60.回帰、解禁
事態は思っている方向には転がらないものだとオッサンは痛感したのだ
ここオズマ宅はイニージオの町の東門に程近い場所にある。
この場所は、まだこの町が開拓の最前線だった頃、最初に作られた建物郡があった区画で、グレイシアが来訪者の夫と共に探索者として活動を始めた場所だそうだ。
そして町が川を起点に北に、南に、西に大きくなるに連れて、自然と東寄りになっていったという。
そういった立地から、この家からは東門の様子がよく見える。
その東門から何かがぶつかる重々しい音が響いてきた。馬の嘶きも聞こえてくる。
馬車の事故だろうか? しかしすでに日が落ちて久しいこの時間、門内でも馬車が走ることは多くない。
私は「石壁」で足元に土台を作り「暗視」で視界を確保して、門の方向を確認した。
すると門が開かれ、倒れた馬と壊れた馬車の姿が現れた。相当激しくぶつかったようだ。
「ソウシ!」
「何が起きたの?」
「……どうやら門の外側に馬車がぶつかったようです。かなり酷い有様ですね。ちょっと様子を見てきます。怪我人がいるかもしれない」
本宅から飛び出してきたグレイシアたちに状況を軽く説明し、私は家の塀を跳び越え、門へと駆けた。
「これは……」
近づくと現場の酷さが、よりはっきりと見える。
二頭立の馬車は片方の車輪が外れて斜めになっており、牽引していたであろう馬二頭のうち一頭は首があさっての方向に向いて絶命している。もう一頭は倒れてはいるが息はあるようだ。
「これはいかん、動かしたら助からないかもしれん……」
「中にも一人倒れているぞ! 誰か手を貸してくれ!」
御者台周辺にいる町の衛兵と思しき二人の男が、口々に窮状を叫ぶ。
私が手伝いに行こうと動くと、そこにグレイシアも遅れて駆けてきた。
「どうするの?」
「……使うしかないでしょうね」
グレイシアに問われ、答える。
半壊した馬車にはガイア神教会の紋章が刻まれている。ということは怪我人は教会関係者。そしてこの時期に来る者といえば「聖女」関連であろう可能性は高い。
ならば「回帰」を使ってでも助けておかないと、後々面倒なことになる可能性もある。
「私たちは回復魔法を使えます! 手伝わせてください!」
意を決し、大声で衛兵たちに呼びかける。すると彼らは地獄に仏とばかりに喜び、私たちにその場を譲ってくれた。
私は御者台脇に倒れている女性、グレイシアは馬車内の人物の対処に動く。
「……!」
女性は酷い有様だった。体中傷だらけで、特に左腕は上腕が大きく抉れ骨が見えている。顔にも深い引っ掻き傷があり、痕が残れば女性としては大きすぎるコンプレックスを抱えることになるだろう。
「回帰!」
私は大きく一呼吸し魔法を発動した。
内側から順に治療していくイメージだ。エルフの里で切断された手足を繋いだことや潰れた腕を回復させた経験を活かせば、きっと上手くいくはずだ。
左腕の傷口に集中していると、しばらくして段々と肉が盛り上がり、骨を覆い、筋肉を形成していく。
そうだ、巻き戻れ。健常な状態まで戻るんだ。
しかし、回復にはこれまでにないほど長い時間がかかっている。やはり、失われた部位を再生させるのには大きな魔力が必要となるようだ。段々と強い脱力感が襲ってくる。
ようやく完全に筋肉が修復された。次はその上、脂肪と表皮だ。
「おお……!」
水の精霊の力を伴った青い魔力光が収まり、女性の左腕は元の状態を取り戻した。その光景に衛兵の一人が感嘆のため息を漏らす。おそらく「回帰」を見たのは初めてだったのだろう。
次は顔だ。こちらはさほど苦労もなく回復し終える。
「ソウシ! この子もお願い!」
グレイシアと衛兵の一人が小柄な女性を抱えてきた。いや、これは少女だ。
白地に金糸の刺繍が随所に施された豪奢な神官衣を身にまとっている。おそらく彼女が聖女なのだろう。
怪我の具合は頭から血を流しているほか、右腕が変な方向に曲がっている。これも「回帰」でなければ即座に対処するのは難しい。
私は倦怠感を押し殺し、すぐに魔法を使う。すると折れ曲がっていた右腕が正常な位置に戻り、黒ずんで腫れていた肉が元の白さを取り戻す。グレイシアが服の袖口で少女の額をぬぐうと、頭からの出血も止まっているのが分かった。
ひとまずこれで二人とも大丈夫だろう。あとは生きている馬も回復させてやらなければ。
治療を終えた女性二人は、衛兵たちの手によって最寄の治療院へと運ばれた。さすがに意識は回復しなかったので妥当な判断だろう。
一方、生き残った馬は元気なもので、衛兵たちの管理する厩舎に入れられることになった。死んだ馬は解体されるそうだ。南無。
「いったい、何があったのかしらねぇ」
「怪我の様子からすると、フォレストウルフに襲われた様でしたけど……」
オズマ宅のリビングに戻り、我々は状況の整理を行っていた。
グレイシアの疑問は魔物に襲われたこともそうだが、何故、護衛が一人もいなかったのか?という物も含まれているのだろう。
「……見捨てたか?」
「もしくは分断されて別々に逃げたか」
「魔物を食い止めるために、殿を務めたっていう可能性もあるんじゃない?」
オズマ、ミシャエラ、シェリーが口々に意見を述べる。
どれもあり得るだろう。実際、衛兵の一部は生き残りの可能性を考えて、街道沿いに捜索に出ている。
ただ、この時間にイニージオの町に辿りついたということは、ここまで馬車で一日の距離にある野営地に留まっていた可能性が高い。
であれば、最も近い避難場所はイニージオの町になる。野営地はちょうど東西と北への街道の分岐点に設けられており、東と北は一日以内の距離に村や町はないからだ。
生き残りがいるとして、明日か明後日中にこの町に来なければ、見捨てたか、別々に逃げて、あるいは殿を務めて全滅したか、どちらかの可能性が高くなるのではないだろうか。
「いずれにせよ、二人の内どちらかが意識を取り戻すまで、あるいは生き残りが着くまで待つしかないですね」
「そうねぇ。あとソウシ、敬語」
「あ、はい。いや、うん」
締めくくろうと思ったけど締まらなかった……。
結局、二日が経過しても生き残りは見つからず、イニージオの衛兵による捜索は打ち切られた。
だが野営地周辺に数名の遺体があったことから、もっと多くの人数が同行していたのは確実らしい。
生き残りがいるのかいないのか、そこが大いに気になるところだ。
聖女が意識を取り戻した、と連絡があったのはその翌日。彼女たちがイニージオ東門で事故を起こした三日後のことだった。
御者をしていたらしき女性はまだ目を覚ましていないそうだ。おそらく出血量が多かったのだろう。
なんとか無事に回復してほしいものだ。