表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/29

第19話 ピンチに煙 ‐杉浦完児‐

四区突入です。


 いよいよ四区に突入し、最後のチェックポイントへと向かって歩いていく。お嬢達は前にいるだろうし、姫の言葉を信じるなら仁志川達も四区に入っているハズだ。

 厄介な連中だから、あまり相手にはしたくなかったが。

 いや、やっと追いついてきたという事実を、今は喜ぶべきなんだろう。それに、優勝を目指すなら避けて通れるような相手じゃない。どうあっても、ぶつかるであろう相手だ。

 覚悟は決めておかなければならない。

 いや、そんなものはとうに出来ている。

 そう思っていた。

 海鳥ちゃんが、絡まった草に足を取られて転ぶまでは。

「いたたた……」

「大丈夫? みどり」

 差し伸べられた手を取り、恥ずかしそうに微笑みながら立ち上がる。ここは白霧の森ほど深い森じゃない。このコースで最も高い山の裾野にあたるため、ずっと登らなければならないのは体力的に少し辛いが、特別難所と思われるような地形とは思えなかった。

「えへへ、躓いちゃった。ゴメンゴメン」

「知らず知らずの内に疲れが溜まっているんだもの。仕方ないって」

 そう言い切る百合香の顔には、疲労どころか汗一つ見ることができない。鍛え方が違うというより、生き物として違う印象だ。

「完児、今失礼なこと考えたでしょ?」

「な、何をバカな!」

 コイツ、エスパーか。

 ますます人間離れしてきやがったな、百合香のヤツ。

 とはいえ、コイツが森の中でもビクビクしなくなったのは収穫だった。まぁ、あの白霧の森に比べれば、どんな森だろうと明るい楽園に見えることだろう。村から最も離れた場所だけに、道としては一番整備されていない印象だが、思ったより空が開けて見えるのは大きい。これなら、イザって時も安心だ。

「ほらほら、せっかく近い方の道を選んだんだから、言い争ってないで先に進もうよ」

 膝の草を払いつつ、海鳥ちゃんが割って入る。

 気付けば、彼女に背中を押されているような雰囲気すらあった。始まったばかりの、ただオロオロしている海鳥ちゃんの姿は、もうどこにも見ることはできない。頼りになる、とは言わないが、彼女のやる気がオレ達の足を速めていることは間違いなかった。

 だからこそ、この四区最初にして唯一の分かれ道で、迷うことなく右に進路をとったのだ。できる限り早く、誰よりも早く、ゴールを目指すために。

「仕方ない。みどりがこう言うんじゃ、追求はまたってことにしといてあげる」

「言ってろよ」

 内心助かったと溜め息を吐いて足を踏み出す。

「待った」

 と、場の雰囲気を壊すような鋭い声が、義高の口から漏れた。その声に高いレベルの緊張を察知して、オレ達は足を止める。特に意識はしていないつもりだが、その動きは申し合わせたみたいに揃っていた。いつの間にか、オレ達の呼吸は合わせることなくペースを整えつつあるのかもしれない。

 これは、チームとしても熟成が進んでるってことなんじゃないのか?

 が、そんな内心の笑みを否定するように、義高の神妙な、というか焦っているようにすら見える表情が視界に飛び込んでくる。いくらお気に入りの海鳥ちゃんが転んだからといっても、ここまでの反応は不自然だ。

「何だよ、義高。ツチノコでも見付けたのか?」

「だったら良かったんだけどね。これを見てよ」

 そう言いつつ、義高は膝を折って海鳥ちゃんの躓いた草に指を伸ばす。その先を草の中へと潜らせ、ついと持ち上げると、結び目が現れた。

「偶然?」

 という百合香の問いに、義高は首を横に振る。

「一つだけじゃないよ。そこかしこにある」

「マジかよっ」

 言われて周囲を見回すと、確かに緑色の結び目が幾つか見られた。しかも目立たないように、巧妙に隠した痕跡まで伺える。驚くというより、呆れるほど地味な仕事だ。ルートに罠を仕掛けること自体は特に驚くほどのことじゃないが、これを大人達がちまちま作っている光景というのは、おかしいというよりも痛々しい。

「スタート直後の罠は凄く派手だったけど、こっちは何というか、単なる嫌がらせって感じだね」

 見事に引っ掛かった海鳥ちゃんだが、大して気分を害してはいないのか、その表情には笑顔が見える。

 だが、対する義高の表情は、晴れなかった。

「残念だけど、これを作ったのは先生達じゃないよ」

「どういうことだ?」

 そうじゃなきゃ、一体誰がこんな面倒で地味な罠を作ったんだろうか。そんなオレの疑問に、義高は確信のこもった表情で口を開く。

「多分だけど、にし――」

 その言葉は、何かの破裂音に遮られた。

 真っ赤なしぶきが飛び散り、オレの顔をかすめた。一瞬血かと思ったが、その酸味溢れる匂いを感じて違うことを確信する。

「百合香!」

 その破裂音は、差し出された百合香の左手の平で起きていた。もしその手がなかったら、確実に海鳥ちゃんを直撃していたところだ。オレと同様、気配を感じていた様子はない。つまり、一瞬の反射神経でとっさに手を出したということになる。

 相変わらず、とんでもない女だ。

 ただ、その判断が正解だったのかどうかまではわからない。もし飛んできたのか刺さるような代物であったなら、むしろ仇になっていたところだ。この赤い物体が何なのかはわからないが、とりあえず狙われている以上は避けるに越したことはないだろう。

 が、左手をペロリと舐めた百合香は、水気を払いつつ真紅のグローブを取り出し、海鳥ちゃんの盾として立ち塞がる。

「おい、何ともねーのか?」

「大丈夫。ただのチリソースよ。そんなことより、ここは抑えるから三人は早く避難して」

「気を付けろよ。この分だと多分――」

 言いかけたところで、大木の陰から木刀を持った細面のニヤけた面が現れた。噂をすれば何とやらってところか。

「わかってる。けど、大丈夫だからっ」

 左の手の平と右の拳を打ち合わせて、力強く百合香は言い放つ。

 まぁ、ここで雌雄を決しようってワケじゃない。相手の足止めをして逃げるくらいなら、百合香の実力を考えれば簡単なことだろう。ただ、それも相手によりけりだ。

 目の前にいるニヤけた男――伊東いとうは天才と言われている。

 人の良い面をしている割に、えげつない攻撃を容赦なく繰り出してくる最低野郎だ。オレも昔は散々やられまくった。今戦っても、正直言って勝てる気はしない。

 天才は木刀をゆっくり持ち上げ、胸の前で斜めに構える。昔と同じ、独特の構えだ。

「二人とも、走るぞ!」

 不安がないというワケじゃないが、この場でオレが加勢したら義高や海鳥ちゃんの守りが手薄になる。ここは覚悟を決めて、逃げることに専念した方がいいだろう。

 チリソース爆弾の追撃を警戒して、手近にあった葉っぱ付きの枝を拾い上げる。オレ一人ならかわすこともできるが、義高や海鳥ちゃんには無理な話だろう。しかも、仁志川のパチンコは正確無比だ。その命中精度は、多分かんしゃく玉忍者の比じゃない。そもそも、さっきの一撃だって相当に遠くから飛ばしているハズだ。そうじゃなきゃ、気配で気付いていないハズがない。

 オレの発言に少し遅れて反応した義高が、ようやく現状の把握を終えたのか、未だに呆然とする海鳥ちゃんの左手首を握って走り出す。

 が、まだ錯乱しているのか、その先に道はなかった。

「おいおい、そっちは森だぞ。戻るならこっちだ」

「いや、そっちには待ち伏せがいる可能性が高い」

「何だと!」

 まさかと思いはしたものの、相手は優勝候補と名高い仁志川班だ。用心に越したことはない。オレはクルリと進路を九十度変更し、獣道から下草が生えまくっている森の中へと駆け出した。背後ではすでに天才と魔物が戦っているらしく、鋭い風切り音と鈍い打撲音が交錯している。警戒していたチリソース弾は飛んでこない。無駄弾を撃つ気がないのか、それともこちらの移動に合わせて向こうも移動しているのか、いずれにしても不気味な沈黙だった。

 と、不意に甲高い音が森に木霊する。

「指笛?」

 としか聞こえなかったオレが、前を走る背中に問う。さすがに手を繋いだまま全力疾走は難しいのか、それぞれが大きく手を振って息を弾ませていた。

「多分、合図だ」

「合図?」

 いつもは落ち着きのある義高の声も、さすがに乱れている。

「こちらの動きに合わせて作戦を変えたんだ。包囲してくるよ!」

「なるほど」

 用意周到ってワケだ。さすがは仁志川、相変わらずいけ好かない隙のなさだぜ。

 心の中で舌打ちをしながら、右斜め後ろに向かって枝を振るう。途端に微かな衝撃と共に赤い飛沫が飛び散り、その一つが頬に当たった。やはり狙いは海鳥ちゃんに間違いない。ただ、これだけ距離が空けば向こうも移動する必要が出てくるハズだ。あるいは、諦めてくれるかもしれない。

 気付けば、視界の端に百合香の走る姿も見える。アイツも移動を開始した以上、連中にも動きが出てくる頃だ。

 よし、このまま逃げ切る!

「この斜面を越えたら一安心だ。多分、深追いはしてこない」

 そんな義高の言葉に引っ張られるように、落ち葉の堆積した急な斜面を駆け上がる。ざっとみて二十メートルはある斜面だ。向こう側の景色は見えないし、連中も深追いのリスクを犯さないのなら、この斜面で止まるのは妥当な判断だろうと思う。とはいえ、この斜面が面倒なのはオレ達にとっても同じことだ。

 ただでさえ急斜面、その上積み重なった落ち葉に足を取られる。走りにくいことったらありゃしない。

「気を付けろ。まだところどころ湿ってるから滑りやすく――」

「わきゃあああぁあぁぁぁ!」

 言ってるそばから海鳥ちゃんが落ちていった。というか、タイミング良すぎだろ。ひょっとして、言わない方が良かったのか?

 義高、そんな恨みがましい目で見るな。気持ちはわかるがオレのせいじゃない。

 それより、問題はこっからどうするかってことだ。

 見捨てるという選択肢はないから助けに戻るとして、やはりオレが行くべきだろう。彼女が一人で登ってこられれば一番いいが、連中に追いつかれたら厄介だ。チリソースで視界を奪われたりしたら、捕まるのは目に見えている。

 そう結論付けて一歩を踏み出した瞬間、視界の右端から人影が走り出てきた。

「沖田さん!」

 予測しておかなければならない人物の登場に、オレは動揺していた。オレが女子の中で唯一『さん』付けで呼ぶ人物、それが沖田真比留おきたまひるさんだった。小学生の頃、密かに憧れていた女の子だ。いや、今でも話す時は緊張する。

 少し太い眉と小さな口が特徴という、控えめながら整った顔立ちをしている。お嬢や百合香のような派手さはないが、サラサラのセミロングが象徴するような清楚な雰囲気は、隠れたファンも少なくない。ただ、中学に入ってから仁志川と付き合っているのではないかという噂がまことしやかに流れ始め、本人も特に否定しなかったことから、オレの想いは告げることなく終わりを迎えていたりするのだ。

 彼女は、もうすでに過去の人のハズ、そう思っていた。

 だが、こうして敵として現れると、ちょっと複雑な気持ちが湧いてくる。

「あ、やっぱり杉浦君達だったんだー」

 やべ、こっちを向かせちまった。

 斜面の下には、まだ海鳥ちゃんが寝転がっている。ここで彼女に駆け寄り、沖田さんとことを構えるような形になるのは避けたかった。

 そんなオレの意思を読んだのか、それとも本能的に見付かることを察知したのか、海鳥ちゃんはゴロゴロと転がって茂みの下に潜りこむ。こちらからは見えるが、沖田さんには見えないハズだ。多分、仁志川が駆けつけてきても見えないだろう。

 よし、海鳥ちゃんにしてはいい判断だ。

 とはいえ、これで余計に動きにくくなった。

 すでに斜面をほとんど登っているオレと義高には、全体がよく見える。少し離れた所で相変わらずの攻防を繰り返している百合香の様子も、手に取るようだ。

 そしてだからこそ、焦ってしまう。

 海鳥ちゃんの姿が見えていないとわかっていても、安心することなどできるハズもなかった。

 さて、ホントにどうするべきか。

 こんな時こそ頼りになる義高だが、コイツの口から言葉は聞こえてこない。何も考えていないということはないと思うが、感情的な部分も含めて結論を出せずにいるんだろう。かといって、天才とやりあっている百合香に助けを期待するワケにもいかない。むしろ、あのまま一人で一番厄介な奴を請け負ってくれることが何よりの貢献だ。木刀とはいえ、アイツと素手で渡り合える百合香という女は、改めて化け物だと思う。

 やはり、ここはオレが動くしかないか。

 そう思いつつゆっくりと足を踏み出しかけたところで、意識が高速の物体を捉える。考えるよりも早くに右手は動き、切り上げるようにして赤い飛沫を飛び散らせた。相手の確認などする必要もない。

 オレの憧れを奪い去った張本人、仁志川だ。

 奴の姿は、木々の間にあった。正面よりやや左、森の切れ目と言える場所に陣取っている。その更に左で天才と魔物の攻防が続いているが、そこに手を出すつもりはないらしい。相変わらず冷静かつ可愛げのない奴だ。

 ともかく、ほぼ正面に仁志川、左に伊東、右に沖田さんが現れた形になる。斜面を登っているから余裕もあるが、そうでない場合――つまり海鳥ちゃんのいる位置では、完全に三方を囲まれたような格好になっている。彼女を助けに行くということは、すなわち敵の真ん中に突っ込んでいくようなものだ。伊東こそ動けないものの、一人で仁志川と沖田さんをしのぎ、海鳥ちゃんを救出するというのは、決して簡単な話ではない。

 ここはむしろ、連中が諦めて引いてくれることを期待した方が得策なのか?

 オレは踏み出しかけていた足を戻す。

 隣にいる義高は、相変わらず何も言わない。眼下に見える海鳥ちゃんは、息を潜めたまま動かない。この状況でオレ一人が慌てて動いたところで、事態の打開は難しい。少なくとも、それぞれの連携は必要になるだろう。

 やはり、待つが正解か。

「あれ、膠着してるね」

 パチンコから次弾をいつでも放てる体勢で待機する仁志川の背後から、とうとう四人目が姿を現す。この局面において、緊張感の欠片も見られない、ひょうひょうとした女だ。

 後ろで適当にまとめた二本のお下げ髪、野暮ったい印象の半眼とソバカスが、見た目の特徴だろう。男子の目から見て、女子としては魅力に欠ける。しかし、ある条件を満たした時、コイツは他の誰よりも、性別すら超えて慕われ、人気を博すことになる。かくいうオレも、群がった内の一人だ。

 そして付いたあだ名が『山師やまし南条なんじょう』である。

 コイツの勘はよく当たる。

 いや、よく当たるなんてレベルじゃない。外したことすらないように思う。それこそ、超能力なんじゃないかと本気で思っている連中がいるほどだ。

 それほどに当たる。

 だから、コイツのいるクラスだけテストの平均点が高いというのは、もはや当然のこととして語られていた。

 そして、そんな奴が仁志川班のブレインとして存在しているのだ。こんなに恐ろしい話はあるまい。

「南条、一人が見当たらないんだが」

 体勢を変えないままに、仁志川が背後に問いかける。

「どっかに隠れてるんじゃない?」

 アッサリ見破られた!

「やっぱりそうか。どこに隠れているか、見当が付くか?」

「うーん……」

 口元に手を当ててキッカリ十秒経ってから、右手の人差し指を突き出す。

「あの辺かな」

 当たってやがるっ。ホントに何者なんだよ、あの女は。

「よし」

 仁志川は表情を引き締め、もう一段パチンコのゴムを引き絞る。

 マズい。明らかに海鳥ちゃんのいる茂みを狙ってやがる。いきなり命中ってことはありえないが、驚いて怯えた彼女が飛び出してくる可能性は低くなかった。

 くそ、ここからじゃ今から下りても間に合わない。

 だが、とにかく行くしかない。

 そんな決意を嘲笑うように、真っ赤な弾が解き放たれる。唖然としながら見ている前で、真っ赤な塊は茂みを直撃し、ガサガサと鳴りながら飛沫を撒き散らす。海鳥ちゃんは動かないが、その怯えは震えとなり、茂み全体を揺らすんじゃないかと錯覚させた。

 マズい。

 ホントにマズいっ。

 焦って一歩を踏み出した、その瞬間だった。

 ボンボンボンと、立て続けに三つの小さな爆発音が響き、その中心から灰色の煙が急速に広がっていく。何がなんだかわからない内に、周囲の景色が覆われていった。

「な、何だ、こりゃ!」

 オレの叫びに答える声は一つもない。

 ただ、誰一人動くことのできない激変の中に、一つの影が飛びこんでいった。

 それは何というか、犬だった。


今まで名前と評判だけの優勝候補を、ようやく登場させることができました。

少し肩の荷が下りたような印象です。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ