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第1話 長い今日の始まり -安田海鳥-

長編開始です。

週に一度の更新はそのままに、半年くらいの予定です。ペースは遅れますが、短編も続けますので、そちらもヨロシクと申し上げておきます。

では、のんびりとお付き合いくださいませ。

 号砲が、彼方まで透き通った青い空を突き抜ける。

 スタートラインに並んだ青ジャージの集団が、それぞれに掛け声を張り上げて走り出した。

 私は空を見上げ、それからもう一度遠ざかりつつあるたくさんの背中を眺めて、腕を組んだ。

 あれ、今日って遠足だよね。マラソンじゃないよね。

 それなのに、どうしてあの人達はスタートするなり走っているんだろう。

 いや、それだけじゃない。

 少しばかり首を巡らせて背後へと目を向ければ、幾つもの集団が走るどころか歩き始めもせずにお茶やお菓子を広げ、すっかりくつろぎムードで談笑していたりする。

 このフリーダムなイベントは、一体何なのだろう。

「みーどりっ! わたし達もそろそろ出発するよー……って、何を難しそうな顔してるの?」

「あ、ユリちゃん、えっと、何でもないよ。私達も走るの?」

 正直、マラソンとかしたくないんだけど。

「あんなの区間賞狙いの連中だけだって。それとも、みどりは走りたい?」

「いや、走るの苦手だし」

 向こうでは標準だと思ってたんだけど、母の田舎であるこっちに引っ越してきてからは、体力に自信が無くなってしまった。というか、おかしいのは私じゃなくてこっちの中学生だと辛うじて今でも信じている。

 ちなみに、クラスでは五本の指に入るくらいに鈍足ランナーだ。ほんの一ヶ月くらい前までは、体育って好きな教科だったんだけどなー。

「ていうか、区間賞っ何?」

「何って、チェックポイントクリアまでの時間が一番短いチームに与えられる賞のことだけど……あ、そーか。みどりはこっちに転校してきたばかりだもんね。細かいルールは知らないか」

「あのさ、一つ聞いてもいいかな?」

「いいけど」

「これって、遠足だよね?」

 私の大真面目な質問に、ユリちゃんは吹き出した。

「いきなり何言ってるの? これが遠足じゃなかったら何だって言うのよー、みどり」

「そ、そうだよねー。遠足ってこんな感じだったよねー。一年ぶりくらいだから忘れてたよー」

 自分でもわかるくらいに笑顔が引きつっている。

 おかしい。何かが決定的におかしい。こっちに引っ越してきてから少なからず習慣の違いというか、常識の違いというか、世界の違いみたいなものに戸惑う日々が続いていたけど、今日のイベントは段違いの奇妙っぷりだ。

 ひょっとして、私はどこかで時空のひずみとかをうっかり跨いでいたんじゃないのだろうか。

「おーい、そろそろスタートするぞー?」

 温度差の激しい笑いが交錯する現場に、二人の男子が入ってきた。これで班のメンバーが揃ったことになる。てっきり弁当でも食べるための班分けとか思ってたんだけど、完全にくじ引きで決めたり、その結果にあれだけクラス中が一喜一憂していたりしていた光景を思い浮かべると、あの時点から少しおかしかった。

ユリちゃんとは仲が良かったから、それだけでまぁいいやとか思っていた当時の自分を叱りつけてやりたい気分だ。

「おりょ、海鳥みどりちゃんの表情が渋いなー。百合香ゆりかが早くもいじめたのか?」

「そんなワケあるかっ! というか、早くもって何だ」

「お前、昔からいじめっ子じゃねーか」

 スカンと小気味良い音を立てて、杉浦すぎうら君の額にユリちゃんのチョップが炸裂する。傍で見ていても、避けるとか受けるとか、そういうことができる余裕なんて全くなかった。

「いつつ……いじめ、カッコ悪いぞ!」

「これはツッコミって言うの。そんなことより、さすがにそろそろ出発しないと出遅れるよ」

「スタートする前からダメージとか、先が思いやられるぜ」

 ぶつぶつ言いながらも、歩き始めるユリちゃんを追うように杉浦君も歩き始める。二人は家が近所の幼馴染みとか聞いてたけど、いつも仲が良さそうなんだよね。本人達は否定しているんだけど。

 微笑ましい二人にちょっと楽しくなりながら足を踏み出したところへ、杉浦君の背後にいた二階堂にかいどう君が並んでくる。

安田やすださん、体調とか大丈夫?」

「え、うん、平気だよ」

 状況がかなり不安ではあるけど。

「まぁ、基本的な目標は『完歩』だからね。のんびり行こう」

 茶目っ気のある杉浦君とは対照的に、二階堂君は穏やかな人だ。

 けど、不安は消えない。

 そもそも、言ってる意味がわからない。

「ねぇ二階堂君」

「なに?」

 教室で見かける時と何一つ変わらない雰囲気が、余計に私を戸惑わせる。この常識外れに思える現状にあって、おかしいと感じているのは私だけなのではないか。もしかしたら受験を控えた中学三年生にとっては、当然のように乗り越えていくべき試練なのではあるまいか。そんな風にすら思えてくる。

 じゃあ、今まで私の体験してきた歩くだけの遠足って何?

 まさか、この時のための予行練習だったとでも言うの?

 駄目だ。このまま考えてみたところでまともな答えに行き着くような気がしない。

「あのさ……『かんぽ 』って何?」

 僅かの間凍り付いた表情で内なる世界を彷徨さまよってから、周囲に広がるカオス空間を片付けるべく、勇気を出して聞いてみることにする。聞くは一時の恥って言うし、相手が二階堂君なら笑ったりしないよね。

「完歩っていうのは、マラソンで言う完走と同じだよ。最後まで歩いてゴールすること、それが完歩」

「最後まで、歩く……」

 意味はわかった。けど、むしろ私は混乱していた。普通の遠足って、皆が最後まで歩くものじゃないのだろうか。もちろん怪我なんかのアクシデントでっていうのは理解できなくもないけど、わざわざ目標に掲げるようなことでもないような気がする。それとも、そんなにハードなコースだったりするの?

 まぁ、スタートからいきなり走り出してた人達もいたから、途中でバテてリタイアってこともあるのかもしれない。

「あれ、だとするとスタートからいきなり走ってた人達って、最後まで歩かないってこと?」

「全部が全部って訳じゃないけど、そういう班もあるね」

 最初のチェックポイントだかまで走った後はリタイアって、マラソンだと折り返し地点まで走って途中棄権みたいなものじゃないの?

 そういうの、遠足としてはどうなんだろう。というか、見晴らしの良い場所でお弁当を広げたり、自由時間におやつを食べながら遊んだりっていうのが、遠足の醍醐味だったんじゃないのだろうか。

「というか、スタート直後からお弁当とか広げてる班とか、ひょっとして歩く気もないの?」

「完歩狙いで遅れてスタートする班もあるとは思うけど、大半はここから動かないだろうね」

 動かないって、全体の三分の一くらいはいるんですけど、それってもう遠足でも何でもないような気がする。

「何というか、すごく自由なんだね」

「まぁ、遠足って昔からこういうものだから」

「昔から……」

 田舎スゲー。

「それに、とりあえずスタートで慌てないのは賢明な判断だと思うよ。第一チェックポイントまでの担当は浦柄うらがら先生だしね」

「浦柄って、体育の?」

「そう、あの先生は去年もそうだったんだけど……」

 二階堂君の説明が途切れる。

 いや、途切れたんじゃない。激しい爆音と地鳴りにかき消されただけだ。

 立ち止まり、咄嗟とっさに顔を振り向かせると、その視界には巻き上げられた土と一緒に、幾つかの青いジャージが飛んでいた。正直、驚くとか以前に夢だと思った。

「ホラね」

 肩をすくめて、少し前方で立ち止まった二階堂君が、驚きもせずに親指で指し示している。

「あの先生は力技が多いんだ。だから無理して先頭を行くより、罠が一通り発動してからの方が賢明だってことさ」

「あ、あああああの」

 私の頬は盛大に引きつっているだろう。無理もない。

「だだだ、大丈夫なの?」

「ん? あぁ、心配いらないよ。見た目には派手だけど、大した爆発じゃないから。怪我って言っても、せいぜい打撲くらいだろうし」

 大丈夫じゃない。ちっとも大丈夫に見えないよ。少なくとも私があんなのに巻き込まれたら、絶対に無事でいられる自信がないよ。

 恐ろしい。田舎の遠足って恐ろしいよっ。



 死屍累々(ししるいるい)なんて四字熟語を日本にいながら使うなんて、思ってもみなかった。でも、そうとしか言えないような状況が周囲には広がっていて、所々で悲鳴と怒号が交差している。

 ここは何処?

 え、戦場ですか。何と何が戦っているんですか。

 駄目だ。混乱しすぎて自分が歩いていることさえ現実離れして思える。うっかりすると幽体離脱とかしそうな勢いだ。

 このままではいけない。絶対にドツボだ。

「あのっ!」

 見た目的には穏やかな山道が、緩やかながら次第に登り始めた頃になって、私はようやく声を張り上げた。気付けばスタート地点の開けた草原の面影はなくなっており、木々がまばらに生えている林のような感じの風景になっている。

 そこに心臓マッサージをしている青ジャージの集団さえなかったら、心地良くハイキング気分でいられた局面だろう。

「みどり、どうかした?」

「野糞ならあの辺の茂みでぶぎゃああっ!」

 何やら奇妙な発言をしかけた杉浦君がユリちゃんの裏拳で弾き飛ばされる。突っ込むにしても、さすがに今のは痛そうだ。

「何か気になることでも?」

 二階堂君の声は相変わらず穏やかで、不思議とホッとする。そのせいかもしれない。私の内側でごちゃごちゃと絡まっていた迷いの端が、そこだけほぐれて言葉になった。

「え、遠足のことを教えてっ」

 正直な、私的には極めて素直な発言だった。

 でも、どうしてだろう。場が固まった。

「……深いテーマね」

 ユリちゃんが顎に手を当てて俯く。

「遠足とは何か、簡単なようで説明するとなると難しいな」

 こちらは腕を組んで首を捻る二階堂君。

「え、そんなの夢とロマンと冒険心でいいんじゃないのか?」

 茂みから復活した杉浦君が、ワケのわからないキャッチフレーズを口にする。

「どこかの少年漫画みたいなテーマはやめてくれない?」

「じゃあ何だよ?」

「もっと現実的でしょ。試練と絆、みたいな感じじゃない?」

「どこのラブストーリーだ、それは。義高よしたかはどう思う?」

「難しいな。強いて言えば総合力テスト?」

「やめてくれ。テストと聞くとやる気が失せる」

「あ、それは同感」

 大きく頷くユリちゃんが、果てしなく遠くの人に思えてしまうのは何故なんだろう。三人の会話を聞いても、共感できるどころか余計にワケがわからなくなっていく。

つまり、遠足って何なの?

 目的地まで歩いていくことじゃないの?

 家に帰るまでが遠足だー、とかって話じゃないの?

 駄目だ。余計にわからなくなってきた。

「えっと……そういう遠足とは何ぞや、みたいな話じゃなくてね。もっとこう、具体的な話を聞きたいかなーなんて」

「具体的?」

 杉浦君が眉根を寄せる。何というか、バナナの皮の剥き方でも聞かれたかのような顔だ。

「つまり、この遠足の基本的な概要ってことかな?」

「まぁ、そんな感じ、かな?」

 難しい二階堂君の言い方に少し戸惑ったけど、多分間違ってない。

「ひょっとして、みどりは『遠足のしおり』を読んでないの?」

「え、まぁ……」

 ユリちゃんの視線が少し険しい。

「あ、オレも読んでないぞ」

完児かんじはいつものことでしょ。それに、あんたと違ってみどりはこっちの中学で初めての遠足なんだから、コースくらいは頭に入れておかないとマズいでしょうが」

 しおりって、そんなに重要アイテム?

「まだ序盤だし、今の内にわかって良かったじゃないか。わからないってことがわかるのも、必要なことだよ」

 さすが二階堂君、ナイスフォロー。

「それで、何がわからないのかな?」

「えーと……」

 何がと言われても、何が何やらわからないんだけど。

「コース? それともルールの方かな?」

「……じゃあルールの方で」

 両方と言いたかったけど、さすがに怒られそうだったから片方に絞っておく。コースの方は後でコッソリしおりで確認しておくことにしよう。

「じゃあ、歩きながらザッと説明するよ。前の学校の遠足とどこが違うのかはわからないから、一通り説明するけど構わない?」

「うん、お願い」

 私の頷きを全員が確認して、止まっていた歩みが再開される。前を歩く二人の背中を追いかけるようにして、私と二階堂君は並ぶことになった。

「遠足のルールを簡潔に説明すると、出来るだけ早く班のメンバー全員がゴールすること、ということになるかな」

 話を聞く限りではシンプルだ。でもそれって、チーム制のマラソン……いや、こういうのはクロスカントリーって言うんだっけ。いずれにしても、遠足にそんなルールがあったなんて知らなかった。

「それって、誰か一人がゴールすればいいんじゃないの?」

「いや、誰か一人でもリタイアが出た時点で班としては失格だよ。まぁ、ゴールまで歩きたいって人も居るから、それは一応認められてはいるけどね」

「そうなんだ」

 私ならすぐにでもやめちゃいそうだ。

「今僕達が歩いているハイキング用のコースを辿るのが常道だけど、コースの選択は自由なんだ」

「自由って、ゴールはどこ?」

上里平かみさとだいらだよ」

「かみさとって、ウチの近所じゃない。だったら、山道じゃなくて普通の道を通って行けば……」

「ところが、そうはいかない事情があるんだ」

 二階堂君の顔がほころぶ。いつも落ち着いているというか、表情を崩さないような印象があったから、こういう笑顔はちょっと意外だった。

「しおりと一緒に、スタンプカードを貰ったよね?」

「そういえば、うん、貰った」

 こんなのどうするんだと思った記憶がある。

「それぞれのチェックポイントでスタンプを貰わないと、ゴールしても認められないんだ。逆にチェックポイントでスタンプを貰いさえすれば、他は何処を通っても良いというルールなんだよ」

「カード、まさか忘れてないでしょーね?」

 ユリちゃんが顔だけを振り向かせて意地悪く微笑む。

「多分……」

「多分?」

「ちょっと出してみる」

 そう言って黄色いリュックを身体の前に持ってくると、昨日も今朝も確認した中身を漁ってみる。少し不安だったけど、カードはしおりに挟まれて入っていた。

 妙に固いボール紙のカード、大きさは丁度手の平に収まるくらいのサイズだ。その片隅に私の名前がプリントされ、中央には四つの空欄が並んでいる。

「大丈夫、ちゃんとあるよ」

 予想以上に大きな安堵の溜め息が、三つまとめて聞こえてくる。思っていた以上に大事なことだったらしい。

「食料は取られてもリタイアにはならないけど、カードの紛失はそのままリタイアの扱いになるから気を付けてね。保管場所は任せるけど、身に着けておいた方が安全かな」

「わかった。そうするよ」

 二階堂君の助言に頷くと、カードを手にしたままリュックを背負い直し、カードはズボンのポケットに入れることにする。

「これで良し、と。他に気を付けるようなことは?」

「色々あるけど、基本的にはこんなものだよ。どんな手段を使っても、どこの班よりも早くゴールに着くことが最上の目的ってことになるから。もちろん、銃禁止とか色々と制約はあるんだけどね」

「へー……」

 それは国として禁止だと思うんだけど。

 何というか、聞けば聞くほどに先行きが不安に思えてくる。もう少しこう、遠足らしいルールってのがあるでしょうに。

 あれ、でもそういえば。

「確か、おやつって三百円だったよね?」

「遠足だからね」

 と二階堂君。

「遠足だからな」

 と杉浦君。

「バナナはおやつに入らないから気を付けてね」

 とユリちゃん。

「どーしてこんなとこだけ遠足なのよー!」

 まったくもって、謎は深まるばかりのようだった。

え、こんなの遠足じゃない?

おかしいなー、ウチの田舎はこんな感じでしたけど(大ウソ)


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