72.油断
フラグは回収されるんだなあとオッサンは思ったのだ
「電刃!」
「水刃!」
私とグレイシアの魔法が船の左舷から水放たれ、海面を横一線に切り裂く。顔を出していたシースネークが次々に切断され、あるいは感電し動きを止めてゆく。
「毒を受けた人は戻ってください!」
コナミの声が甲板上に響く。段々と負傷したものが増え始めているようだ。
しかし船員たちは上手く連携し、疲れをためないように立ち回っている。さすがは船上のエキスパートだ。
今日は船長も今のところリタイアせず、船員たちと共に走り回っている。
戦闘が始まって十分程度。だがすでに三十を超える大蛇を倒していた。船上に上がった個体もそれなりにいたが、しっかりと片付けている。グランツとシェリーが、動かなくなってもまだ息がある魔物を的確に見分け、止めを刺しているから安心だ。
毒を受けた人たちもコナミがまとめて回復させている。
さらに十分ほどが経過し、甲板上は魔物の死骸でもはや足の踏み場もない状態だ。七十~八十体は倒しただろうか。大半は海の藻屑となったのだが。
「回帰」
コナミが今夜二度目の回帰を発動させる。エリザベートをはじめとした護衛に守られ、横たわっていた負傷者たちを水属性の青い魔力光が包み込み、苦しげだった表情が和らいでゆく。
どうやら死者は出ていないようだ。
「終わった……かしら?」
「どうかな……」
グレイシアが海から目を離さずつぶやき、私はまだ気を抜かないように、と態度で示す。いや、彼女は最初から警戒を解いてはいない。さすがはベテラン探索者だ。
「大物が出てくるかと思ったけど……」
「乱戦の中で、っていうのが定番ではあるわねぇ」
そうなのだ。シースネークのみであればそれに越したことはない。だが、昨日の二倍近い数が現れたとなると、縄張りの中に踏み込んだか、群れを統率する個体がいるか、どちらかの可能性が考えられる。
そして船長の話では、これまでこんなに大量のシースネークが一度に現れることはなかったらしい。
一月ほど前から数が増えていたとはいえ、多くて十体程度。それもここ一週間は全く姿を見なかったと言う。
となると自然、リーダー格の魔物がいるのではないか?という結論になる。
しかし、乱戦になっても、そういう存在は現れなかった。
「何にせよ、しばらくは――」
警戒を続けよう。そう言いかけた時、船が大きく揺れ動いた。
船尾が波に大きく持ち上げられ、踏ん張り損ねた者たちが甲板上を転がる。
「!」
何とか手すりにしがみつき周囲を確認すると、船首方向に巨大な蛇身の魔物の姿が現れた。その目は甲板に倒れているグレイシアを見ている。
「水流壁!」
槍を甲板に突き立て、全力で魔法を放つ。海から隆起した巨大な水の壁は、グレイシアに襲い掛からんとしていたシーサーペントを斜めに受け流し、その毒牙を彼女から遠ざけた。
そこで安心してしまった私は思わず気を緩めた。蛇竜の行方を確認しもせずに。
そしてそれは致命的な隙を生んでしまう。
「ソウシ!」
次の瞬間、私はシーサーペントの顎に捕らえられていた。
シェリーが私を呼ぶ声がするが、応えている余裕はない。幸い、丸呑みにされるようなことはなかったが、魔物の牙は胴を覆う鎧を貫通し、徐々に毒が流し込まれてゆく。
「がぁッ……! 風火弾!」
蛇竜が私を丸呑みにすべく鎌首をもたげ牙を浮かせた瞬間に、爆発魔法をヤツの口内に投げ込む。それはすぐ魔物の上顎に着弾し、強烈な爆風と熱を発生させた。
当然のことながら私も魔法の威力をモロに浴び、海上へと放り出された。
「ガァアッ!」
「疾駆!」
グランツが吼え、電撃を纏って蛇竜に体当たりをしかける。それと同時にシェリーが手すりを越えて飛び出してきた。
――ああ、疾駆、教えるんじゃなかった。
「疾駆」は風属性の「風圧弾」をアレンジして作り出した高速移動魔法だ。
その理屈は単純で、自分の背中や足の裏を基点に「風圧弾」を炸裂させるだけ。上手く発動させないとかなり痛い。何せ元は攻撃魔法なのだから。
そしてシェリーは風属性の精霊と親和性が高い。つまり「疾駆」を簡単に使えるようになってしまった。それはもう、すぐ私より上手く使えるようになったほどだ。
現在、私は船から二十メートルは離れた空中にいるが、彼女はその距離を「疾駆」一発で助走もなしに跳躍して見せ、あっさりと私に手を届かせる。
彼女の背後にはグランツの姿も見える。どうやらタックルを敢行した後、シーサーペントの体を踏み台に跳躍してきたようだ。すごいなグランツ。
二人と一匹まとめて海面に落着する。シェリーが私にしがみつき、グランツは手首に噛み付いたまま、しばらく落下の勢いで沈降した後、浮上しようと泳ぎ始める。
私の体はすでに毒でまともに動かなくなっていた。これはまずい。
視界の先には、身をくねらせながら真っ暗な海に消えてゆく海蛇竜の姿が見える。
このまま撤退してくれれば……と思ったのもつかの間、私たちは激しい海流につかまり、船とは反対へと流されてしまった。
これは、もしかしてシーサーペントが流れを操っているのだろうか? ヤツが現れる直前、船が激しく揺さぶられたのはこれだったのかもしれない。
いかん、こんなことを考えている場合ではない。とにかく毒を何とかしなければ。
海中で発声は不可能だが、明確な意思さえあれば魔法は使えるはずだ。
(……回帰! ……水流壁!)
魔法が発動し、体の痺れが消えてゆく。よし、なんとか上手くいった。
続けざまに放ったのは防御魔法である「水流壁」。なぜこの魔法かというと、シーサーペントの海流操作がこれなのではないかと考えたからだ。
地上で使えば一定の高度・範囲をぐるぐる流れ続ける戦車の無限軌道のような形の水の壁を発生させるこの魔法だが、水中で使ったことはなかった。
これを水中で術者を基点に発生させれば、それこそ戦車が地面を走るように移動できるのではないだろうか?
果たしてその考えは、正解と出た。
「ぷはっ!」
「ガフッ」
「げはぁっ!」
水流壁の流れに乗り、私たちはなんとか海面に顔を出すことができた。
……いかん頭が朦朧とする。慣れぬ状況で無理やり魔法を使いすぎたか。
体も完全には回復していないようだし、シーサーペントの起こした海流からも脱出できていない。今、気を失うわけにはいかない。下手をすればシェリーとグランツまで私の道連れになってしまう。
なんとか耐えて、せめてもう一度、水流壁を……。
だが、そんな思いもむなしく、私の意識はあっさりと暗黒の淵に沈んでしまった。
もはや運を天に任せることしかできることはなくなってしまったのだ。