73.漂着
オッサンは漂流を初めて経験したのだ
「う……」
朝の光と、火にくべられた小枝がはぜる音で、私は目を覚ました。
起き上がろうとしたが体が上手く動かない。
……どうやら生きているようだ。
シェリー、グランツと共に海に落ちて、なんとか浮かび上がったところまでは覚えている。おそらくは彼らが頑張ってくれたのだろう。
近くに焚き火と、風よけのためか土壁も設置されていた。
体が動かないのはまずいから、まずは回復しなければ、と「回帰」を発動させる。
……うん。何とか体が動くようになった。
起き上がり辺りを見回すと、私が身につけていた防具一式が焚き火のそばに置かれていた。シーサーペントに噛み付かれたところの革がボロボロになっている。右わき腹付近には最も長い牙が穿ったと思しき穴も開いている。
……これは強化してもらっていなければ、あっさり死んでいただろうなあ。ドワーフのアーロンとコベールに感謝だ。
辺りは砂浜。眼前には海が広がっており、遠くに霞む断崖と、その手前にいくつかの島が見える。ここも、そういった小島の一つだろうか。
「石弾。水弾」
眠い目をこすると、顔中ジャリジャリしていたので石弾を変形させて洗面器を作り、その中に水弾で水を発生させる。顔を洗うと、多少頭がすっきりした。
全く魔法とは便利なものだ。これで水は確保できるし、火も起こせる。後は食料と脱出手段だが……。
「ソウシ! 目が覚めたのね!」
首を巡らせると背後の森から一人と一匹が現れた。どうやら彼女たちも元気なようだ。
グランツが座ったままの私に飛びつき、全力で顔を舐める。さっき顔を洗ったからしょっぱくはないだろう。
「おっ、とと」
「よかった……!」
グランツに続きシェリーまで飛びついてきた。さすがに勢いを受け止めきれず砂浜に倒れてしまった。
しがみついたままシェリーは小さく嗚咽を漏らし始める。
グランツがいたとはいえ、一人でいるのは不安だったのかもしれない。私もぶっ倒れたままだったし。
しばらくこのまま好きにさせておこう。
「そういえば、どうやって火を炊いたの?」
「あ、うん。最初は頑張って木をこう、シャカシャカやって何とか火を起こそうとしてたんだけど、グランツが電撃でパチってやってくれたら枯れ草に火がついたの」
シェリーが落ち着いて私から離れた後、空気を変えるために疑問に思ったことを聞いてみた。
どうやら原始的な発火方法では厳しかったようだが、雷による自然発火のような手段でどうにかしたようだ。
「そっか……グランツえらいな」
いったいなぜそんな方法を思いついたのかは分からないが、グランツをなでてほめてやる。嬉しいようで尻尾振りまくりだ。
「さて、これからのことだけど……」
空気が入れ替わったところで、今後の方針を決めようと提案する。
我々が海に流されてから一晩。予定通りなら、ウェヌス号は今日の夕方にはカトゥルルスに到着するはずだ。
グレイシアが救助に動くなら、そこから船を調達して我々の落水地点を目指し移動するだろう。最速であれば明日の夕方、そうでなければ明後日の夕方辺りに現場に到着することになる。
「そこから私たちが流されていった方角を推測して捜索……かな」
「じゃあ、それまでに私たちが、どう動くかってことね」
何にせよ私はまだ本調子ではないため、どうしてもしばらくは体を休めなければならない。場所を示す狼煙も上げておく必要があるため、今日一日はこのまま砂浜であまり動かず火の番をすることになる。
その間、シェリーとグランツは島の探索だ。飲み水は私の魔法で用意できるが、食べ物はどうにもならない。そして島周辺がどういう環境なのかも知っておくべきだろう。
最悪、自力での脱出となった場合、なるべく移動距離が短いに越したことはない。島と島を泳いで渡るなら、そのための情報は必要不可欠なのだ。
それぞれやるべきことを決め、我々は動き出した。いや、私は砂浜に座ったままなのだが。
たまに焚き火に生木を加えながら、新たな魔法について考えを巡らせる。普通であれば必要なときに必要な魔法を開発できたりはしないだろうが、今回はそれなりに目算がある。
シーサーペントの海流操作と思しき流れに吸い寄せられた時にとっさに真似をする形で使った「水流壁」。これを上手く使えば、海の上を移動できるのではないだろうか。こう、ジェットスキーのように。
ただ、水に浸かりながらになるため、息継ぎは厳しいかもしれない。まあ、昨夜のように背泳ぎ状態なら大丈夫だろうが、そうすると前が見えないという弊害が出てくる。
「うーむ……」
私は海から伸びる「水流壁」を手のひらの下を基点に維持していた。手は水に触れていない。地上でこの魔法を使ったとき同様、水の壁が空中に浮かんでいる。試しに手を上下させると、それに合わせて水も動く。
「これもしかして……」
ふと思いついて、流れ続ける水の壁を砂浜に押し付ける。
「うおおおお!?」
その瞬間、私は一気に水上に引っ張り出された。水しぶきはともかく、手も体も水面に触れておらず、海上を浮遊するかのごとく滑り続けている。まるでホバークラフトだ。
「どうやって制御するんだこれ!」
今のところ水流壁の流れと同じ方向へ移動し続けている。
普通の乗り物ならハンドルがあるが、この魔法にそんなものはない。ではなんだ、スキーやアイススケートみたいに体重移動か?
「おっ」
どうやら正解らしい。ただ、体重をかけた側とは反対へ曲がっている。これは……海面と近づいた方が単純に水流の勢いが伝わりやすいということか。
なんというか筒の上に板を乗せて、その上に立ってバランスを取るような……。
「これは足の下に発生させるのが正解っぽいな」
そう結論付けたとき、水中からシースネークが現れた。
そりゃそうだよね。海上だもん、バシャバシャやってれば出てくるよ。
丁度いい、海上での戦闘訓練ということにしておこう。
結局、日が傾くまで訓練してしまった。ぜんぜん体が休まっていない……。まあ、シースネークも数体倒したし、乗り方も大体つかめた。無駄ではなかったと考えよう。
訓練の副産物として「水流壁」の水を海水で賄うと、塩水ではなく真水が動いていることに気づいた。
これを利用して「石壁」のアレンジで風呂桶を作り、「水流壁」で水を貯め、火の精霊を周囲から集めてやることで火を使わず熱を発生させる「加熱」で風呂を沸かすということをやってみた。
通常の「水流壁」では風呂桶を満たすために何度も魔法を使う必要があるが、海水を使えば一発で満杯になるため効率が段違いだ。
水上訓練ですっかり冷えた体を温めるのは極楽だったよ……。
「はぁ~……海を見ながらのお風呂もいいものね~……」
今は探索から戻ったシェリーが、グランツと一緒に湯に浸かっている。
もちろん石壁で衝立を作っているし、覗くような真似はしない。シェリーは大人っぽい美人さんではあるが、四十路のオッサンからすれば子供でしかないからね。
「……ねえ、ソウシ。助けが来るかしら?」
不意にシェリーがつぶやく。
もう死んだと思われているのではないか? 来るにしても時間がかかるのでは? そういう不安があるのだろう。
「もちろん、来るさ」
私は特に気負うこともなく、そう答えた。