69.船上の戦い
杞憂に終わることって少ないよね?とオッサンは思ったのだ
翌朝、我々は日の出と共に起き出し、宿の食堂で朝食をすませると早速、港へと移動した。
街中はそれほどでもなかったが、海に近づくに連れて段々と人の行き来が増え、港では大勢の労働者が停泊中の船から荷の積み下ろしを行っていた。幾人か探索者らしき姿もある。
海の上にはすでに漁船がいくつも繰り出しているようだ。
「よお、あんたらが雷神ご一行様かい。あんたらがいてくれりゃ心強い。三日間よろしく頼むぜ」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
停泊中の船の内の一つ、「ウェヌス号」の甲板で船長と挨拶を交わす。
彼の物言いからして我々の戦力を当てにしているのかもしれない。
「……もしかして海でも魔物が増えてるんですか?」
「いやあ、そう大したことはないんだが……」
状況を確認しておこうと話を振ると船長は言いよどむが、しばらくして最近のことを話し始めた。
それによると、一月ほど前から増加傾向にあった魔物が、ここ一週間ほどでほとんど姿を見なくなったという。
このまま魔物が増えすぎれば運行を休止せざるを得ないという状況だったのが急に減ったため、何か妙な胸騒ぎがするそうだ。
「だから、あんたらが乗ってくれるのは渡りに船ってわけだ」
船だけに。ってやかましいわ。
いずれにせよ、何かがあるというのを前提に備えておくべきだろう。
港を出て数時間。大陸の切り立った断崖を右手に見ながら、船は西へと順調に航海を続けていた。
ウェヌス号の乗客は我々を除き、商人数名にその護衛の探索者団一つ、その他は全て船員だ。
この船は全長三十~四十メートルほどの帆船で、荷物を除いて六十人ほどは乗れるそうだが、今回の乗客数は十数名ほど。
船の大きさに比べて利用者数が少ないのは、やはり厳しい季節に差し掛かりつつあるからだろうか。
まあ、すし詰めは嫌なのでありがたいのだが。
「日本の海より綺麗だね」
「そうだねえ……やっぱり自然が汚染されてないってことなのかな」
船の左舷から見る海は穏やかで、ごくわずかに島影が見える気もするが、水平線まで青一色。さながらリゾート地のような美しさだ。
教会との軋轢が解消して以来、コナミは私に敬語を使わなくなっていた。
その方が親子として自然なのは間違いないが、義理というか偽装親子である私たちには中々遠慮がなくならないもので、これまでプライベートでは、ほぼ敬語だった。
心配事が解消されて気が楽になったか、あるいはより打ち解けられたのか。
どちらにせよ、気を使わなくて済むのは一緒に生活する以上、良いことだろう。
「やっぱり、色々違うんだ?」
「うん。空気の綺麗さとか、海の色とかぜんぜん違うよ。あっちは星がぜんぜん見えなかったりするし」
コナミの呟きにシェリーが食いつき、女の子たちの雑談が始まる。私は邪魔にならないように少し離れておくとしよう。
夜でも電灯で町が明るい。移動は自動車とか電車とか、あと自転車とか。コンビニは一日中開いてる。夏はクーラー、冬はヒーターで家の中は快適。水は水道でいくらでも使える。お風呂も毎日入る。電話で遠くの人ともいつでも連絡が取れる。
次々にコナミの口から日本のことが語られてゆく。
それは戻れない場所への郷愁を含んでいた。
「みんな、そろそろお昼にしないか?」
グレイシアが船室から現れたのを幸いと、子供たちの話に割って入る。これ以上、続ければコナミは耐えられなくなるだろう。
「あ、はーい。なんだっけ、ふりーずどらい?のスープのお披露目ね!」
私の声かけにシェリーがことのほか元気に応える。彼女もコナミの様子があまり良くないのを感じ取っていたのだろう。
エリザベートもコナミの手を取り、小走りに駆けてくる。本当に仲良くなったものだ。やはり聖女の世話係という肩書きが、エリザベートに踏み込ませない壁になっていたのだろうか。
このままお互いを尊重しつつ、遠慮もしなくていい友人関係になっていってくれれば、父親役としては助かるというものだ。
日が完全に暮れ、今日の航海は終わりとなる。断崖付近に寄せられた船は碇によって固定されていた。
船長の言ったとおり、ここに至るまで一度も魔物が現れることはなかった。「嵐の前の静けさ」という言葉が頭にちらつく。
船室内ではすでに全員が寝息を立てている。起きているのは私だけだ。
ベッドに潜り込んでいるグランツの背をなでる。昨日までは子供たちから離れなかったのに、今日はなぜかずっと私のそばにいる。何かを感じ取っているのだろうか?
現在は甲板上で当直の船員と、乗り合わせた商人の護衛である探索者団のうち数人が警戒に当たっているはずだが、昼間の彼らからは弛緩した空気が感じられた。
何事もなければそれに越したことはないのだが……。
だが、そんな私の願いは聞き届けられないようだ。
いきなりグランツが勢い良く起き上がり、耳をせわしなく動かす。
私も身を起こし、「暗視」を発動。壁際に立てかけておいた槍を手に取る。と、同時にグランツが激しく吠え立てた。
「な、なに!?」
「どうしたの?」
「わからない。でも何か起きてるみたいだ。私は甲板の様子を見てくる」
グランツの声にシェリーとグレイシアも飛び起きる。コナミとエリザベートは若干、寝ぼけた様子だが、何とか起き出してきた。
すでに全員「暗視」は使えるようになっているから、暗さはどうにかなるだろう。
船室の扉を開けて廊下へと飛び出すと、船員たちも慌てた様子で動き回っていた。外からは怒号や叫び声が聞こえてくる。
即座に甲板を目指すグランツと共に私も駆け出した。
「これは……!」
私たちが表に出ると、体長五メートルはあろうかという巨大な蛇が甲板を這い回っていた。それも大量に。
それらは次々に船員や探索者に襲い掛かり、噛み付き、あるいは巻きつこうとする。その余波で船上のかがり火が倒され、あちこちに飛び火していた。すでに倒れている者もおり、猶予は少なそうだ。
「まずは火を消す……水流壁!」
思いつきで海の水を使う形で水の壁を構築する。するとその効果は劇的だった。
通常、地上で発生させるものの十倍近い規模の水流が一気に船上になだれ込み、あっという間に火を消し止める。
……ちょっと効果ありすぎじゃない?
「乾燥! 火弾!」
水浸しになった甲板から水の精霊を移動させることで乾燥させ、倒れるのを免れていたかがり火に再び火を灯す。これで、他の者たちも動きやすくなるはずだ。
「ウオーン!」
グランツが咆哮し、電撃をまとって勇躍、次々に巨大な蛇、シースネークを感電させてゆく。噛み付かれていた者も解放されたようだ。
私は「電刃」で甲板に上がろうとしている蛇を切り裂き、海に叩き落とす。直撃しなかった個体にも海面を這う電気が届き、その場に押しとどめることができた。
甲板上の魔物は、グランツと無事な者たちに任せるしかない。
「ソウシ!」
「倒れてる人を頼む!」
遅れて出てきたグレイシアに指示を出し、彼女はそれに従って倒れている者を次々に船室内へと引きずっていく。
「……いけない。毒だわ」
喧騒に包まれている甲板上に、グレイシアの声がやけにはっきりと通った。