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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

馬鹿馬鹿しい

作者: ヤッホーさん

「なあ、君、いつまで私と一緒にいるつもりなんだ?」

 しん、と静まり返った部屋の中で、その長いぬばたまの髪に櫛を通す女性に訊かれて、あなたは肩を竦めます。

「いつまでも何も、好きであなたの傍にいるわけじゃありません。命令だからです」

 そう、そうなのです。あなたは会長に命令されてこの問題児とされる女性と一緒にいます。暮らしている、という感じがありますが、部屋は殺風景。クローゼットと簡素なベッドがあるだけで、ベッドの所有権は彼女にあります。つまりあなたは毎晩毎晩床で雑魚寝というわけです。

 凝ってきた肩を解すように腕を回しながら、あなたは彼女の目がこちらに向いたのに気づき、こちらからも視線を送りました。

 彼女は少々思案した後、なるほど、と呟くと、悪戯っぽい笑みをその闇色の眼に浮かべます。

「つまり君は命令なら動くということか」

「そんな簡単でつまらない人間だと思ってるんですか」

 あなたが憤慨すると、彼女はははは、と軽く笑って詫びました。悪く思うな、と。

 そうして、全然悪く思っている様子もなく、続けるのです。

「いや何、意味がわからんと思ってな。君に命令を下した会長には何らかの利益があるだろう。何しろ私は問題児だからな」

「自覚あったんですか」

 呆れてあなたが水を射しますが、気にした様子もなく、彼女は続けます。

「ただ、君には何の益もないではないか。いかに私が問題児といえど、君と私が元々所属している場所が違う。どちらかというと縁遠いはずなのだ。そこまで迷惑が及ぶほどの問題は起こした覚えはないのだが……君は何故、私の監視という任を会長から承ったのかね?」

「何故そんなことが知りたいのです?」

 あなたは心底面倒くさそうに口をへの字に曲げました。

 確かに、彼女とはこの件がなければ、顔を合わせることはなかったでしょう。いくら会長の命令とはいえ、拒否権がなかったわけではないのです。会長はそういう人権を損害するような無慈悲なお方ではないのですから。

 ただ、原因が第三者にないが故に、あなたにとってこの質問は七面倒くさいことこの上なかったのです。

 その理由はとてもくだらなくて、取るに足らず、場合によっては馬鹿馬鹿しいだけのものなのですから。

 あなたからの切り返しに、彼女は少々戸惑ったようでした。質問を質問で返されるとは思わなかったのでしょう。役目を終えた櫛を適当に枕元に放り、顎に手を当て、考えている様子でした。

 その割、答えはすぐに返ってくるのです。

「いや、な。君と一緒にいるのもまあ、なかなか長い月日となったものでな……別に他人が何をどう思おうとかまわないのだが、これだけの付き合いだ。少しくらい踏み入れてもいいのではないか、と思ったのだがお気に召さなかったかね?」

 あなたは不機嫌になり、目をじとっと細めました。何が気に食わなかったというわけではありませんが、何かが気に食わなかったのです。腸が煮え繰り返るというほどではありませんがむかついた、とか、苛ついた、とか、そんな感じです。

 お気に召すとか、そういう問題ではないのです。あなたはただただ、本人が自覚する通り他人などどうでもいいと思っている御仁が、どういう心境の変化を得たのか知りたかったのです。つまり、先程の質問返しにあなた自身の好悪は関係なく、単なる質問として訊いたのに、好悪を絡めた返しをされたから、こんな腑に落ちない思いをしているのでした。

 そんなあなたはぶっきらぼうに答えます。

「こんな機会でもなければ、一生あなたにお目にかかることなどないと思ったからですよ、囚われの長髪姫(ラプンツェル)

「おやおや、そんな大物に例えられるとは畏れ多いな。囚われの歌姫(ディーヴァ)くらいにしておくれ」

 おどけた返しにあなたの目は更に据わります。

「歌姫名乗るなら歌でも歌ってからにしてくださいよ」

「はっはっはっ、それもそうだ」

 はあ、馬鹿らしい、とあなたは溜め息を吐きました。この人の相手をまともにしていると、掌の上で踊らされているような不快な感覚に囚われます。それをわざわざわかっていながら相手にしてしまう自分に嫌気が射すというものです。

 この人なんか放っておいて、さっさと雑魚寝を決め込んでしまえばいいものを、あなたは横にすらなりません。心ばかりのブランケットを体に巻きつけて、じっと彼女を見つめます。

 ラプンツェルもディーヴァも美しい女性であることに違いありません。問題児でさえなければ、彼女はこんな囚われの身ではない、自由なお姫さまでいられたことでしょう。

 けれど、そうであったなら、あなたは彼女と関わることなど一生なかったに違いありません。そう、例えるなら彼女は高嶺の花、と呼ばれる類の人種なのです。

「知っているかね、君。高山植物で有名なクロユリの花言葉は『恋』と『呪い』なのだそうだよ。この花言葉には数々の恋の物語があるのだ」

「ちょっと、もう消灯時間は過ぎているんですから寝てくださいよ」

 長話の予感を察知したあなたは、早く寝たいんですけど、と主張します。部屋を見渡して壁掛け時計を見つければ、その短針はもう十二を越えておりました。長針は順調に七を通りすぎるところです。

 この女性を放っておいて寝てしまえばいいではないか、と言われるかもしれませんが、あなたの役目上、そうもいきません。会長には彼女が眠るまでしっかり見張っていろと命じられているのです。

「君、会長に言われて私の相手をしているというのなら、私のメンタルヘルスケアの相手も役目のうちだろう。それにくだらん雑学ほど役に立つものはないぞ?」

 ……メンタルヘルスケア、と言われてしまいますと、残念ながら彼女に最も必要なものですから、反論のしようがありません。

 深々と溜め息を吐くと、あなたは据わりきった目で彼女に問い質しました。

「なら、メンタルヘルスケア用の精神安定剤と睡眠薬は飲んだんでしょうね?」

「もちろんさ。君も一緒に確認しただろう」

「さて、日頃の寝不足で記憶が曖昧です。お薬の残量確認致しましょうか」

 あなたは嫌味たらしいまでに丁寧な口調で言うと、ベッド下の収納から、白い紙袋の集団をまさぐりました。これらは全部、精神安定剤と睡眠薬です。

 むしろそれ以外入っていない収納スペースは異様でした。これだけの精神安定剤と睡眠薬があったなら、自殺など容易にできてしまうでしょう、と考えると、気分が悪くなります。自分の役割を嫌でも理解しなくてはならないのですから。

 あなたは会長から、「この女が自殺しないように見張っておけ」と命令されたのです。ええ、お察しの通り、目の前の彼女は自殺未遂の常習犯なのです。故に監視が必要でした。

 かさかさと紙が蠢く音を耳障りに感じながら、あなたは薬の数量を確認します。計算通りにありました。そうでないと困るので、ほっと胸を撫で下ろします。

「君はいつになったら私を信用してくれるのかね?」

「信用されるようになりたいのなら、自分がまず信用しなければならないという格言をご存知で?」

「なるほど、では私には一生無理だな。困ったものだ」

 即断で諦める彼女に呆れを覚えました。いつものやりとりなのです。不毛だ、と感じます。けれど、まだ、彼女が簡単に諦めることに対して覚える怒りは僅かに残っているようです。

 ただ、信用だとか何だとか、やりとりするだけ無駄なのです。あなたは微かに後悔しました。また無駄な時間の浪費をしてしまった、と。

 最初から、黙って彼女の蘊蓄を聞くのが得策だとわかっているのに、何故自分にはそれができないのか。あなたはそれが疑問で仕方ありません。

「で、クロユリが何ですって?」

「おお、よくぞ聞いてくれた、ワトソンくん」

「あなたはいつの間にシャーロック・ホームズになったんですか」

 寝不足のあなたには、こういう小ネタでさえ、いちいち突っ込むのは億劫だというのに、彼女はこの素晴らしくくだらない前置きを欠かしません。

「クロユリには恋に敗れた女の執念が宿っているのだよ。恋人に浮気された挙げ句に捨てられた恨みの念を込めて、毎日毎日クロユリを送り付けたそうだ。すると元恋人は何日かして、謎の病に苦しめられるようになるのだよ」

「うわあ。女の執念ですね。いっそ嫌いになればいいのに」

「違うぞ?」

 彼女は何もかもをがらんどうに透かすような目で、あなたを見つめました。まだ何も言われていないのに、背筋がぞくりとしました。

「女はもう嫌いで嫌いで仕方ないのだ。憎いと言ってしまっても過言ではない」

 朗々と語る彼女の様子に、いけないな、とあなたは苦虫を噛みました。

 背筋が凍るほど恐ろしいのに、彼女は美しいのです。うっかり魅入ってしまうほどに。

 これまでの監視者はそんな彼女の美貌に見惚れ、彼女を肯定し、彼女の考えに呑まれていき、愚かにもその主義を自殺志願に塗り替えられて、死んでいったのです。それが彼女の最たる問題点です。

「愛憎は表裏一体とはよく聞く話ではないか。可愛さ余って憎さ百倍などという言葉もある。私が今したのもそうだが、古来より、愛と憎しみはセミイコールで結ばれるものなのだよ」

「ふむ。それがクロユリに『恋』と『呪い』が共存する由来というわけですね」

 さっさと話を締めて寝てしまいたいあなたは彼女が満足しそうな言葉を選びます。

「まあ、それは『恋』と『呪い』というよりもはや、『恋』が『呪い』なんでしょうね」

 ところがどうでしょう。彼女は寝る素振りを見せるどころか、これからが本番だとでも言わんばかりにくつくつと笑いました。興奮を抑えきれない、そんな笑いです。

 あなたは自分の失敗を悟りました。上手いことなんか言わず、二度返事で片付ければよかったものを、何をしているのでしょう。

 あなたの発言は彼女にスイッチを入れてしまいました。

 ああ、なんということでしょう。

 ラプンツェルだのディーヴァなど、彼女はそんな可愛らしい絵本のヒロインなどではありません。

 魔女なのです。人を簡単に呪いに陥れるプロフェッショナル。その闇色の美貌で、何人に呪いをかけてきたのでしょう。

 けれど、あなたは恐ろしくはありませんでした。

「君は面白いことを言うな」

「あなたからそんな凡庸な答えが返ってくるとは思いませんでした」

 絶世の美女、と言われる彼女に一目会いたくて、この任に就いたのは確かです。ですが、あなたは王子様ではないのです。

 高嶺の花に触れたかった……クロユリを摘んでみたかっただけだったのだ、と気づきました。

「私をつまらないと思うかい?」

「ええ。高嶺に咲いていても、摘めばただの花です」

「言ってくれるねぇ」

「あなたはラプンツェルでも、ましてやディーヴァでもない。|永遠に目覚めないいばらスリーピングビューティ辺りがお似合いでしょうよ」

 あなたはがっとベッドの収納から大量の睡眠薬を取り出し、彼女に差し出しました。

「いいのかい? 君の役目は?」

「あなたがしばらく眠れば、睡眠不足が取れるというものです」

「なるほどなるほど、では私は君のために寝てあげるとしよう」

「随分偉そうなスリーピングビューティだ」

 あなたはもう眠気が限界なのです。正直に言うと。

 だからこんなになげやりな行動もできたのでしょう。

 ですが。

「私にこんなことを言ってくれたのは、君が初めてだよ。気に入った」

 ふわりと、抱き寄せられ、一瞬、何が起こったのかわかりませんでした。鼻を擽るのは、寝間着についた柔軟剤の香りか、はたまたシャンプーの香りか。

「ずっと私と一緒にいてくれ」

 脳が溶けるような感覚。その言葉がどんなに贅沢なものか。あなたはけれど、甘美な誘いには答えず、不平を漏らしました。

「いいから早く寝てください」

「君を抱き枕にしていいなら」

「いいですよ。さっさと寝てください」

 ベッドに引き摺り込まれ、あなたは久方ぶりの柔らかさに眠気に誘われました。

 翌朝、どうなるかも知らず。

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