94.辺境伯からの依頼
オッサンは自分の沸点がよくわからなくなったのだ
イニージオの町に無事帰り着いた我々は、ミシャエラとオズマにアルジェンタムのことと旅先で起きた出来事を話した。
神の魔石がらみの事柄は探索者ギルドを通して伝わっていたが、事の詳細は伝わっていなかったからだ。
アルジェンタムが神狼族、グランツがケルベロスかもしれないこと。二人は互いを仲間だと認識していること。
神の魔石を遺跡から持ち去ったのはコナミを出世のための駒として使っていた司教であったこと。
司教の物言いから名もなき神は一柱とは限らず、今後も似たような騒動が起きる可能性が高いということなどなど……。
行方不明になっていた司教が暗躍していたことから教会も無関係とは考えられず、こちらから出した報告に添えた神官衣などの司教の遺品にどういう反応を返してくるか分からないことも大きな懸念材料ではある。
一応、それらはニッチシュレクト枢機卿宛に送ったから、彼が名もなき神に関わりのない人物であるのを祈るばかりだ。
コナミの教会脱退の一件で会ったニッチシュレクト枢機卿は、カトゥルルスで相対した司教と比べてみれば普通の人間だとは思う。
あとは彼が善人とまでは言わずとも悪人でなく、事態を軽く見ずに行動してくれればいいのだが……。
まあ、さすがに教会内部に敵、あるいは敵の手の者がいる可能性があると言われれば内部だけでも探ってはくれるだろう。
「おう、来たな。上まで来てくれ」
数日後、久しぶりにイニージオの探索者ギルドを訪れた我々を待ち構えていたかのように現れたギルド長・ジェフに促され、私たちは二階へと移動した。
「座ってくれ。まずはカトゥルルスでの事件解決お疲れさん。で、今回の用件はこれだ」
個室に入ったところで早速ギルド長が口を開き、懐から取り出した二つの書類をテーブルに並べてみせる。
「こっちはリズへの手紙で……こっちはアインスナイデン辺境伯からの依頼?」
それぞれソファに腰掛け、早速グレイシアが書類に目を向ける。
エリザベートへの手紙はそのまま彼女に手渡し、アインスナイデン辺境伯からの依頼書を確認し始めた。
「魔法の指導ねぇ……」
「ああ、お前さんら『妖精の唄』が派手に活躍してるからだろうな」
グレイシアのつぶやきにギルド長が理由を説明しはじめる。
どうやら活躍の裏に、私こと「雷神」の魔法があるということに注目しているらしい。
アインスナイデン辺境伯領は神聖ガイア王国と国境を接し、その領都アインスは国境を守る砦でもある。
領都周辺は大半が岩と土で構成された荒野であり、西に遠く竜人山脈を望む立地であるためウィルムやワイバーンが現れることもあるという。
となると当然、辺境伯領軍には精強さが必要となり、使えそうな物事を貪欲に求める気質になったそうだ。
そこで今回、噂の「雷神」が更なる活躍を見せたため、探索者ギルドに依頼を出した、と。
「期間は一ヶ月、週休一日、午前中だけの指導、か……。ねえソウシ、この依頼うけてもいいかしら?」
グレイシアが私に問うのは、今回の依頼が魔法の指導であり、私が中心にならざるを得ないからだろう。
私としてはゆっくりしたいのが本音だが、現状、ゆっくりしている場合ではないのも事実。
であれば依頼を受けて指導と共に魔法の復習をしながら、領都アインス周辺の強めの魔物を相手にするのも悪くはない。
「うん。いいと思う」
「ありがとう、ソウシ」
私の答えにグレイシアは嬉しそうに微笑んだ。
「ところでリズの手紙はなんだったの?」
一人手紙を読んでいたエリザベートにシェリーが問いかける。エリザベートはなにやら渋い表情だ。
「それが……父がこちらに来ると……」
彼女はうつむくと、やっとといった風情でそうつぶやいた。
一旦、一階に降り、アルジェンタムの探索者登録をグレイシアに任せた我々は、探索者ギルド内に併設された飲食スペースでエリザベートに詳しい話を聞くことにした。
「以前、我が家は一代貴族だとお話しましたが……」
確かエリザベートの父が魔物討伐で大きな働きをした結果、貴族に取り立てられたという話だった。
彼は領地経営に疎く、立地も良くないことから山での狩りや、魔物を倒して得られる魔石や素材を売ることで領地である村をなんとか維持しているそうだ。
「困窮という程ではありませんが、余裕があるわけでもない……そんな村です」
それが何故、今回わざわざイニージオの町まで来るかというと、娘が世話になっている探索者が国内外で噂になるほど活躍している話を聞いて「乗るしかない、このビッグウェーブに」となったとか。
貴族のことなどまったくわからないが、一代ということはよっぽどの功績を上げでもしない限り当主が亡くなれば家がなくなるということは分かる。
つまり、ここで何か手柄を立てれば家を存続させる希望があると踏んだということだろう。
「父は、はっきり言うと粗野で勝手な人です。それに女好きで、これまで無礼討ちにされていないのが不思議なくらいで……」
なるほど……武勇で取り立てられたがゆえに、貴族としての振る舞いや常識などが備わっていない、と。
「みんな、お待たせ」
「登録できた」
エリザベートの説明に頷いているところで、グレイシアとアルジェンタムが私たちの座るテーブルに戻ってきた。
アルジェンタムは手に持ったカードを掲げてみせ、なにやら誇らしげだ。その無邪気な様子に私は思わず立ち上がり、彼女の頭をなでた。
「それじゃあ、帰ってどう対応するかを……」
考えよう、と言いかけたところで勢いよく探索者ギルドのスイングドアが開かれ二人組の男が現れた。ドアのきしむ音で室内中の人々の視線が彼らに集まる。
「ここに雷神が……むむっ!」
前に立っていた年かさでカイゼル髭の男がギルド内を見回しながら何やらつぶやきかけ、我々の方に向いた途端視線を止めた。
「あっ、父う……」
「お姉さん、おっぱいデッカイねえ! 俺と今夜どうだい?」
エリザベートが何かを言いかけたが、それをさえぎるように男が声を上げた。どうやら我々を見て目を止めたのではなく、グレイシアに目を奪われていたようだ。
男の手が伸び、グレイシアが身を硬くする。その手は完全に胸を狙っているが、グレイシアが怖がるとは珍しい反応だ……なんて思っている場合ではないな。
「私の女に触るんじゃない」
男の手を掴んで止めた私の口からは、ビックリするほど低い声が出た。
その瞬間、私の前方にいた人たちが次々と体勢を崩し、膝をついたり尻餅をついたりしはじめた。
目の前の男も例外ではなく、倒れるんじゃないかと思うほど後方にのけぞっている。
「あっ、すみません」
私はあわてて男の手を離し、ギルド内の人々に謝罪の言葉を発した。
どうやら私はかなり怒っていたらしく、無意識のうちに「威圧」を放っていたようだ。