コナミ 1
異世界転移と教会からの脱出
気づいたときには森の中だった。
私は学校へ向かう途中、駅の改札をくぐった瞬間に見知らぬ場所に放り出された。
混乱した私は闇雲に歩き回った結果、幸運にも近くの村にたどり着いた。
でも……それは本当は幸運なんかじゃなかったのかもしれない。
「素晴らしい! 君は、いや貴女は聖女だ!」
その村にある教会の司祭は、まったくやる気のなさそうな痩せたおじさんだった。
最初その人は「来訪者」である私の面倒を見なければならないことを散々面倒くさがっては愚痴をこぼしていた。
どうやら「来訪者」を保護するのは各地の教会の義務と、一般には認識されているらしい。だから司祭は通り一遍な対応で済ませようとしていたようで、この世界に関することをおざなりに説明し、私に女神との契約を結ばせた。
そこで試しに魔法を使ったところで先の反応だ。
あまりに極端な態度の変化に、さすがの私も危機感を覚えた。こういう展開でいい方向に転がることなど、物語の中でもほとんど聞いたことがない。
とはいえ、異世界に放り込まれた私は何の力もない子供でしかない。残念なことに、いや当然ながら、この場を脱する方法など閃くわけもなく教会の一室に軟禁され、数日後に訪れた司教によって王都へと護送された。
せめて元気なら逃げ出すこともできたのだろうけど、魔法を使ったら全身の力が抜けて立っていることさえできなくなっていたのだ。
あの場で魔法を使ってしまった自分を、私は何度となく呪った。
実際には逃げ出したところで行く当てもないのだから、捕まって連れ戻されるか、どこかで野たれ死ぬか、そんなところだっただろうけど。
王都の教会に行ってからは本当に思い出したくもない生活だった。
毎日毎日、脂ぎった貴族やヒステリックなおばさん、もしくは気持ち悪い目で見てくる金持ちそうなおじさん達に「回帰」の魔法を使わせ続けられ、その度に魔力が枯渇して倒れた。
幸いだったのは「聖女」という扱いのおかげで私に性的な悪さをしようとする輩がいなかったことくらいなものだ。
後で知ったことだけど、悪事を働くと女神の加護を失うから罪を犯す人はそれほど多くないらしい。
魔物がいっぱいいて、人がすぐに死ぬような世界で犯罪者が少ないというのは本当に意外だった。
そんな生活が一月も続けば、元気だけがとりえだった私もあっさり気力が萎えて、教会の偉い人たちの指示を唯々諾々と聞くだけになっていた。
魔法を使えば倒れるのだから、一日中体を動かすこともなく食も細くなり、どんどん痩せていった。
陸上部で鍛えたカモシカのような脚線美は見る影もなくなり、小麦色だった肌は吸血鬼みたいに青白くなった。正直、この頃はもうまともに頭を働かせることもできない状態で、はやく楽になることばかり願っていた。
私の状態を見てさすがにまずいと思ったのか、ある日、一人の世話係がつけられた。
「エリザベート・アルムットです。よろしくお願いします」
綺麗な栗色の髪をショートカットに切りそろえた美人さんだった。私と違って目鼻立ちもくっきりしていて腰の位置が高くて細い。
幸い胸だけはいい勝負で、本当に久しぶりにちょっとだけ笑った。そんな私に釣られてか、彼女も微笑んだ。何故か涙が出てとまらなくなった。
いきなり泣きだした私にエリザベートさんはオロオロしていたけど、しばらくすると私を抱きしめて背中をなでてくれた。もっと泣いた。
その日から世話係の人、エリザベートさんとの共同生活が始まった。
彼女は私の世話役が教会に入ってから初めての仕事らしく、何事にも一生懸命だった。
必要なものはすぐに用意してくれたし、私が興味を持ちそうな物や世の中で流れる噂話なども、どこからか仕入れてきてくれた。
そういった物事の一つが私の興味を惹いた。
最近、イニージオという町で活動し始めたという「来訪者」の噂話。
なんでも町に来た初日、暴走するストライクラビットという魔物の大群を見たこともない魔法を駆使して殲滅したらしい。
しかもその人はこの世界に来て一週間かそこらで三度も昇級し、有名な探索者さんのお孫さんを助けて仲間に迎えられたとか。
昇級すると強くなる、という話は聞いていた。だけどそんなに劇的な変化があるのか、と私は衝撃を受けた。それと同時に、私が部屋に軟禁されている理由にも気づいた。
私が強くなるようなことがあったら「教会から逃げるかもしれない」そう考えられているんだ。
あまりに勝手な教会の人たちに激しい憎悪を覚えた。
その日から私は何とかして教会を出るため、色んなことを始めた。
まずはこれまで毎日こき使われていた環境を変えるため、思いっきりわがままを言うことにし、その願いが聞き入れられなければ「回帰」は決して使わないと宣言した。
そして魔法を使わない分、体を動かす時間を設けた。いざという時に備え、カモシカのような足を取り戻すのだ。
誰もいない時間帯をエリザベートさんに調べてもらい、教会の中庭で限界まで走り続ける。
最初はすぐに立てなくなっていたのも、一週間もすれば二時間くらいはランニングを続けられるようになった。一月のブランクは長いけど、体の使い方まで忘れてしまうほどの期間じゃない。
その頃にはイニージオの町の「来訪者」の噂はパッタリと途絶えていた。どうやら長期間かかる仕事に出たらしい。
でも「来訪者」さんは噂の魔法「電撃」によって、あっという間に有名になっていたらしくて「雷神」という二つ名がついていた。「雷神」……かっこいいけど、なんだか怖そう。
そうこうして更に二週間ほど経った頃、イニージオの町に「雷神」さんが戻ったという噂が届いた。
なにやら激戦を経験したらしく、もう五回目の昇級をしたそうだ。すごい。
「雷神に会いに行きたいだと?」
いい機会だから、と私はいつのまにか司教になっていた元司祭に要望を出した。
当然、ものすごく嫌な顔をされたが知ったことじゃない。教会から脱出する。そのために私は雌伏の時を過ごしてきたんだから。
「この程度の自由も認められないなら、もう二度と『回帰』は使いません」
はっきりそう言うと、案の定、司教の顔が憤怒に紅く染まる。
この人が私を出世のための手駒だと思っているのは態度を見ていれば明白だ。
握った拳がピクピク動いているけど、手を出すことはできないはず。だって完全に離反されれば困るのはこの人だし、下手をすれば女神の加護を失って魔法が使えなくなるんだから。
最悪、他の偉い人に鞍替えするぞ、とでも言えば私の要望を受け入れざるを得ないだろう。
「無理だ。お前は『聖女』だぞ? 勝手に出歩くなど枢機卿が認めるものか」
不意に司教が手から力を抜き、いやらしい笑みを浮かべてそう言う。
……確かに偉い人は、もっと手ごわいだろう。でも退くことはできない。
「ニッチシュレクト枢機卿でしたら、許可を出してくださいましたよ」
と、それまで沈黙を保っていたエリザベートさんが口を開いた。
「なッ」
司教がその言葉に唖然とした表情を浮かべる。驚いたのは私も同じだけど。
どうやら、エリザベートさんは私の計画を聞いて手を回してくれていたようだ。
新人の神官戦士が枢機卿に嘆願などするのは、教会に詳しくない私でもあまりに無謀なことだと理解できる。お殿様に直訴する農民みたいなレベルだと思う。
彼女がそんな危険を冒してまで私の手助けをしてくれるとは思っていなかった。
かくして私は、イニージオの町へと出かける権利を勝ち取った。きっとこれからは自由に生きられる。そう思った。
実際にはこれ以後も苦難の連続だったのだけど……。