第22話 料理にワカメ ‐藤嶋百合香‐
直接対決二回目です。
おかしいなー、こんなハズじゃなかったんだけどなー(笑)
二連勝、しかもミスターパーフェクトと呼ばれる仁志川くんを退けて盛り上がったみどりの士気は、僅か数分で消沈した。
対戦相手である沖田真比留によって、ではない。
数学の小テストによって、である。
「うぅ、数学なんて酷いよ~」
「よしよし」
抱き止めた小さい背中を撫でてやる。
まぁ、相手の沖田さんは十点満点だったんだから、この班の誰が対戦していたところで負けていたでしょう。そういう点では、みどりの負けに対して誰一人落胆なんてしていない。
ただ、それでも彼女が泣くことは理解できる。
みどり、いくら何でも一点はないでしょ。それも、あてずっぽうで書いた数字が偶然当たっての一点とは、さすがに味方のわたしでもフォローがしにくい。まぁ、数学が苦手だっていうのは、普段の授業を見ていたらわかるけどね。
でもこれじゃあ、都会の子は授業中もニコ動を見ているとか思われそうだ。いや、わたしもそれなりにニコ動は見てるけどね。というか、レンきゅんは見てるけどね。
「ともかく、わたしが仇を討ってあげるから、顔を上げて」
「うん、お願い」
わたし達は手を打ち合わせ、バトンを譲り受けた。
「ではA組2班、副将前へ」
呼び掛けに応じ、すでに待っている沖田さんの正面へと歩み出る。武術において相手と対峙するのは慣れているけど、こういう形での対峙とは少し違う。心拍数は明らかに上昇し、呼吸が僅かに乱れている。間違いなく、わたしは緊張していた。
「これはまた、見応えのある才女対決だな」
仁志川くんに才女とか言われると、少し照れる。先程の小テストを例に挙げるまでもなく、沖田さんは文字通りの才女だ。スポーツ万能、成績優秀、音楽的な才覚や美術的な才能にも恵まれていると聞く。わたしは確かに格闘において強いと自負しているし、成績も上位をキープしているけど、言ってしまえばそれだけだ。何でも出来ると豪語してしまえるほど、才覚に恵まれてはいなかった。
そのほとんどが完児のせいだと判明したとはいえ、自覚している欠点や弱点も多い。皆が、少なくとも噂でしかわたしを知らない人達が思っているほど、わたしは強くも賢くもなかった。
でも、勝負には勝たなければならない。
相手がどれほどのマルチプレイヤーでも、それだけは確かだった。
「さてと、五戦目の種目は……」
抽選箱から取り出した紙を広げて、金子先生が読み上げる。
「料理対決!」
どよめきが、というより悲鳴が、双方の班から響き渡った。
「――というワケで、運命の悪戯か、はたまた悪魔の陰謀か、才女による才女のための才女らしからぬキッチンバトルが、いよいよ開始されることとなりました。実況は私、人呼んで『行き遅れのマドンナ』こと金子マリ、解説に『主婦に片足を突っ込んでいる転校生』こと安田海鳥さん、ゲスト解説として『素面のキッチンドランカー』こと南条光さんという三人で、この熱くも寒々しい一戦をバッサリ切り捨てていこうと思います。お二人とも、今日はヨロシクお願いします」
「お願いします」
「お願いします……というか、私って酔っているように見られているのか?」
何だろう、このノリは。
こんな山の上で、遠足の最中に、ジャージの上からエプロンを装着して料理をするというだけでも十分におかしな状況だというのに、その上異様な特設スタジオまで開設されてしまった。
そもそも、切り捨てるってどういう意味だ。
ふと右側、並んで存在しているもう一方の流し台へ目を向けると、沖田さんが唖然とした顔で虚空を見詰めていた。何が起こっているのか、まるでわかっていないという顔だ。いや、数秒前のわたしも、間違いなくあんな顔をしていたに違いない。
「それでは、まずはルールのおさらいから始めましょう。両者には制限時間十五分以内に『野菜炒め』を作っていただきます。素材の選択は一度きり、やり直しや追加はできません。調理器具と調味料に関しては各自の前に取り揃えてありますので、好きなように使用していただいて結構です。そして完成された料理は、そこに腰掛けている二人のイケニ……試食人達に食べていただくこととなっております」
待てコラ、今『生贄』って言おうとしただろ。
ちなみに試食人席には、ロープでグルグル巻きにされた完児と仁志川くんが座っている。二人共全てを諦めたかのような、まるで死刑執行を待つ囚人のような顔をしている。
全く、大袈裟なんだから。
たかだかわたし達の作った料理を食べるだけなのよ。むしろ美人の才女が作った手料理を食べられるなんて、光栄だと思いなさいよね。
「えー、本来は相手チームのメンバーに認められるとか、味比べをして点数を競ったりとか、そういうことで雌雄を決するべき局面ではありますが、料理人がアレなのでイケニエが味方チームの料理を完食した時点で勝利とします」
アレって何だ、アレって。
「それでは両者、冷蔵庫の前に立ってください。制限時間は一分、先程も説明した通り、材料の追加は出来ませんので慎重に選ぶことが必要になります。それぞれの冷蔵庫の中身に違いはありませんので、その部分はご安心ください」
さて、野菜炒めって何が必要なんだっけ?
というか、ウチの野菜炒めって、何が入っていただろうか。何となく緑色をしていた気はするけど、その材料が何なのかはわからない。あと何か、黒い物が入っていたような気もする。
「それではお二人共、準備はよろしいですか? レディ……ゴー!」
実況の合図と共に冷蔵庫の扉を開ける。呆然として意識がないように見えた沖田さんも、さすがに勝負を投げるつもりはないのか、真剣な眼差しで冷蔵庫を覗き込んでいた。
と、相手のことを気にしている場合じゃない。まずは自分のすべきことをちゃんとしなければ。
えーと、キャベツとネギとホウレンソウみたいなのも入ってたような、それと……そうだ、キクラゲだっ。
時間も時間だし、あまり材料は多過ぎない方がいいよね。
そう判断し、扉を閉める。
「両者、腹を決めたようです。早速、調理を開始していただきましょう」
時間は十五分、のんびりしていられるほどの余裕はない。わたしは早速蛇口を捻ると、野菜の一つ一つを洗い始めた。
「それでは下ごしらえの時間を利用しまして、解説のお二人と共に料理人の選んだ素材を見ていくことにしましょう。まずは沖田さんから……えーと、人参と玉ねぎとじゃがいも、それとごぼうですか」
「根菜ばかりですね」
「地味だな」
おい味方、地味とか言ってやるなよ、可哀想に。
「彩としては淋しい感じはしますね」
「ですが、バランスとしては特に悪くもないと思います。ゴボウが少し浮いている印象ですが、炒め物との相性は決して悪くありません」
さすがは転校生主婦、解説も堂に入ったものだ。
「さて一方の藤嶋さんですが……」
どうよ、完璧なラインナップでしょうが。派手にして美味、アクセントだって考えてあるんだから。
「レタスにニラに春菊、それと……」
あれ、キャベツとネギとホウレンソウじゃなくて?
で、でも、このキクラゲはポイント高いでしょーよ。
「生ワカメですね」
「見事にワカメだな」
「ワカメッ!?」
解説二人の発言に、わたしは悲鳴染みた声を上げた。
え、これキクラゲじゃなくてワカメだったの?
「これは珍しいですね。サラダならともかく、炒め物にワカメとは。ひょっとすると、藤嶋家の野菜炒めにはワカメが混入されているのでしょうか?」
「私が夕食を呼ばれた時のメニューに野菜炒めはありませんでしたが、その時の料理を見る限り標準的でしたよ」
まぁ、家でわたしが作ることはないし、というかお母さんに台所に立つことを禁止されているし。
「ひょっとして、キクラゲと間違ったんじゃないのか?」
さすが南条さん、鋭いことで。
「他の食材を見ると、そんな気がしますね。ユリちゃんはじゃがいもとさつまいもの区別もつかないらしいですから」
「それはずいぶん大雑把ですね」
「いや、大雑把というか、知らなすぎだろ」
くそー、言いたい放題だな。別にいいじゃない、どっちも芋には違いないんだから。
「素材のラインナップ的には、沖田さんが一歩リードという印象ですが、解説のお二方はどうお感じになられました?」
「炒め物としてのバランスを考えたら、確かに沖田さんの方が有利ですね。しかし根菜類は火の通りが悪いので、この先にリスクが待っている可能性もあります。特に時間が制限されていますから、葉物を揃えたユリちゃんの方が、完成させやすいかもしれませんね」
「なるほどー、南条さんはいかがですか?」
「これから次第だと思うが、個人的にはどちらにも肉が入っていないのがなー。肉と野菜の旨味が絡み合ってこその野菜炒めだと思うのだが」
『肉っ!?』
わたしと沖田さんは同時に振り返る。
だって、野菜炒めでしょ。野菜を炒めるから野菜炒めなんであって、肉が入ってたら野菜炒めとは呼べないんじゃないの?
多分、沖田さんも同じように思っているのだろう。顔を見ればわかる。
「確かに、どちらも肉類を一切使用していませんね。というか、とても不思議そうな顔でこちらを見ていますが」
「おそらく『野菜炒め』という名前から、野菜のみを炒めた料理と思い込んだのでしょう。そういう定義がされる場合もありますが、日本で一般的に野菜炒めと言えば、数種類の野菜と少量の肉、特に豚肉を用いて一緒に炒めた料理を指します。南条さんも言いましたが、やはり肉が入っていないと味にパンチが出ませんからね。大きく響きます」
「まぁ、出汁の効いていない味噌汁と一緒だな」
なんと!
肉を使って良かったなんて知らなかった。もっとも、今更材料の追加は出来ないし、それは沖田さんだって同じことだ。条件が悪化したワケじゃない。それに、足りないパンチは別の部分で補えば済む話じゃない。
そう腹を決め、千切った野菜達を中華鍋に放り込む。
すでに十分温まっていたことを主張するように、派手な音を響かせて葉っぱが跳ねる。勢い良く跳ねる。跳ねまくる。
「おっと、早くも下ごしらえを終えた藤嶋さんが、炒め調理に入ったようです。彼女は包丁すら使っていないように見受けられましたが?」
「弟君の話では、台所に立つことを禁止されているらしいですから、おそらく包丁を握るのが怖いのではないでしょうか」
「あるいは、握らせると危険だから禁止なのかもな」
南条さん、いちいち鋭いよ!
「いずれにしても、葉物を選択したのはラッキーでしたね。それとも、だからこそ葉物だったのでしょうか?」
「まぁ、ユリちゃんだったら根菜でも拳一つで粉々にするでしょうけど、葉物を手で千切るのは悪くありませんよ。煮物における乱切りもそうですが、味が絡みやすくなるという効果が期待できます」
「まさしく怪我の功名だな」
いやだなー、ワザとですよ、南条さん。
「さて一方の沖田さんですが、こちらも少し遅れて炒め調理に入ったようです。彼女はフライパンを使っているようですが……」
「山盛りですね」
「一度に全部入れたのか」
横目に見ると、フライパンの上に富士山が出来ていた。あおるどころか、触っただけで崩れそうな雰囲気だ。
「おっと、さすがに入れ過ぎたことに本人も気付いたのか、山の上の方から崩すようにしてボールに回収しています。それはそうと、ずいぶんゴロゴロした感じの切り方ですね?」
「煮物みたいですね。野菜炒めの場合、薄切りか千切りが基本ですが、さすがにゴロゴロされるのは難しいですね。この時間でしっかりと火が通るのか、少し不安でもあります」
「多分、沖田はカレーしか作ったことがないからだな。それより、皮を剥いていない方が気になるんだが……」
「そういえば、玉ねぎの薄皮は辛うじて取り除いてあるようですが、他の野菜はそのままですね。ゴボウなんて皮を剥いてアク抜きが常識と思っておりましたけど」
「いえ、ゴボウのアク抜きは必要ないというのが昨今の常識ですね。煮汁に色を付けないような高級な煮物でも作ろうというのなら話は別ですが、それ以外――キンピラとか今回のようなケースではアク抜きをする必要はありません」
さすがはみどり、言うことがすでに主婦だ。
「それと、見た目には少し劣りますが、皮には実よりも多くの栄養が含まれていますから、可能なら皮付きで調理をすべきという考え方もありますね。ただし――」
「じゃがいもは別だな」
みどりの発言を、南条さんが掠め取る。
「そうなんですか?」
「はい、時期にもよりますが、じゃがいもの芽と皮には同じ毒素が入ってまして、厚く剥くことが常識とされています。もっとも、緑色に変色した部分を避けるだけで良いので、皮自体が悪いというワケではないのです」
「まぁ、沖田がそんなことを考えて芽を取らなかったとも思えんが」
「となると……沖田さんの野菜炒めは、どうなんでしょうか?」
「新しいジャガイモなら良いのですが、この時期は旬ではありませんからね。もしかすると危険な一皿になっているかもしれません」
「一服盛られたな、仁志川」
仁志川くん可哀想に。完児は良かったね、わたしが担当で。
「いずれにしても、後は味付け次第というところでしょうか。ここまで来たら後戻りは出来ませんし、それぞれの味覚と試食人の生命力に期待することとしましょう」
相手は毒物、これは大きなアドバンテージだ。
しかし、ここで油断するワケにはいかない。特に素材のチョイスには失敗しているのだ。完璧な調理を見せて挽回しないとマズいだろう。
わたしは大きなミットに手を通し、中華鍋の無骨な取っ手を握る。
激しい『あおり』こそ炒め物の真髄、そう見切った。
空中を乱舞する素材の有様に、観客達からのどよめきが沸き上がる。高さも勢いも申し分ない。大きく回り、跳ねる度に、香ばしい匂いが立ち昇り、パチパチと爆ぜるような音が響いた。
わたしは確信する。
勝利は、すぐそこにあった。
「さぁ、いよいよ審判の時がやってまいりました」
手にした皿を、長机に載せる。その向こう側には、仏頂面のまま簀巻きにされている完児の姿があった。ここから先は、わたしに出来ることは何もない。全てはコイツの、完児の男気に懸かっている。
「それでは双方の料理が並ばれたところで、お二人から総評を伺ってみたいと思います。まずは沖田さんの作品から、出来上がりをご覧になっていかがですか?」
「見た目には思ったほど酷くはありませんね。ただ、やはり火の通りが甘いようです。それと、味付けも行き渡っていない印象ですね」
「交ぜる度に溢れてたからな。とにかく多過ぎだ」
これは完食をさせる勝負、量を見誤るということは、すなわち即座に敗北を意味する。その点、わたしの一品はとても少ない。自分でもびっくりするくらいに少ない。
「まぁ、量とか味がどうこう以前に、毒なのが問題だろうがな」
南条さんは味方にも容赦ないなー。
「さて一方の藤嶋さんですが、これは……」
「何と表現して良いものやら……」
「黒いな」
まぁ、否定はしない。
「黒いというか、完全に炭化しているようにも見えますが」
「まぁ、ある意味ユリちゃんらしいとも思いますけど」
「全部キクラゲみたいだぞ」
あ、なるほど、そう考えればコレって成功したみたいじゃない。
「さぁ完児、キクラゲの炒め物を召し上がれ」
「いらんわっ!」
「いいから食べなさい!」
完児が食べなければ勝負に勝てない。わたしは箸で黒い何かを摘み上げ、動けない完児の口元へと運んだ。ところがバ完児は、このわたしの貴重な『あ~ん』を、プイとそっぽを向いて拒絶する。
「やはりと言うか、拒絶されていますね」
「まぁ、無理もないでしょう」
「毒対消し炭か、私があちら側に座っていなかったことは幸運としか言いようがないな」
散々な言われようだ。
「しかしこうなると、勝負が決まりませんね」
「もはや料理対決というより、食べる方の気持ち次第という感じがしますね」
「つまり、愛だな」
それはマズい。
向こうの二人は有名な噂の二人、対してこちらは単なる幼馴染みでしかない。ましてこの馬鹿は、そういうことを言われるとムキになって否定するタイプだ。わたしだって、この馬鹿と恋仲だなんて御免被るところだけど、今は状況が状況だし、本音を言えばそんなに嫌だというワケでもない。
というか、わたしと釣り合っているように見えるなんて、その時点で光栄に思いなさいよ、あんたは。
「ほら完児、いい子だから『あ~ん』して」
「…………」
くそ、警戒して口すら開かない。長い付き合いだ。隙間から捻じ込んでやろうという思惑なんてバレバレなんだろう。
どうしたものかと眉根を寄せた瞬間、どよめきが起こる。
「た、食べましたー!」
え、マジで?
金子先生の声に驚いて横を見ると、仁志川くんが沖田さんの料理を頬張っていた。ゴリゴリとかガリガリとか、不穏な音が周囲に響き渡る。
「だ、大丈夫なのでしょうか?」
「あんまりたくさん食べるとさすがに危険なようにも思いますけど……あ、そうだ」
何かに気付いて、みどりは自分のリュックを探る。
「一応、胃薬なら持ってます」
「どうして遠足に胃薬を持ってきてる?」
南条さんの疑問は全くもって正しい。
いずれにしても、仁志川くんの安否はどうであれ、このままではわたし達の敗北は決定的だ。
「完児……」
背に腹は代えられない。
「このままじゃ負けちゃうよ。わたしの料理が不味いなら不味いで構わない。でも、ここは我慢して食べて。それとも、わたし達の絆があの二人より劣るなんて思われて、完児はいいの?」
「……いい」
今だっ!
僅かに出来た隙間に向けて、漆黒の槍を突撃させる。咄嗟に口を塞いだものの時すでに遅し、わたしの消し炭……もとい、愛情のこもった料理は彼の口へと入り込んでいた。
さぁ噛め、飲め、喜べ!
そんなわたしの願いを嘲笑うように、完児は天を仰ぎ、黒い何かを吐き出した。それは宙を泳ぎ、まるで羽ばたくようにして舞った後、大地にベチャリと下り立った。
こうしてわたしは、敗北したのである。
完児の『好き嫌い』のせいで。
何というか、農家の皆さんゴメンなさい。
次回、決着です。