのように映る。だが、止めなければ何も始まらない。次があることを十分に警戒しつつ、オレは外側へと払い、同時に間を詰めた。
が、正面に伊東の姿はない。払った方向に、そのままヤツ自身が身体ごと移動していたのだ。逸れたハズの軌道を、自らが動くことによって修正し、即座に次の太刀へと結びつける。それはまるで、一つ目の太刀が未だに終わっていないようにすら見えるほど、滑らかで美しい曲線を描いて切り上げてきた。
オレはその横からの太刀を、更に踏み出すことによって避ける。一度目と違い、全身のバネを用いた渾身の切り上げだ。あれを不十分な体勢で受けていたら、少なくともバランスを崩すか、最悪得物を折られていたかもしれない。
まったく、緩急も自在かよ。昔の印象より遥かに強くなっている。
当然か。オレが剣術から離れている間も、コイツは打ち込んできたんだしな。オレも何だかんだと鍛錬は続けているが、コイツほど冴えのある太刀には到底届かない。
だが、強い弱いと勝敗は絶対じゃない。
「へぇ、やっぱりやるね、杉浦は」
構え直し、改めて間合いを計る伊東。
「けっ、そうやってニヤけていられるのも今の内だ」
対するオレは、強がるのがやっとだ。
「あぶなっ!」
百合香の声に呼応するように、オレは上半身を捻る。手元付近でわずかに軌道を逸らすことに成功したヤツの突きは、オレの二の腕を掠めるようにして背後に抜けた。
よし、今のはちょっと見え――
左足!
体勢が崩れたところに反撃しようとしたオレを想定していたように、後ろにあった左足を力強く踏み出して突きから薙ぎへと即座に移行する。もし突きの動作が見えていなければ、その後に余裕がなかったら、確実に弾き飛ばされていた一撃だろう。それを跳ね上げ、今度こそ懐へと飛び込んだ。
瞬間、ゾクリと背筋が凍る。
何かを予期し、フェイント一つで間を空ける。見えなかった何かを感じたのだ。どうやら、まだまだ安心して仕掛けられるほど調子が戻っていないらしい。スピード自体には慣れてきたし、予想していた通り百合香よりも少し遅いから、これならあるいは『使える』かもしれない。
ただ、何かある。まだ何か、コイツは隠している。
それが『見える』までは、うかつに飛び込めねーな。
「アレを簡単にかわすなんて、さすが」
「言ってろ」
伊東の表情にはまだ余裕がある。やっぱりだ。何かあることだけは間違いない。オレが百合香のような反射速度を持っていたら恐れる必要はないのかもしれないが、オレにあんな化け物染みた能力はない。
一つ一つを見極めて、イメージして、ビジョンを作るしかない。
「来た!」
百合香の声は相変わらず正確だ。アイツが何をもって相手の動きを判断しているのか、実際のところはよくわかっていないが、それが極めて正しいことだけは疑いようがない。一度聞いてみたことがあるけど、本人にも正確なところはわかっていないようだった。細かな筋肉の動きだったり、おぼろげながら見える雰囲気のようなものだったりと、時として違ったりするらしい。
ホント、どんな化け物だ。
そう思うと、肩の力が抜ける。
得物を手にしているかどうかという違いは確かにある。だが、アイツの拳は掛け値なく的確で、鋭く、恐ろしい。そしてそれを、オレはずっと受け続けてきたのだ。まぁ、半分くらい食らっていたような気もするが。
オレは伊東の攻勢を、一つ一つ丁寧に弾いた。退かず、動かず、視界を固定して軌道を刻み込む。コイツの太刀筋は鋭いが、同時にとても柔らかい。直線はほとんどなく、そのほぼ全てが曲線によって構成されている。だから、一見すると一つ一つの太刀には無駄があり、意味のない遊びがあるようにも感じられるのだが、そうじゃない。それらは全て、次の太刀、あるいはその次の太刀を想定しているからこそのものだ。だからコイツの太刀は、まるで一筆書きのように切れ目がなく、とても滑らかだ。
だが、綺麗だからこそ、その筋がよく見える。
オレの目は次第にヤツの筋を記憶し、そこに新しいビジョンを作る。すなわち、次の太刀を、太刀筋の行く末を、オレは見ることができた。
「行け!」
百合香に背中を押されるように、オレはいよいよ前に出る。太刀の流れは帯を描き、その軌道を明確な形で見せている。その鋭さと滑らかさは相変わらずだが、入り込む隙が皆無というワケでは決してない。
が、踏み出して会心の受け流しをした瞬間、異物が見えた気がした。綺麗な帯の中に突然リボンが割って入ったかのような――
「くっ!」
強引に軌道を修正して、ヤツの左手にいつの間にか握られていた小太刀、としか表現のしようのない木刀を弾き、左右に振ってからバックステップで後退する。
さすがに驚いて、オレは構えなおすと呼吸を整える。
「本当にやるね。これで決まったと思ったのに」
「二刀流かよ。ふざけたヤツだ」
おそらくは袖に隠していたんだろう。ヤツは二つの木刀を持ち上げ、改めて構えを取る。長い方は上に、短い方は下に、それぞれ腰と顔の前で斜めに固定されていた。
それにしても、まさか隠し二刀流などというファンタジックな相手と試合をすることになろうとは、思いもしなかった。とはいえ、コイツのことだ。単なるコケオドシじゃないだろう。自信がないものを使うほど、この男はバカじゃない。
「じゃあ、一気に決めるよ?」
「そいつはどうかな?」
口で強がるのがやっとだ。正直、一本だけでも凌ぐだけで精一杯だったのに、増えるなんて冗談じゃない。ただもちろん、後には退けないし退くつもりもない。踏ん張って、もう一度ビジョンを作るしかなかった。
頭の後ろに意識を集中し、視界を広く保つ。
準備が整うなり、二つの牙が襲ってきた。オレはそれを、慌しくいなす。今度は反撃の余裕などない。本来存在している攻勢の隙が、今度は全く見られないからだ。単に一つが二つになった、という感じじゃない。印象としては、一人が二人になったという状況に近いと思えた。
これはホントにマズい。完全にジリ貧だ。
そもそも、二刀流ってのは宮本武蔵が開祖とか言われているが、当の本人は両手を自在に操るための練習法として使っていたとかって話で、実戦でどの程度の戦果があるのはわかってない。もちろん、剣道少年だったオレも昔は遊びで二本の竹刀を振り回したことはあるし、両手が自在に使えれば優位に立てるだろうとは、頭ではわかる。
だが、こんなにも上手く使えるものなのか?
そこにはまさしく二人の人間がいるようで、大小二つの牙が互いを補うように襲ってくる。それぞれが別の意志を持ち、別の軌跡を辿って迫るものだから、実に読みづらい。二刀流なんて子供の遊びくらいに思ってたが、こんな風に使われると有効だってことを認めたくなる。
スゲーな。ホントにスゲーよ、コイツ。
ただ、感心してばかりでは前に進まない。二つの帯が見える今、オレも覚悟を決めないといけないだろう。多分、焦っているのはオレだけじゃない。コイツだって、いつまでも勝負が決まらないことに苛立っているハズだ。
オレは二本の太刀を素早く連続で払い、リスクを覚悟で大きく後ろに跳んだ。もしここでヤツが追ってきたらジ・エンドだったが、幸いなことに追ってはこない。向こうも警戒しているんだろう。慎重なのも、コイツのたくさんある長所の一つだ。
だが今回は、そのお陰で貴重な時間を確保できた。短く鋭く息を吐き、覚悟を固めて肩の力を抜く。構えを解き、かなりボロボロになった枯れ枝の先端が地面を指した。
唾を呑む音が背後から聞こえる。オレの覚悟を、百合香も感じ取ったに違いない。まったく、どこまでも鋭い女だ。
「無形の位とは、珍しいものを……」
「お前に言われたくねーよ」
そもそも、こいつはそんな高尚なものじゃない。自分を追い込み、背水の陣を敷くための、言うなれば布石であり伏線だ。これで退くようならもう終わり、潔く負けを認めるべき状況だと判断しよう。
「いざっ」
ずいぶんと古風な掛け声とともに、伊東が突きながら突進してくる。次いで小太刀が下から切り上がってきた。オレはそれを順番に払い、その流れを読む。帯は美しく舞い、踊り、時に跳ねる。その一つ一つの流れを止めるように、オレは自らの得物を配置していった。その帯は次第に長くなり、より未来の映像へと手を伸ばす。オレの配置は早くなり、その全てを的確にシャットアウトしていった。
見える。だが、それだけでは足りない。
もっと早く、もっと短く、もっと直線的に弾いていかないと。
そして帯は、まるで炎でも纏ったように大きく見えてくる。その姿は、単なる木刀じゃない。ヤツの意思を纏い、その思惑を写し取った姿、まさしく牙だった。
その行く末が、ヤツの戦術が、ハッキリと見える。
わかっていたことだ。いずれこちらの守りを打ち砕くために、二つの牙を合わせることは。
だがそれは、オレの望みでもある。
二つの帯が交差するポイントに一瞬早く到達したオレの得物は、完全に絡まる直前の帯を解き、その牙を奪う。
正中線に沿って真っ直ぐに切り上げたオレの頭上には、長さの違う二本の木刀が舞っていた。ここにきて初めて驚きの表情を浮かべた天才を見ながら、オレはニヤリと笑う。
この瞬間、歓喜が空に響いた。
あれ、今のオレ、スゲーカッコよくね?
そうか、前回と前々回のグダグダは伏線だったんだ!
すいません、きっぱりウソです。
とりあえず、決戦はこれで決着しました。次回はまったりゲスト回になります。